★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ36 > 642.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「マスター・アンド・コマンダー」
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/642.html
投稿者 TORA 日時 2004 年 8 月 08 日 17:55:41:CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu76.htm

--------------------------------------------------------------------------------

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」
と「マスター・アンド・コマンダー」

2004年8月8日 日曜日

◆「マスター・アンド・コマンダー」より
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000YTR8C/249-9566959-3709931

ナポレオン率いるフランス軍が、各国に侵攻していた19世紀初頭。不敗神話を誇る、イギリス軍の艦長ジャック・オーブリーが率いる「サプライズ号」が、フランスの武装船に果敢な攻撃を挑む。艦長役でオスカー俳優ラッセル・クロウが主演。ハリウッド王道の超大作とはちがい、さまざまなポイントで興奮と感動を与える海洋アクション・ロマンだ。
映像で驚かされるのは、サプライズ号が大嵐にもまれる場面。巨大な水槽での撮影にVFXも駆使して完成した嵐は、間違いなく、これまでの映画にはない迫力を生み出している。そして異例とも言えるガラパゴス島のロケでは、イグアナやカメの姿はもちろん、シュールな大地の光景が収められた。監督は『いまを生きる』などのピーター・ウィアーなので、少年船員たちの友情と勇気のドラマにも大きく焦点が当てられ、ツボにはまった感動が訪れる。衣装や船のデザインの細部に至るまで、あらゆる場面が“しっかりと”作られていることを実感できる良質の大作。それでいて妙に繊細なラストシーンなど、一筋縄ではいかない魅力も詰まっている。(斉藤博昭)


◆「パイレーツ・オブ・カリビアン」より
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009XLLF/249-9566959-3709931

18世紀のカリブ海を舞台に、海賊たちの呪いを解く黄金のメダルの「最後の1枚」をめぐる、アクション・アドベンチャー。港町ポート・ロイヤルの総督の娘エリザベスが、その1枚を持っていたことから、海賊の一団にさらわれ、彼女を愛する青年と、一匹狼の海賊が救出へ向かうという物語だ。
ポイントに見せ場を配し、娯楽作に徹した作りで最後まで飽きさせないのは、さすがにジェリー・ブラッカイマー製作。ゴア・ヴァービンスキー監督は、カット割りやカメラ・アングル、音楽の付け方などアクションの見せ方がうまく、なかでも満月の夜、海賊たちががい骨となって現れるシーンの恐怖は、リアルなVFXが効果を上げている。
この種の映画では、俳優たちの演技は二の次になるのだが、本作はオスカー俳優のジェフリー・ラッシュ、『ロード・オブ・ザ・リング』のレゴラス役、オーランド・ブルームらが嬉々として演じている。そして、ジョニー・デップの存在感! 台詞回しや道化的な動きで笑わせる彼が、ラストに見せる凛々しい表情は文句なしにカッコいい。彼ら欧米の俳優にとって、海賊は憧れの役だというのが、ヒシヒシと伝わってくる。(斉藤博昭)

◆海上覇権の争奪 篠原陽一(著) 帆船の社会史より
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/hansen/page007.html

1 海商破壊戦と私掠船の役割

 海軍の最終目的は、海上覇権の獲得にあるが、海商にかかわる任務といえば、自国船の海
商路(シーレーン)を確保・維持するため、軍艦、商船を含む敵国船を撃破、拿捕、制圧し、敵
国船から自国船を保護することにある。それをめぐる一つの重要な節目に大海戦が起きる。

