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(回答先: 「小國民の時間」過去と現在の“世間の空気”を実感することについて 投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 11 月 08 日 16:33:58)
【資料】
■大本営発表
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/daihonei.html#daihonneihapyou
大本営発表とは,大本営・陸海軍部・報道部(陸軍の場合には報道部宣伝課内国新聞発表係)よる国民向けの戦況の発表で,それは通常,陸・海軍省記者倶楽部で行なわれた。いわゆる太平洋戦争中になされた「大本営発表」は,846回あったが,初期のころはラジオから「軍艦マーチ」とともに流れた。もとより「勝利に次ぐ勝利」の戦果報告である。国民はこれに狂喜した。
しかし,終わりのころには,勇ましい軍艦マーチは「海行かば」に代わり,しかも撃沈したはずの敵軍のアメリカ機による本土空襲が始まりかけると「大本営発表」が虚偽であることが国民の間にもわかり始め,やがて国民はそれを信じないようになった。つまり大本営発表は,「『うそ』や『誇張』発表の代名詞」となったわけである。
……………………………
■大本榮發表
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/dai.htm
昭和16年12月8日朝7時、時報を告げた後ラジオは突然臨時ニュースのチャイムを鳴らした。
「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申上げます。大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍部隊は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
日本放送協会の館野守男アナウンサーはニュースを繰り返した後、
「今日は重大ニュースがあるかも知れませんから、ラヂオのスイッチは切らないでください」
と国民に呼びかけた。ラジオ嫌いで自宅にラジオを持っていなかった作家太宰治は、隣から聞こえてくるラジオ放送に耳を傾けていた。その日の騒動を作品「十二月八日」に記している。・・・(以下略)
……………………………
■大本営報道部の発表は当初、陸海軍が個別に名前でしていましたが、太平洋戦争開戦から約一カ月後の一九四二年一月十五日の発表から陸海軍部の区別をしないで「大本営発表」と一本化されました。侵略戦争に国民を総動員するためには、国民に対し不利な情報をすべて隠し、逆に情報を捏造(ねつぞう)して戦意の高揚をはかろうとしたのです。そのために、内閣情報局に過大な権力が与えられ、新聞、放送の検閲が強化され、“内面指導”と称し、きびしい報道管制が押し付けられたのです。このもとで、日本の報道機関が、侵略戦争遂行の宣伝機関になり下がった責任は重大です。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-05-22/12_01faq.html
……………………………
――ということだそうで、次の部分の頭には、「♪海行かば」の音楽を付けるように一部追加訂正します。つまり、この場合、昭和20年前半ごろの想定のつもりなので、「軍艦マーチ」ではない。当時はラジオしかなく、それも今で言うNHKだけだとはいっても、常にラジオをつけっぱなしておくのかと思ったら、こういうことらしい。ラジオがなくても、トントン、トンカラリと隣組で、すぐにこういう情報は知らされるから、どっちにしても同じことか。今、テレビドラマや映画などで知っているようでも、実際の生活感覚としては、あまりわかっていないと思った。これが今、多チャンネル・マルチメディアになっても、また、検閲もなく、軍艦マーチがかからなくても、結局どれも「大本営発表」と同じだし、「世間の空気」という「隣組」になっていて、あまり変わらないようにも思う。二度と繰り返してはいけません、とか言うのに、何を繰り返すななのか、その実態をあまりにも知らなさ過ぎる。単に戦争のドンパチの部分だけではなく、構造的な精神風土みたいなところから庶民の位置でとらえることも必要かな、と思う。今は、「人道、自由、民主化、公共の福祉」そして「平和」などと言う言葉で戦争・軍事を正当化されていく。昔も「東洋平和のために」とか言っていたが、ウヨクのほうが、巧妙に「二度と繰り返さない」をやっている。それに対して、反戦勢力の側はなんてこった。うわべのきれいごとの言葉ばかりで、反骨精神を去勢する。人間はそんな奇麗事だけで生きていない。すいも辛いもかみ分けた人間的厚みのある反戦運動がまったくないではないか!幼稚園のお遊戯か老人クラブのお茶飲み会のようなとこばかり。ああ、ウンザリ。抵抗権・反骨心・権力の暴力構造に対していかに怒りを持って立ち向かうか、と言う具体的実践を考えようとすることを押さえつけるところばかりだ。怒れ!怒りを否定するな!熱くなれ!しらけて、冷笑して、高みの安全圏で見下す「シニシズムが」一番悪い!人の世に熱あれ、障害者に光あれ!
しかし、こんなの調べていると、ウヨクのページにたくさんつながって、私ゃ、腹が下ってしまうが、それに染まらずに注意しつつ、活用できるところは使わせてもらう。実際、よく出来たページもあり、ふらっと、引き込まれかねない。私は障害者だから、その点は本能的に拒絶反応が出るけどネ。非国民・ごくつぶしだからね。今で言うなら、自己責任・自業自得・税金泥棒ってやつさ。優生思想を叩き潰さねばならない。 http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/365.html
――以下は、たとえば、昭和二十年三月十日のもの。このサイトには、平昭和16年12月8日〜昭和20年8月14日までの毎月の「大本榮發表」が文字で載っている。「盲爆」は「猛爆」じゃねえのか?まあ、どっちでもひでえわ。なにが、宮内省主馬寮だよ、撃墜の戰果かよ。私の今住んでいる墨田区錦糸町(本所区)は丸焼けだ。黒こげ死体が二万人以上、錦糸公園に集められた。もうじき60年になる・・・。
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★!!★(まず、チャイム、つづいて「♪海行かば」の音楽)
東部・軍管區情報、関東地區、空襲警報發令。
大本榮發表。昭和二十年三月十日十二時。
本三月十日零時過ぎより二時四十分の間B二十九約百三十機、主力を以て帝都に來襲、
市街地を盲爆せり、右盲爆により都内各所に火災を生じたるも、
宮内省主馬寮は二時三十五分、其の他は八時頃迄に鎭火せり、現在迄に判明せる戰果次の如し
撃墜十五機、損害を與へたるもの約五十機
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/d200310.html
※この空襲により本所区、深川区、浅草区はほぼその全域を焼失、東京都全体で83070名の死者、113062名の負傷者、全焼家屋259011戸、罹災者889213名(帝都防空本部情報)の被害を生じた。