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情念の身体
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/701.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 8 月 17 日 05:22:30:ogcGl0q1DMbpk
 



http://blog.goo.ne.jp/kayaman55/

軍事植民地日本。
そこで独自的に思考することは難しい。在日米軍が列島に思考無力電磁波バリアーを生成しているからである。

植民地の民度は独立国の民度よりも高度なのであろうか?

アテネオリンピックで軍事植民地日本のサッカーチームは敗北したが
アジアの王者を決定する試合では勝利した。

そこでは「抗日」「小日本打倒」の横断幕が世界映像として配信された。
さらには日本国旗が燃やされる。
田中角栄が東南アジアを訪問したときも反日デモが爆発した。70年代である。
そのとき現場にいたおらの友人は日本に帰国してから
「なんで日本はあんなに嫌われるんだろう?」とつぶやく。

東アジアの各地では、今も大日本帝国軍による破壊行為を弾劾する石碑が建っている。

80年代後半から1992年頃までは
アジア人労働者が日本にやってきた。
最初はスナックや風俗セックス産業で労働させられた女性であった。
次に建設現場や製造現場で労働させられた男性がやってきた。

「日本とはひどい国だ」と彼・彼女たちは憎悪をもって
生まれ故郷に帰国していった。

おらは賃金不払い・労災もみ消し、など数々の現場を忘れることができない。

日本はアジア民衆に嫌われている、これは確実である。
台湾民衆から好かれていたが、やがてここでも嫌われていくだろう。

おらも建設現場で台湾人と出会ったことはなかった。
台湾経済は日本へ外国人労働者として来なくても、経済は発展していたのである。
つまり台湾人とは日本社会の過酷さを知らないから、「日本が好き」という幻想が成立したのである。

韓国・中国・フィリピン・バングラデッシュ・パキスタン・イランなどには
日本社会でおのれが受けた蔑視体験は帰国した人間から
民衆に伝わっている。
彼・彼女たちは日本社会の過酷な底辺から日本を洞察してしまった人々である。

日本での建設現場・工場製造現場で切り落とされた手の指・手・足の指・足がうずくたびに
日本への憎悪が心に現出してしまう人々がいるのである。


重慶でのサッカー試合
「おれはおまえたちにゴミを投げたが、おまえたちがおれたちに落とし投げたのはなんだ?!」
まさに中国民衆の本音の声がTV映像として配信された。
まさに中国からの叫び声である。
動物であるおらは嬉しくなった。「中国民衆は歴史を忘却していなかったのだ」と感動したのである。

北京での試合においては
「抗日」の横断幕が登場した。
これまで映画や記録映像で見てきた侵略戦争に抗する中国民衆がついに
現在のTV映像で「今といまの今」として登場したことにおらは感動した。

中国共産党が扇動しているのではない。その逆であり
グローバル近代化・現代化に疾走してきた資本主義中国共産党の統制が無力化してきた前兆であろう。
中国社会のタガがはずれたことにより
民衆の本音が現出したのだ。
その本音こそ身体遺伝子である。
中国民衆は日本を許してはいなかったのだ。

自分は1972年田中角栄と周恩来によって発動した日中友好は
嘘であると思ってきた。
それ以降のシルクロード流行など嘘であると思ってきた人間である。
何故ならそこには中国民衆の中国からの壮絶な叫び声は消却されていたからである。
国家官僚と国家官僚の蜜月であり
焼き尽くし・奪い尽くし・殺し尽くした破壊行為の事実への痛みもない日本世間様が
中国へ行くことに
「ふざけるな!」とひとり憤怒してきた人間である。

民衆の本音と本音がぶつかり、そこにおいて庶民は
リアリティある世界像を確認する。
民衆の原則とは
言語化できないままにも、おのれの身体に生存する情念であり
身体遺伝子である。書かれなかった歴史を民衆は語りだす。
身体が記憶しているからである。

そして軍事植民地日本においても
庶民の情念は身体に刻印されている。これが身体の世界観である。

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ケムトレイルと731
http://www.asyura2.com/0311/jisin10/msg/357.html

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「原爆投下と無差別爆撃−重慶から広島・長崎へ−」


http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/report/re083.html

V 重慶爆撃―「ヒロシマに先行するヒロシマ」・「引き延ばされたゲルニカ」

☆ 日本軍による中国・重慶に対する戦略爆撃の特徴(前田哲男氏)

@ 「都市そのもの」を攻撃対象とする明白な意図の下、持続的な攻撃だったこと。ゲルニカ爆撃と違って一回限りでなく、2年半、218回にわたって続き、1万1885人が犠牲となる。

A 「空軍力のみ」による攻撃であったこと。南京や上海への侵攻作戦と異なり、地上部隊とまったく連携しない、空からの攻撃のみに終始した。

B 「戦争継続意志の破壊」が作戦目的に掲げられ、「戦略爆撃」の名称が初めて用いられたこと。したがって市街地と市民が目標であり、対人殺傷用の焼夷弾が多用された。また使用されなかったものの、化学爆弾と細菌爆弾も準備されていた。