海商路はおおむね決っているとはいえ、やはり広大な海のなかで帆船でもって争っているわけ
であるから、大海戦だけで決着はつかない。敵国船に対する息の長い戦争とならざるをえない
が、だからといって多数の軍艦を常時かつ広域に配置できるものでもない。そこで、商船がま
ずもって自衛するにしても、それで事足りるわけではないので、軍艦の役目を引き受けてくれる
商船がいれば、それにこしたことはない。それが私掠船である。私掠船は、特にいまだ十分な
海軍力を持つにいたっていない後進海商国が、先進海商国の海商路に食入って、自らのそれ
を開こうとする場合、また海軍力が弱化した国が従来の海商路を維持しようとする場合に決定
的な役割をはたした。前者の例が16、7世紀におけるオランダやイギリス私掠船のスペインや
ポルトガルに対する活躍、また18世紀におけるアメリカ私掠船のイギリスに対する活躍であ
り、後者の例が18世紀におけるフランス私掠船のイギリスに対する活躍である。

 イギリスが、1588年スペインの無敵艦隊を撃破したが、その後1595年まで西インドに航海
したイギリス船はそのほとんどが私掠船であった。それによりスペインは衰退し始める。その
活動が激しかったため、当時のイギリス船は「海賊船」だと評価されることになった。他方、アメ
リカは独立戦争中(1775−83年)私掠船を繰り出してイギリス船に襲いかかり、それを大きく
後退させた。「1775年11月、アメリカ貿易に従事していたイギリス船600隻がロンドン河に係
船を余儀なくされ、1776年2月の1週間にロンドン税関庁に出帆を届けた船はたった7隻であ
った。1775年秋になると、アメリカの私掠船はフィラデルフィアの他、北アメリカの東海岸で艤
装を終り、1776年1月ごろから北大西洋の各地点で活動し始めた」(コース93ページ)。ま
た、「アメリカとの2回目の戦争中の1812年10月から1814年までに、800−1000隻のイ
ギリス商船がアメリカの軍艦や私掠船に拿捕されたと記録されている。その一方で、同数のア
メリカ船がイギリス船に捕まったともされている」(同96ページ)。

 このような軍艦とそれを補完する私掠船の拿捕活動は、普通、海商破壊戦(commerce
raiding)と呼ばれ、19世紀末までの海上における主要な戦闘であったのである。「海商は軍艦
旗のあとに従う」といわれるが、これからいえば「海商は私掠船とともに進む」というべきであ
る。(中略)

5 私掠の終えんと海賊の賑わい


★私掠船から海賊に転向★

 スペインの無敵艦隊との海戦に参加した200隻以上のイギリス船のうち、150−160隻は
商船であったという。それはともかく、この海戦でイギリスは海事国として本格的にその勢力を
拡大する機会をつかんだ。イギリスの船腹は、1582年の6万7000トンから1629年には11
万8000トンとなった。エリザベス1世にかわったジェームズ1世(在位1603−23年)はスペ
インとの和解をすすめ、それに対する敵対をやめた。その後、30年戦争が起こるが、海上は
おおむね平和であった。

 イギリスは、16世紀中頃、絶対主義を確立し、経済発展の道を整えていたが、それはすぐれ
てブルジョアに富を急速に蓄積させ、その地位を高めさせた。1642年の清教徒革命、1688
年の名誉革命を経て、イギリスの商工業は大いに発展した。他方、オランダもそれにおとらず
成長し、ヨーロッパにおける金融、貿易、海運の中心となった。イギリスは、1651年航海条例
を発布し、オランダに打撃をあたえ、さらに翌年からの3次にわたるイギリス・オランタ戦争に
打ち勝った。

 このようにして、イギリスは海事国として、スペイン、オランダ、フランスと相並ぶ勢力になると
ともに、植民地貿易の排他的な支配が確保されていった。1671年にはスペインとマドリッド条
約、1696年にはフランスとライスワイリ条約を結んだ。海上覇権や植民地貿易における縄張
りが一時的にも確定され、次第に海運貿易の秩序が築かれていくこととなった。そのなかで、
冒険・略奪・私掠はその役割を終えることになったが、それと同時に海賊がはびこり始めたの
である。

