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(回答先: 「通州事件」および「歴史修正主義について」 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 8 月 07 日 22:19:06)
そうすると結局は、ある歴史的事実があったのなかったのという議論よりも、ある歴史観の背後にあるイデオロギーをどう評価するかということが大事になって来ますね。
保守系の方も左翼系の方もそろって、自分はあらゆるイデオロギーから自由な立場にいるとか、それをめざすとかと言っていたりもします。そして特定のイデオロギーに捕われているのは常に自説に敵対するほうの人たちなのです。
どっちも同じことなら、どっちがあたしの得になるかを良く見極めてから、得になりそうなほうに賛成してみる。まあ自己責任で、ね。おそらく未来は特定のイデオロギーに沿って進むわけではないでしょうし、あたしの願いごとが叶う(あるいは叶わない)ようにわざと物事が進むわけもないらしいので、どっちに賭けても結果としての収支はたいして違わないのかも知れません。
そんな開き直ったようなことを言ってしまうのも、どっちの人たちももあたしから何かを奪おうとしているからでしょう。奪いたいものはそれぞれ別々らしいけど。そのかわりにやっぱりそれぞれ別々だけれども何かをくれるらしい。もちろん歴史学者はそんな乱暴はしません。やるのは他の人で、それを正当化しようとしているだけで。正当化しようとするところをみると、どっちにしろ奪われたくないものを奪われたり、欲しくないものを与えられたりすることになるようです。で、あたしが文句を言うとして、それに対してあらかじめ言い訳を考えているようですね。でもわざわざ言い訳してくれるなんで有り難いことです。それで後になって言われるんですよ、「あのとき言ったでしょ!」
何を捨てても良いのか、何が欲しいのか、もうちょっと良く考えてみたいと思います。