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(回答先: 奇妙な約束(萬晩報) ― パレスチナ問題を解決困難にする宗教観念。及びマラソン妨害事件 投稿者 シジミ 日時 2004 年 9 月 01 日 22:36:14)
以下のように書くと、怒る人もいらっしやるかもしれませんが、私には「硬直した議論と実践」が世界を覆っているように見えてならないのです。
「神ヤハウェが、イスラエル人に土地を与えた。エジプトの河から大河ユーフラテスまで。すでに他の八民族が住んでいる所を。」
「神はモーゼにカナンの土地を与える、と言われた。」
この言葉から容易に推測できることは、ユダヤ人が漂泊の民であったということです。
モーゼの時には漂泊の民でした。前者の時もそうでしょう。
「漂泊している民・民族」を安定させるには、定住させればよいわけですが、その「定住」をさせるために、「神」は、地域を限定されて「この範囲内に住みなさい。既に住んでいる民族のなかに混じって彼等と仲良く暮らしなさい」と言う意味で聖書に記されている言葉を発っせらたと言うのが、本当のところではないだろうか。
そうしないと、何時までも漂泊の運命から逃れられないでしょう。
ユダヤ人が漂泊の民になったのは、旧約聖書に総てが記されているとは思いませんが、記されていることからも容易に推測できるのは、超古代においての「秩序の崩壊」であったのだろうと思います。それが何度も起きたのでしょう。始めから漂泊していたなんて事は有り得ません。
ユダヤ人が神の言葉(これは彼等が創作したものではないでしょう。神との交流はあったと思います。)を後に、帝国主義的動機から勝手に狭く解釈して、それを押し立てて、侵略帝国を創り上げたのではないだろうか。
要するに、聖書に記されている「神の言葉」をユダヤ人達が(後のと言うことだが)勝手に解釈した「内容」を巡って、批判する方もされる方も議論し有っているということではないのか。
ユダヤ人のおかれた立場を推測できるのだから、周りの状況もわかる筈で、そこで発せられた「神の言葉」は平和を招くものでない筈がないのであり、そこから、「神の言葉」の当時の本当の意味を推測出来るのではないか。想像力を働かせればそれは出来ると思うのです。
恐ろしいことに、「神を裏切れば」どの様になるかについて、本人達がいかに主観で神に従っているつもりでも、関係なく審判が下ることは、「これでもか、これでもか」と書かれていると思うのです。
お邪魔しましたかな。
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