 17世紀中頃より、大西洋から追い立てを食った私掠船は西インドやカリブ海に集まり、バカ
ニーア(baccaneer)と呼ばれる海賊となって行った。彼らは、「海岸の兄弟」(Brethren of the
Coast)という反スペインの海賊連合まで結成し、17世紀後半にはバカニーアの黄金時代を築
いた。各国の植民地総督は、彼らを陰に陽に庇護し、戦争が始まると私掠許可状をあたえた。
バカニーアのなかで、もっとも有名なのはヘンリー・モーガン(1635−1688)で、「カリブ海の
王者」と呼ばれ、イギリスがジャマイカを手に入れるのに協力し、ナイトに叙せられ、その副総
督にもなった。

 しかし、すでにみたように、海上の平和が求められるにつれ、バカニーアたちの利用価値は
低下していかざるをえなかった。イギリスはモーガンなど私掠船船長を使って、バカニーア狩り
をはじめた。そのため、彼らはいままでの栄光ある地位を失い、「全人類共同の敵」に転落さ
せられていった。西インドやカリブ海から追い払われたバカニーアたちは北アメリカ、アフリカ
西岸、航海、インド洋に散会した。文字通り純粋な海賊パイレーツ(pirate)が、もっともも活躍し
たのは17世紀末から18世紀の30年代までであった。このパイレーツも、それ以前の私掠時
代にくらべれば、まことにささやかなものであった。

 なお、こうしたバカニーアからパイレーツへの転換期に、先にのべたキッドは国王から海賊鎖
圧の委任状と、海軍卿から私掠許可状を受けて、インド洋に乗り出して行ったのである。ところ
が、本来の獲物がかからなかった。そこで、キッドは海陸で手当たり次第略奪し始め、また政
変のあおりを受けて、海賊として宣告され、死刑になった。

 このキッドの航海と死刑は、投機として私掠を企画したり、また私人に海賊鎮圧を委任する
やり方が、有効でなくなりつつあることを示した。18世紀に入っても、私掠はけっしてなくならな
かったが、イギリスが19世紀前半に産業革命を経過して、資本主義を確立し、世界を制覇す
るなかで、それを必要としなくなり、航海の安全こそ守るべき原則となったのである。19世紀に
入って、各国は海上における掠奪行為を重罪とする法律を制定し始めた。そして、1856年の
パリ条約は私掠を禁止しあうことにし、多くの国ぐにがそれにならった。そうしたことで、私掠は
先進国においては消滅して行った。それとともに先進国人の海賊も追い込められて行った。

★人類の敵、海賊行為=戦争★

 海賊行為=拿捕・略奪・殺傷は、国家としての軍艦が行う場合は戦闘であり、国家の許可を
えて私人が行う場合は私掠という敬いを受け、それなしに行う場合に海賊とされたのである。
私掠は、すでにあきらかなように、絶対主義王制にとって不可欠な手段であり、資本主義経済
生成の契機となったが、それが確立し、ブルジョアが政治を支配するようになると、私掠は次
第に不必要になり始め、海賊も鎮圧されざるをえなかった。それにとって代わったのが、資本
主義諸国の日常的な経済戦争であった。

私掠船や海賊船は、確かになくなっていったが、海賊行為は決してなくならなかった。それ
が、19世紀中頃から、国家としての海軍の専業になったからである。しかも、それは略奪より
も殺傷・破壊に重点が置かれるようになり、私掠船や海賊船などにくらべものにならないほど、
大規模かつ残忍な行為になっていった。現在、私人による海賊行為も完全にはなくなっていな
いが、大したことはない。しかし、国家の海賊行為すなわち戦争はのさばりつづけている。全人
類共同の敵としての戦争は、国際的にも国内的にも各国が敵対しあう要素がなくならないかぎ
り、完全にはなくならない。そのためには、国際的にも国内的にも、敵対しあわないですむ要素
がなくなる政治・経済体制を築いていくしかない。


