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アラビアのロレンスとアーネスト・サトウ 明治維新はイギリスとロスチャイルドが薩長をけしかけて倒幕させた
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/101.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 9 月 18 日 16:40:00:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu79.htm

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アラビアのロレンスとアーネスト・サトウ 明治維新は
イギリスとロスチャイルドが薩長をけしかけて倒幕させた

2004年9月18日 土曜日

◆1世紀を経て甦る「アラビアのロレンス」 JANJAN
http://www.janjan.jp/world/0404/0404123126/1.php

【何が起きているのか】
 第1次世界大戦の頃、アラブの反乱を率いた「アラビアのロレンス」こと英国陸軍情報将校T.E.ロレンスの自伝本が、英国で静かな人気を呼んでいる。

 BBC・web版によると、イラク戦争後、ある出版社では例年の2倍の売り上げだそうだ。

 ブッシュ政権に追随してイラク戦争に突入したが、日増しに悪化する治安は、ブレア首相が掲げた戦争の大義に疑問を投げかけている。英国民はアラブの心を理解する手がかりとしたいのだろうか。

 【アラブの信用をかちとったロレンス】
 メソポタミヤ地域は16世紀から第1次世界大戦前までオスマントルコの領土だったが、オスマントルコの衰退でアラブ民族に独立の気運が湧き上がる。それを巧みに利用したのが英国で、ロレンス大佐はメッカの守護職ファイサルの軍事顧問として「アラブの反乱」を指揮した。

 いくつもの部族(反乱軍)をまとめるのにロレンスは四苦八苦する。厳しい自然環境で何千年も遊牧生活を営んできた彼らには、英国のような法律、規則はない。部族長が首をタテに振らないことには何も決まらない。だが、アラブの独立を手助けしたいロレンスは彼らに溶け込もうと懸命だった。アラブ人になりきろうとさえした。ラクダから落ちた仲間を助けるためにロレンスは一人で砂漠を引き返す。危険も顧みずに。そして無事に救け出したことで部族の猛者たちの信用をかちとる。

 ロレンスの手ほどきで近代的な戦術を身につけた反乱軍は、ついにオスマントルコ軍を打ち破る。だが、ロレンスは、英国にはアラブを独立させるつもりはないことを知り愕然とする。

 【先ず裏切りありきの英国】
 それもそのはず、英国はユダヤ人富豪のロスチャイルドに「パレスチナでのユダヤ人国家建設を手助けしますよ」と囁いていたのだ。第一次世界大戦の戦費調達のために。これが有名なバルフォア宣言(1917年)である。

 メッカの守護職ファイサルには「アラブの独立」を先に約束(フセイン・マクマホン協定=1915年)しているにもかかわらず。

 英国は、両者(アラブとイスラエル)にそうした約束をしながらも、フランスとも密約を交わしていた。戦後、アラブの地を分け合う線引き協定(サイクス・ピコ協定=1916年)である。中東地域の国境線が真っ直ぐなのはこのためだ。(後略)
(田中龍作)

◆幕末期に入った国際金融資本の魔手 阿修羅BBS
http://www.asyura.com/0306/idletalk2/msg/373.html

 グラバーは英国アバディーンの船乗りの家系です。 荒っぽい人間です。
 成り上がるために、スコティッシュ・ライトに入会し、「極東支配人」マセソン商会の援助を得て、「日本処分者」として長崎に送り込まれた人間です。
 グラバー自身はまだ若く、彼自身の資産も信用もありません。 ただの代理人です。 グラバーの買いつけた武器の信用状を裏書きしたのがマセソン商会であるはずです。
 グラバーの位置づけは、本質的に、16世紀初頭のコルテスやピサロと変わらないと見るべきです。

 「ロスチャイルド−マセソン−グラバー枢軸」は、地理的には、「ロンドン−上海−長崎枢軸」です。
 上海は、第二次大戦の勃発まで、日本処分の指令基地であったと理解しています。 戦前の上海の繁栄と、そこにおける策謀についても文献が多数あるようです(あまり読んでない)。

 (倒幕枢軸:グラバー−薩長連合)
 薩摩−長州連合は、倒幕を目的とする機関です。これを成立させたのが海援隊であり、坂本龍馬といわれています。
 しかし、この理解は国内勢力の結合にとどまっています。
 薩摩−長州連合だけでは倒幕は無理です。

