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この星は人生を全うさせる、優しい星である。時の流れは人をせきたてることはない。太陽の恵みはこの星に命あるものを生みだし、生きる間を与えてくれる。我らは自然のひとつとして、世代を重ね、数百万年の種の保持に成功している。これからも生きて行く人類が自然のひとつである限り、何百万年もの先まで種は保たれるであろう。
しかし、人類は自然を飛び出し、万物の霊長として自然界に君臨している。そしてこの星の資源を枯渇させるまでの、歳月を計れる様にしてしまった。それも数百年、数千年という単位で。今人類は資源の食いつなぎに智慧を絞っているが、それは人類の歴史から見ればほんの一瞬の食いつなぎに過ぎない。
現代の我らが遠い祖先を持つ様に、遠い子孫の為に人々の智慧を活かすべきではないだろうか。それとも、遠い子孫は不要であろうか。人類の消えたこの星が、他の生き物に悠久の時を与えるのも、宇宙の真理かもしれないが、人類の一員としては寂しすぎる。やはり、遠い子孫がこの星で生を全う出来るようにしておくのが、ここ数百年間に生きる人類の果たすべき役割ではないだろうか。その為には出来うる限り、自然に戻るべきであろう。智慧ある者の自然回帰に。
しかし、現代の全人類が一斉に自然回帰を始めれば人類は滅亡するであろう。人工の暮しに慣れすぎている上に、自然に生きる智慧を失っているからである。ここでは自然回帰の先達にその方法を探らせるのが上策かと思う。その先達たちが自然へ回帰できるところから、してみてはどうだろうか。
それではその先達に誰をあてるか。経済動物を解脱した者、つまり現業を退いた者がうってつけではないだろうか。現代の大量消費社会では、幼くして教育産業の経済動物とされ、長じて実業界の経済動物を務め、老いて終末産業の経済動物を強いられる。このサイクルを絶ちきり、自然回帰の扉を開けられるのも老いの智慧ではないだろうか。老いこそが自分の一生が全う出来た様に、子々孫々の一生に思いをはせるゆとりが持てるのではないだろうか。
〈 以下、2000/09/22記 〉
http://homepage1.nifty.com/kikugawa_koubo/riso.htm