(私のコメント)
最近のレンタルビデオ屋でDVDを借りて見たものに「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「マスター・アンド・コマンダー」があります。いずれも帆船時代の海洋アクション映画ですが、日本には島国でありながら海洋アクション映画は存在しない。歴史の教科書では「倭寇」という海賊が中国や朝鮮や東南アジアの沿岸を荒らしまわった記述があるが、徳川の鎖国政策で大型帆船は禁止され、私椋船の記憶は日本人から消えた。

しかしアングロサクソンはもともとが海賊であり、日本人は海上の武装勢力は海軍と海賊しか思い浮かべませんが、西欧人にとっては武装した商船である私掠船が大活躍した記憶がある。私掠船と言うのは商船を武装して軍艦の役割をさせたものであり、国家公認の海賊のようなものだった。つまり軍艦と商船との区別がつかない存在であり、西欧の海軍は私掠船の伝統がある。

ところが日本には倭寇という海賊の伝統はありますが、私掠船の伝統はない。だから日本帝国海軍には通商破壊作戦の伝統もなく、通商破壊活動が海軍の主要な目的であることも認識がなかった。海上における覇権は大海戦によって大きく影響はしますが、広い海上を軍艦によって制圧することは不可能であり、各商船を武装させるしか通商の確保は出来なかった。

映画の「マスター・アンド・コマンダー」を見ても、軍人になったり民間人に変装したりして敵の船を破壊したり分捕ったりする。だから海軍とはいっても海賊とたいしてやることは変わらず、軍艦と商船とがはっきり分かれたのは明治以降で、キャプテン・ドレイクのように帆船時代は海賊が海軍の船長になったりした。

しかし海上の覇権が安定してくると私掠船は御用済みとなり、国家は海賊を使って海賊退治をするようになり、追い立てられた私掠船は純粋の海賊となった。「パイレーツ・オブ・カリビアン」はその頃のカリブ海に集まった海賊の船長の物語ですが、その時代になると海賊は英国海軍に退治される存在になった。しかしそれでも海軍と海賊の違いは軍服を着ているか着ていないかの違いぐらいしかなかったようだ。海賊は英国海軍の軍艦を頂戴して暴れまわった。

日本と西欧とは17世紀まではほとんど同じような海洋国家であり、日本も三十メートルを越えるような大型帆船や大砲を積んだ軍艦も信長などが建造して、秀吉の頃までは西欧の海軍と日本の海軍とは東南アジアのどこかで大海戦が行われてもおかしくはなかった。ところがそれ以降は日本は鎖国の道を選び、西欧諸国は七つの海を支配した。加藤秀俊氏の著作には次のように書かれている。

◆鎖国日本の再検討 加藤秀俊 著作データベース
http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/text/2568.html

(前略)わたしは、もっぱら鎖国という事実とその意味に興味をもつ。とりわけ、同時代のヨーロッパのうごきとの比較社会史的観点から鎖国問題に興味をもつ。いったい、世界史にとって鎖国とはなんであったのか。

 すでに前節にみたように、十六世紀末から十七世紀にかけての日本の社会的エネルギーは、巨大であった。イギリス、あるいはオランダと互角に対抗できるだけのものであった。S・サラップの「中世ロンドンの町人階級」(Sylvia L. Thrupp; The marchant class of medieval London. Ann Arbor,1948)は十四世紀から十六世紀にかけてのロンドン商人の興味ある記述にあふれているが、文中、ロンドンとある部分を「堺」と読みかえてもいっこうおかしくない箇所がいっぱいある。同時代の日本を過小評価してもいけないし、ヨーロッパを過大評価してもいけない。前節にのべた架空の理論的日英海戦のいずれに勝目があったか、にわかに判定は下し難いが、それぞれの兵站路など考えにいれれば、かなり日本に有利だったのではないか、とさえ考える。