 より本質的には、「グラバーの商社を仲介した薩摩への武器供給取引が本格的に成立した」という点が重要です。

 英国等で生産された銃器弾薬は、マセソン商会の信用を通じて極東に輸出され、これをグラバー商会が買いつけ、薩摩藩に売却します。 この取引の仲介に加わった仲介者が海援隊だったと思います。薩摩藩はたまたま財政状態がよく、特に砂糖の密貿易で設けていたはずです。 当時は砂糖で成り金になれる時代でした。 この金を銃器に代えたわけです。
 
 つまり、倒幕枢軸は、薩摩−長州ではなく、薩摩(+長州)−グラバー−マセソン−西洋金融資本と見るのが妥当な見方です。

 (倒幕プロセスと内戦の回避)
 薩摩−長州連合と幕府との本格的な内戦は回避されました。
 この直後、グラバー商会は破産しました。

 なぜグラバー商会が倒産したのか。
 グラバーは、薩摩長州連合と幕府との内戦を予期し、多量の武器弾薬を上海経由で仕入れていました。 武器弾薬の多くは上海の倉庫に貯蔵され、輸出を待っていたはずです。 薩摩藩から武器代金を回収し、これによって仕入れ手形代金を決済する予定でした。

 ところが、幕府は早々と降参してしまいました。 グラバーは武器の仕入れ代金を決済することができず、倒産してしまいました。
 
 同じころ、幕府側にはパークス公使をはじめとする大陸勢力が接近し、武器供給を申し出ていました。
 幕府がこの申し出を本格的に飲んでいれば、大規模内戦になったはずです。
 この結果、グラバー商会は大儲けしていたはずです。
 もちろん、明治政府は、グラバー商会への支払いと、幕府が降り出した手形の決済とを抱え込むことになったと思われます(国際慣行上は倒幕後の幕府の負債を明治政府が支払う義務は必ずしもないでしょうから、仮定の問題ですが)。
 従って、明治政府は、出発時から超多額の外債を背負い込むはめになったはずです。

 徳川慶喜は、おそらくこの事情を理解し、内戦を回避したのではないかといわれていますね。 彼は我々の恩人です。

 (坂本龍馬について)
 坂本龍馬は、薩摩藩とグラバーとの商取引の開始を仲介したはずです。
 したがって、生きていれば、明治政府の黒幕となったことでしょう。
 しかし暗殺されてしまいました。
 
 竜馬は、倒幕派だったはずなのに、突然、公武合体派に変わり、その後暗殺されてしまいました。
 この理由については、小林 久三氏の「竜馬暗殺」が説得的です。
 
 要するに、竜馬は、最初は倒幕派だったのですが、途中で上記した「内戦」の策謀に気づいてしまったというものです。
 この理由は、推測ですが、グラバー商会が欧州から超多量の武器弾薬を仕入れているという情報を得たからかもしれません。 また幕府側の策謀情報も得ていたでしょう。
 超多量の銃器がなんのために必要なのか? 明敏な竜馬には、大規模内戦を起こすためだと直ちにわかったはずです。

 このため、グラバー−薩摩藩の倒幕路線と対立し、消されたというものです。

 誰が手を下したのかはあまり興味がないんですが、すでに倒幕を決定して多量の武器を購入し終わっていた薩摩藩と見るのが論理的帰結です。 薩摩藩はもはや後戻りはできないという決定をしていたのです。

 (国際金融資本と明治国家)
 グラバー−薩摩藩の仲介者としての竜馬のポジションを乗っ取ったのが岩崎でしょう。
 明治政府は、薩摩−長州藩閥が正当性を装ったものにすぎません。

 各藩とも、明治政府に正当性が乏しいのは内心良くわかっていますが、西洋列強の影を見て、明治政府と争っても先の展望がないと考え、華族身分の保証と引き換えに藩を売ったわけです。
 このとき(玉)の威光が効いたのかどうかは実証的には知りませんが、小室氏はそう主張しています。 そうかもしれません。

 明治政府は最初から軍閥と二人三脚で発足したようですね。(後略)

