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「英国に関する考察-ブレアは何故失速したのか」 【寺島実郎】
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投稿者 エンセン 日時 2004 年 8 月 12 日 02:46:57:ieVyGVASbNhvI
 

 
寺島実郎の‘発言’

世界 2004年8月号 連載「脳力のレッスン」

「英国に関する考察-ブレアは何故失速したのか」

  1975年夏、つまり30年近く前、初めての海外勤務地であったロンドンに立った。何もかもが新鮮な英国体験であり、必死に英国を見て歩き、文献に触れ、半年をかけて「英国に関する考察」というレポートをまとめた。このレポートがきっかけとなって当時の中央公論誌粕谷一希編集長が同誌に書いてみないかと声をかけてくれ、「英国病の症状とは」という小論を寄稿した。私にとってそれが最初の雑誌論文となった思い出の原稿である。
 あの頃既に、アンソニー・サンプソンの「英国の解剖」やM・シャンクスの「ゆきづまった社会」、A・モロウの「英国史」などが衰亡する英国を分析していた。経済社会の成熟過程で、英国が次第に「モノをつくらない経済」に傾斜して金融に依存する国に変質しつつあること、社会主義政策による国家統制の行き過ぎが経済の活力を削いでいることなど、私は英国の現実に衝撃を受け、ロンドンの街を歩き回りながら思考を巡らせたものである。

長期低落国家  
 20世紀を迎える頃、すなわち1900年の英ポンドの対ドル相場は1ポンド=4.84ドルであった。夏目漱石がその葬列を目撃したビクトリア女王の死去が翌年であり、大英帝国の黄金期は過ぎていたものの、ビクトリア期の栄光の余韻の中に英国はあった。
 1805年のトラファルガー海戦でスペインの無敵艦隊に勝利し、海洋帝国としての地位を確立した英国にとって、正に19世紀は英国の世紀であった。1837年から在位64年となったビクトリア女王こそ大英帝国黄金期の象徴であった。とりわけ1850年代から70年代が英国産業空前の繁栄期であり、地主貴族に代わり新興ブルジョアジーが台頭した。この中産階級の利害と心理を踏まえ「君臨すれども統治せず」という新たな立憲君主制を定着させたのがビクトリア女王であった。A・トインビーは、1897年の英国について「英国人は歴史は終局を迎えたと見ていた。・・・・・・『太陽は天頂に達し、そこにとどまる』というパリサイ人的独善観念にとりつかれていたのだ」と述べている。
 「アメリカの世紀」となった英国の後退が続いた。為替レートは長期的にはその国の経済力を映す鏡のようなものだが、私が最初に英国を訪れた1975年にはポンドは2.54ドルとなっていた。その後80年代には1ポンド1ドル近くにまで下落したこともあったが、サッチャー革命を経て現在(2003年)は「ポンドの過大評価」ともいわれる1ポンド=1.63ドルの水準にまで回復している。  
 英国経済にとって僥倖にも近い要素となったのは北海原油であった。正に1975年に商業生産を開始したのが北海原油だったが、2003年には英国の産油量は日糧229万バーレルとなった。北海原油全体では日糧で595万バーレルという驚くべき生産水準になっている。この石油収入がなかったならば、英国は低落を加速させていたかもしれないが、皮肉にも石油が出たことに依存して産業構造の高度化、つまりより付加価値の高い産業の創生が遅れたともいえる。  
 例えば、ここ数年の欧州経済の中で、英国は実質3%前後の成長を持続し、表層観察のエコノミストからは「サッチャー革命を推し進め、改革開放で成長力を取り戻した英国経済は良好」との判断が語られがちだが、産業力という視点から英国を再考するならば、悲しい現実が見えてくる。基幹産業たる電力産業においてこの20年で進行したことは、主要電力会社12社の内6社がドイツの資本、3社がフランスの資本、2社が米国の資本の傘下に入った。自動車産業についても、ジャガーをはじめ、英国の主要自動車会社は例外なくドイツと米国の資本の傘下に入った。それこそがグローバル化であり、海外の資本を取り込み成長力を取り戻すことは結構なことだという考え方があっても不思議ではない。しかし、国の産業力をいう視点からは英国産業の空洞化といわざるをえない。特に、新しい産業技術の研究開発力や新産業の創生力を観察するならば、英国の活力は衰え続けていると認識せざるをえない。「20年遅れのサッチャー革命」といわれる日本にとってもこの話は他人事ではない。

