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11世紀ごろとみられる建物跡。この下に9世紀以前の遺構が埋まっているとみられる=ハノイで
http://www.asahi.com/culture/update/0803/006.html
ハノイの新国会議事堂建設予定地で見つかった遺跡が、7世紀ごろから19世紀までの王城の跡を重層的に残す壮大なものであることが明らかになってきた。最も古い遺構は中国支配時代のもので、遣唐使から唐の官僚になった阿倍仲麻呂が長官を務めた安南都護府である可能性も高い。中国の長安や奈良の平城京に匹敵するとの指摘もあり、「世界遺産級」と評価する声もあがっている。ベトナム考古学研究所とユネスコなどは10日からハノイで、各国の専門家を集めて国際的な支援策を検討する。
遺跡が発見されたのは、ホー・チ・ミン廟(びょう)などに近いハノイの中心地バーディン地区。同研究所が02年12月から調査を始め、約4万8000平方メートルの敷地のうち約半分の発掘が終わった。
同研究所のトン・チュン・ティン副所長によると、遺跡は1メートルから4メートルの深さにあり、深い方から(1)7〜9世紀の中国支配時代(2)ベトナムが独立を果たした10世紀の丁朝や11世紀から14世紀の長期政権、李朝、陳朝(3)国家の整備が進んだ15世紀の黎朝から阮朝が19世紀にフエに都を移すまで、に分かれる。
発掘地には各年代の数十の建物跡が重なっている。8世紀前後にさかのぼる木柱や唐の様式のれんが、これまで位置が確定していなかった11世紀以降の昇龍(タンロン)城を示すハス形の柱の基礎などが見つかった。柱の間隔などから、最大の建物は数千平方メートルの広さがあったとされる。
また数百万点にのぼる陶磁器や建物の装飾品、れんが、タイルなどが出土した。王室にだけ使用を許された五つのツメを持つ竜の文様が入った陶磁器や、王室、政府の所有を示す漢字の刻印が入ったものも大量に見つかっており、歴代の王城の地であったことを証明している。
安南都護府を直接示す出土品はまだ見つかっていないが、同時代の建物跡を示すれんがなどが出ており、最古層の遺構の中にあるのは確実とみられる。ティン副所長らは、特に唐代の木簡がないかに注意している。
ベトナム当局は遺跡の研究、保存などに国際的な協力を要請している。6月には、平城京やカンボジアのアンコール遺跡に詳しい上野邦一・奈良女子大教授を代表とする日本の専門家6人が訪問し、「世界遺産級」と評価した。
10日に始まる会議には、日本、韓国、フランスなどとベトナムの専門家約30人が集まり、調査・保存や今後の協力について議論する。ベトナム政府はこの結果を受けて、国会議事堂建設計画の見直しなどを決める方針だ。
〈阿倍仲麻呂と安南都護府〉 阿倍仲麻呂は7世紀末か8世紀初めに生まれ、遣唐使の一員として唐に留学。科挙に合格し、玄宗の信頼を得て高官になった。日本に帰ることを望みながら長安で没した。帰国をめざしたものの遭難した船旅に出発した際に「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも」と詠んだ。
安南都護府は、唐が周辺諸民族統治のために置いた六つの出先機関「都護府」の一つで、南方異民族支配のために現在のベトナムのハノイに設置された。阿倍仲麻呂は760年ごろ都護(長官)として2年間赴任したとされる。 (08/03 15:40)