 だが、それほどまでに、いちおう互角に並行進化をたどってきた東西両勢力が、十七世紀初頭、厳密にいえば、寛永十六年(一六三九)を境にしてまったくちがった方向にうごいたのである。すなわち、大陸の西端からのうごきが、その前時代からの拡大運動をますます強化しつづけたのに対して、東端すなわち日本は、あれほどまでに開拓した東アジアから、あっさりと撤退してしまったのだ。ふたつの拡大運動が東西から進展しつづけるかぎり、そこでは衝突を避けることはできぬ。早晩、両勢力はぶつかりあう運命にあった。ところが、衝突寸前にいっぽうが、呆気なく退散してしまったのである。いわば、その退散後の空白地帯にヨーロッパ勢力があっという間に滲透することになった。

 対照点をひとことでいうなら、西端からの社会的エネルギーは絶えざる拡大の方向にむかい、東端からの社会的エネルギーは、拡大のための無限の可能性を残しながら突如として収縮方向をとったのである。近代ヨーロッパと日本との基本的なわかれ道は、いっぽうが拡大、いっぽうが収縮、という正反対のコースを歩んだことからうまれた、とわたしは考える。

 拡大原理が、どのような社会形態をとったかはここであらためていうまでもないことだ。植民地主義といい、あるいは帝国主義という。西端に根拠地をおく巨大な社会的エネルギーは地球上のさまざまな「点」とその後背地にむけて縦横無尽に滲透する。最終的にはボア戦争、そしてアヘン戦争。(中略)

わたしは、幕末の開国から、太平洋戦争までの四分の三世紀を、日本にとってバルブ全開の時代、というふうに考える。二百五十年間にわたって凝縮していた社会的エネルギーが、一挙に噴出し、気化したのだ。考えようによっては、ヨーロッパが三世紀まえにやっていたチョイチョイ主義を十九世紀末から二十世紀前半におくればせながら日本が敢行した、というふうにもいえる。ほんらい、十七世紀におこなわれるべくしておこなわれなかった日英海戦も、ちょうど三世紀おくれて、いささか間の抜けたかたちでおこなわれたのである。

 断っておくが、わたしは、べつに日本帝国主義を正当化しようとしているのではない。むしろ、価値判断からいえば、バルブ全開のタイミングに時代錯誤を感じるし、バルブ全開の気化熱が、ひどすぎた、というふうにも判断する。だが、わたしが確認しておきたいのはただひとつ、日本の徳川時代がおどろくべき潜在的エネルギーをもっていた。という事実なのだ。(中略)

アメリカ、ソ連、中国、この三つの勢力についてはどう理解すべきであるのか。それはこの稿の範囲をこえるが、大ざっぱに形態学的観察をくだせば、それらはことごとく「新・大陸主義」といっていいのではないかと思う。十五世紀から十九世紀までを、わたしは海洋主義として考えた。それは、モンゴルによって代表されるような大陸主義への巻きかえしであった。その巻きかえし時代がいまや終わった。そして、ふたたび、大陸を拠点にする大国の思想がアメリカやソ連というかたちで登場してきたのであろう。「新」大陸主義と名づけるゆえんである。(後略)


(私のコメント)
西欧諸国の植民地の拡大は日本が鎖国の道を選んだことで決定的となった。しかし海洋国家としての日本は250年後によみがえり、東南アジアで日英の海上決戦が行われヨーロッパ勢力の拡大の時代は終わった。太平洋戦争後に日本は再び鎖国時代に戻ったような平和国家となったが、西欧諸国も日本も海洋国家であることに変わりはなく、新たに登場した米・中・ロシアといった大陸国家とは歴史の流れは全く異なる形態を持っている。

ここではアメリカを大陸国家と見ましたが、やがてはロシアや中国のように帝政の交代が繰り返されるだけの国家に変わってゆくのだろう。ブッシュもプーチンも江沢民も民主主義と言いながら実態は帝政そのものだ。それに対して西欧と日本は真の社会民主的な政治形態に変わってきている。

 次へ  前へ

Ψ空耳の丘Ψ36掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。