◆幕末明治維新におけるアメリカの役割 阿修羅BBS
http://www.asyura2.com/0401/idletalk7/msg/558.html

ペリーが来航して、日米和親条約と日米通商条約を結んだ後、「アメリカから当時の情勢を眺めたとき、アメリカは日本に対してどのような活動を行っていたのか(アメリカから幕末・明治維新をみたらどんな風景が見えたのか)」、ということです。

ところで、昔から私は下記の疑問に答えられる人に出会ったことがありませんでした。

「明治維新においては、坂本竜馬の手によって薩長同盟が成立したことが重要なポイントなんだ。当時の状況からみれば両藩が手を結ぶということはおよそありえないことだったんだゾ。だから西郷と木戸を面会させる為の坂本の苦労は並大抵のものではなかったんだ。」と巷ではいうけれど、肝心の鳥羽伏見の戦いのときには、土佐と肥前が土壇場で加わっているじゃないの。これっていったい誰が・いつ・どうやってアレンジして実現したものなの? 薩摩と長州は秘密裏に動いていたはずなのに、それを土佐と肥前に感付かれてしまい、「僕達も仲間に入れて」って言われたから入れてやったの?  なんかおかしいよね。どうして誰もこの部分にふれないの? 誰も疑問に思わないの?

ここでも肝心な核心部分の説明が抜け落ちているような気がする、、、、。

根拠のない私の妄想を結論から述べます。
「土佐と肥前はアメリカを代表とする勢力」ではなかったか、ということです。

我々は後代の人間として、最終的にはイギリスを中心とする薩長連合が、クーデターによって支配権を得たことを知っていますが、当時のほとんどの人は「公武合体」で政局が動いていると思っていました。
フランスもアメリカも日本国内の各勢力分析をする過程の中でそのように理解していたはずです。

当時彼ら外国勢力は、表面上は「一国だけで日本の利権をむさぼるのはやめようや。」という協定を結んでいたようです。だからイギリスもあからさまな手出しは出来ず、薩長達を通じて間接的に秘密裏にことを運ぼうとし、クーデターをやらせようとしました。

ところがこの計画にアメリカは土壇場で気付いたような気配があります。
アメリカは、ジョン万次郎や彦臓(ジョセフ・ヒコ)というスパイを使って国内事情を偵察させていましたが、この彦蔵が、イギリスの動きをキャッチしたようなのです。

彦蔵は、鳥羽伏見の戦いの数ヶ月前に長崎に赴き、グラバーと何事かを打ち合わせたようです。

「グラバーさん。日本語と英語のできる私の目をごまかそうたってだめですよ。
イギリスが、公武合体路線を捨て、近々クーデターを起こすつもりであることは当方(アメリカ)としても既に承知しています。この流れに対して、アメリカがあなた達イギリスに今さらやめろといっても、イギリスとしてはやめるはずもないということも、アメリカとしてはよくわかっているつもりです。しかし、1853年のペリー来航以来種々テマヒマをかけて準備をしてきたアメリカにとって、このままイギリスに日本の利権をむざむざと独占されるわけにはいかないんです。

ここでチョッと考えてみてください。アメリカを幕府側につかせて、イギリスVSフランス・アメリカ連合軍という形になるとすると、そちらさんにとっても事はなかなか厄介なことになると思いませんか。薩長の連中は、威勢はいいが、十分な装備や金もなく、幕府軍に相当苦戦する可能性があることはあなたもよくわかっているでしょう。(国内で武器をたくさん消費させることになり、外国勢力としてはそれも一興ではありますがね、)

実は、あなた方イギリス軍が薩長を手なずけてきたことと同様、我々も私とジョン万次郎の線から土佐を、フルベッキの線から肥前をオルグすることに成功し、来るクーデターとその後に続くであろう内乱に際しては、これらの藩の軍隊を、薩長軍(イギリス)に味方させることも、幕府軍(フランス)に味方させることも可能な状況にあります。

そこで相談ですが、来たるクーデター戦争においては、我々アメリカ(土佐・肥前連合軍)もイギリス側に一枚かましてはもらえないでしょうか。
当然、新政府が出来た暁にはそれなりのポジションと利権を分けてもらうという条件つきということになりますがね。」

詳細は自信ありませんが、このような会話が2人のあいだで交わされ、グラバーは最終的にこのアメリカのオファーに乗ったようです。(上海の了解は得たでしょうが。)