※重慶爆撃とは、「殺す者と殺される者」との間に眼差しを欠いた、機械的で無感覚な無差別殺戮であり、長期にわたった点で「引き延ばされたゲルニカ」の側面を持ち、かつ大量殺戮兵器まで準備された点で、思想的には「ヒロシマに先立つヒロシマ」の意味を持っていた。

 ☆海軍航空隊の指揮官として、重慶爆撃に参加した巌谷二三男氏の証言
「 [一九四〇年]六月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。すなわち市街東端から順次A、B、C、D、E地区に区分して、地区別に絨毯爆撃をかけることになった。」
「六月中旬以降の陸攻隊は連日、稼働全兵力をあげて重慶に攻撃を集中した。その都度偵察写真が描き出す重慶市街の様子は、次第に変わり、悲惨な廃墟と化していくように見えた。何しろ殆ど毎日、五十数トンから百余トンの爆弾が、家屋の密集した地域を潰していったのだから、市街はおそらく瓦れきと砂塵の堆積となっていったことだろう。」
「 ことに[八月]二十日の空襲は陸攻九〇機、陸軍九七重爆十八機、合わせて百八機という大編隊の同時攻撃で、これまた一連空が漢口からする最後の重慶攻撃となった。この日、爆撃後の重慶市街は各所から火災が起こり、黒煙はもうもうと天に沖し、数十海里の遠方からもこの火煙が認められた。」
(巌谷二三男 「海軍陸上攻撃機」朝日ソノラマ)

 ☆陸軍航空隊独立第一八中隊(司令部偵察飛行隊)の一員として重慶爆撃に参加した、河内山譲氏の証言

「五月末迄2連空は夜間爆撃を主としていたが、途中で1連空と共に昼間に切換え、目標も重慶の軍事施設だけを選別していたのを改め、市街地をA・B・C・D・E地区に区分した徹底的な絨毯爆撃に変更した。」(河内山 譲 「司令部偵察飛行隊 空から見た日中戦史」叢文社)

「[一九四〇年]七月下旬漢口に進出した零戦隊の飛行隊長横山大尉は十月頃のある日(期日は明らかでないが十月中と思われる)命により重慶爆撃の効果確認のため、単機重慶の低空偵察を結構したがその時の重慶市街は文字通り廃墟と化し、惨憺たる光景を呈していた。」(「日本海軍航空史 4戦史篇」日本海軍航空史編纂委員会編、時事通信社)

W 東京大空襲と広島、長崎への原爆投下への道

※ 重慶爆撃から、ドレスデン爆撃をへて、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下という「戦略爆撃のブーメラン」(前田哲男氏)

@ 日本軍による中国における「要地攻撃」

A 米英軍のヨーロッパでの「地域爆撃」

B 米軍による日本への「地域全体爆撃」

「無差別爆撃はヨーロッパのおける『ゲルニカ空爆』から本格化し、第2次大戦ではワルシャワ、ロッテルダム、ロンドンでナチが市民を攻撃目的とする爆撃をやっており、その仕返しとして連合軍は、ベルリン、ドレスデンなどで無差別爆撃を拡大した。アジア太平洋地域では、日本軍がまず最初に南京、武漢、上海、重慶などの都市住民を対象に無差別爆撃を行った。ここでも逆に日本が米軍によって無差別爆撃の仕返しを受ける。日本各地が焼夷弾や大型爆弾でやられ、東京大空襲では数時間で10万人という多くの人たちが降り注ぐ焼夷弾の犠牲になった。その無差別爆撃の頂点として、広島・長崎があると考えます。」田中利幸(広島市立大広島平和研究所教授)

「この殺戮に関して重大なのは、敵のテロの目的である。南京と上海はすでに爆撃されていた。しかしそれは軍事上の目的だった。それに対し、重慶の古壁の中には、軍事目標は何一つなかった。にもかかわらず、日本軍は、重慶を灰塵と化す対象に選んだのだ。そして、彼らが理解し得ない精神を挫き、政府の抵抗を打ち破ろうとした。その後、わが軍が日本軍を攻撃するようになっても、私はいささかも良心の呵責を感じなかった。無分別なテロであった重慶爆撃は、私の政治観に直截かつ根源的な影響を与えた。」(重慶爆撃の時、現地にいた雑誌『タイム』特派員セオドア・ホワイトの証言)

☆重慶爆撃の目的…「都市を徹底的に破壊することによって、敵を敗北させようとする企図」をもって戦略爆撃を実行=「戦政略的航空戦を敢行し、敵の継戦意志を挫折させること」1938年12月2日付の天皇の名による命令(大陸命第二百四十一号)


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