トニー・ブレアの失速
 1997年、「第三の道」を掲げてトニー・ブレアが登場した時、大きな期待をもってこの人物を注目した。米国流の競争主義・市場主義の導入を推し進めたサッチャー革命の後を受けて、ブレアの労働党がいかなる政策を展開するのか、大いに期待したものである。「第三の道」は分配の公正、雇用の安定、参加が支える福祉の確立などの社会政策によって行き過ぎた市場経済化を制御しようとする壮大な実験であった。しかし、その成果を見極める以前に、第二期に入ったブレア政権は9.11同時テロ以降の「逆上するアメリカ」に揺さぶられて内政よりも外交に迷い込み始めた。本来は、内政に専心して「第三の道」を実体化させるべき局面においてブレア政権は不幸な疾風怒涛に巻き込まれていった。
 「民衆の側に立つ」ことを身上として政権についたブレアが、国際社会の問題に向き合う時、必ずしも世界の民衆と目線を同じくするのではなく、「支配者の目線」、すなわち大英帝国の世界支配の記憶から抜け出せない現実を我々は思い知らされた。「サダム・フセインの非民主的専制支配」を許し難いというブレアの政治信条があったことも確かだが、イラク攻撃に向かったブレアの判断の深層には、かつて1917年にオスマントルコを駆逐してバグダッドを陥落させ、人工国家たるイラク建国を強行した大英帝国のメソポタミアへの「当事者意識」(支配者としての記憶)が埋め込まれていたことも否定できない。でなければ、ブレアほどの見識を有する指導者が、何故にブッシュのアメリカを支持し続け、英国をイラク戦争へと引っ張っていったのか、納得がいかないからである。
 ブレア外交が目指したものは、長期低落基調の中にある英国を21世紀においても「指導的な中軸国家」としての位置に置くことであったろう。英国は多様な外交基盤の上に立つ。まず英連邦54カ国であり、依然としてその盟主としての地位を維持している。次が英米同盟であり、英米同盟を軸に欧州での安保機構NATO(北大西洋条約機構)を主導している。さらにEUであり、欧州統合の拡大と深化の中で、欧州への影響力を確保しようとしている。
 ブレアはこうした基盤に立って、単独覇権主義に傾斜しがちなブッシュのアメリカを制御して国際社会に責任ある関与をさせる方向に導くことを意識したといえる。また米国との連携によって欧州への影響力を最大化させ、統合欧州での英国の存在感を高めることも視界にあったことは間違いない。そもそも、ブレアこそ、9.11後のアメリカが恐怖心から自制心を失い、力の論理に傾斜していくことの危険性を誰よりも感じとっていたといえる。アフガン攻撃からイラク戦争に向けて、「テロとの戦い」で目が血走り、戦争の正当性の説明を欠きがちな米国に代わって、国民と世界に対して懸命に戦争の意義と戦後ビジョンを語るブレアの痛ましいほどの姿を何度となく目撃した。
 結局、皮肉にも政治家としてのブレアの才覚への過信がブレアの迷走と失速をもたらしたといわざるをえない。イラク攻撃を国際的合意形成の中で実現しようとした思惑は、「それでは自分だけでやる」というブッシュ政権の単独行動主義に翻弄された。欧州への影響力の拡大も、むしろ米国からの積極的自立を志向する欧州の潮流から孤立する結果を招いた。焦燥感の中で、ブレアはEU憲法に関して英国民の国民投票を行うと明言したが、実行されないままの欧州共通通貨ユーロ参加を巡る国民投票とともに、ブレアの首相としての求心力の喪失を印象付ける結果となった。今、国民投票を行ったならば、英国民の選択は「NO」となることは明らかで、むしろ英国がEU最初の脱退国となる可能性さえ予想されるのである。正にブレアの正念場である。

http://mitsui.mgssi.com/terashima/0408.html

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