この会談を受けて、板垣等は土佐において軍団を上方へ送る準備をそそくさと整えたような気がします(板垣って本当に小物だな。)。

イギリスは、いったんは自軍補強のためアメリカと妥協を図りますが、明治維新後「自国の勢力固め・アメリカ勢力の放逐」を少しづつ実行していきます。
明治4年の欧米派遣使節は、ほとんどイギリス系の息のかかった人間ばかりであることに注意する必要があると思います。
副島、板垣、江藤等、いわゆる明治6年の政変で放逐されたのは、西郷等の一部例外を除き、土佐・肥前系が多くなっています。(大隈も14年に失脚させられる)。

明治維新は、イギリスとアメリカの日本における縄張り争いという側面も持っていたのです。
例えば、80:20で日本がイギリスのものとなったと仮に数字を置くとすると、その後何とかその20相当分の影響力を残そうとするアメリカと、100%利権を独占しようとするイギリスとの戦いという観点からみると、明治維新の別の側面が見えてきます。

それは、70年後の第二次大戦が、「なんとか日本に対する影響力を残そうとするイギリスと、新たな日本の支配者であろうとするアメリカの戦い」という側面を持っていたこととちょうど攻守を逆にした戦いであったこと(最近このことを立証する本が出ましたが、題名を忘れました)を考えれば、素直に納得していただけるのではないか、と思います。

ここで座興として妄想を更に膨らまします。
アメリカの戦略としては、新政権発足後、次第にアメリカの足場を崩そうとするイギリスに対し、あせりがあったはずです。
だとすれば、明治6年の政変により失脚した江藤或いは西郷に影からこっそりと支援の手をさしのべることにより、イギリスに対する一発逆転の道も内部では真剣に検討されたはずです。(私がアメリカの責任者だったらそうします。)

当然イギリスは、他の外国勢力が反政府軍側につくような動きに対してはキチンと警戒の網を張っていました。
西郷のいる鹿児島には、Willis?(はっきり記憶がありません)とかいう名前のイギリス人を直前まで配置し、その動向を監視していますし、いよいよ西郷軍が兵を挙げる直前には、わざわざ西郷の旧友(陰謀仲間)であるアーネストサトウを日本に呼び戻して鹿児島に派遣し、政府軍が確実に彼をしとめることができるのかを見に行かせています。


(私のコメント)
先日の「その時歴史は動いた」で「アラビアのロレンス」をやっていましたが、その当時のアラビアと日本の明治維新の時の構図が同じであることに気がつきました。仕掛け人が同じイギリスとロスチャイルドですから、アラビアと日本と同じ動きがあっても不思議ではない。アラビアではT・E・ロレンスが活躍しましたが、日本ではアーネスト・サトウが同じ役割を果たしている。

二人とも現地の言葉を話せて、現地におけるリーダー役を見つけ出し、将来はイギリスとロスチャイルドの意のままになるような政府を作る目的で現地へ派遣された。アラビアのロレンスはファイサル王子を見つけ出して反乱の立役者にしたし、アーネスト・サトウは薩摩の西郷を見つけ出して倒幕の立役者にしている。西郷はあれほど長州を嫌っていたのに手を結んだのは坂本竜馬の働きだけによるものではない。

坂本竜馬も西郷隆盛も最後は悲劇の最後遂げますが、これは二人とも心底では公武合体派であり、これがイギリス政府とロスチャイルドの逆鱗に触れて始末されたのだろう。イギリスの犬だった明治の元勲達が出世したのに、西郷が外されたのはイギリスの方針に忠実ではなかったからだろう。西郷はイギリスの犬になることは出来なかった。

日本を開国させたのはアメリカのペリー提督ですが、ちょうど南北戦争が起きてしまい日本に対する工作活動は中断せざるを得ない状態だった。南北戦争自体もイギリスの陰謀くさいのですが、アメリカも第一次二次世界大戦を起こさせてイギリスに報復している。イギリスはそれに対して911テロで再報復しているのだろうか。将来はアメリカに第二次南北戦争を起こさせる伏線かもしれない。

日本の明治維新にもアラビアのロレンスがいた!

◆副島隆彦 歴史講演会 劇画版 『属国・日本史論 幕末維新編』 9月20日
http://www.soejima.to/cgi-bin/kouen/kouen.html

◆劇画版 『属国・日本史論 幕末維新編』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4907838220/qid%3D1095493011/249-9743977-5164334

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