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(回答先: Re: 「行為の結果に頓着しない」 投稿者 深窓の令嬢 日時 2004 年 8 月 01 日 23:29:08)
そうですね。
戦場で淡々と人を殺せる人間の殆どは、完全に割り切れる境地にいるわけではないで
しょう。
むしろ、どんな仕事や行動をしていても、人一倍葛藤している可能性が高い。
それでも、「自分で選択した以上成し遂げなければいけない仕事」という責任感も
人一倍強いということになるのでは。
(そういう人が実際にサイコパスなどと呼ばれる、精神病質者の可能性ももちろん
ありますが、通常反社会性人格障害の一環と見なされるサイコパスといわれるタイ
プの人は、快楽殺人や計画的な完全犯罪などの陰性で個人的な殺意に耽溺すること
が多く、自分が殺されたり傷ついたりするような所には、あまり赴きたがらない。
ましてや、万が一そういう人が戦場に行った場合、上官の命令も聞かず、自分が危
険を犯すことも嫌い、敵も味方も構わず手当たり次第に発砲したり、遺体を解体し
たり、極端に人の目の前で嫌がらせ的に屍姦をしたりなどと、とても気味悪くアブ
ナイ行動に出かねませんから、そういう前科や傾向があると見なされた人は、志願
しても撥ねられるでしょうし、あとでそういう傾向が発覚すればその場で逮捕して
送り返すか、病院にぶち込むしかなくなるでしょう)。
実際そこまで覚悟が決まっているかどうかはともかく、イスラムのジハードの概念
や武士道の概念などでは、そういう境地を理想としていると思います。
そして、その理想を体得するまで葛藤を繰り返しながら修練を重ねる、ということを
多くの戦士たちは実践しているのではないか(無論その中に、戦闘で人を殺すことも
含まれている)。
もちろん、宮本武蔵というのも、激しい葛藤や修練を繰り返した末に、それを超克した
境地に至ったと言われていますから。
資質は生まれつきかも知れませんが、資質が開花するのは、様々な経験や苦労や葛藤を
経た結果ということになると思います。
(ある意味、サイコパスになるタイプの人というのも、生まれつき資質があって、幼
少時環境によって更に歪まされて発症すると言ってもいいのかも知れませんが)。
イスラム、とみにスーフィズムや、禅の一円相の道や華厳(勿論龍樹の「空」)概念
などは、命令を下す絶対神という概念よりも、一元宇宙の法則やそれに準じる概念の
方を重視しているように思われます。
2%のうち、*サイコパスがどれくらいで、真の戦士(修練するジハード戦士や武士)がどれくらいで、本当に結果を超克した悟りを開いた者がどれくらいか、などと内訳
を厳密にしていった方がいいかも知れません。
人を殺すのに抵抗があまりない者、条件付けなくても見知らぬ人が殺せる者、という
のを一つの「精神病質者」というカテゴリーにまとめてしまうのはいささか乱暴な
気もします。
サイコパスとジハード戦士は、まったく別の人間のタイプだと思われるからです。
ジハード戦士、或いは禅師というものは、己と義を確立した、ある意味でそこらの
平和運動家と比べてもまったく正常な、真の平和主義者であると思いますので・・・。
(実際は、ちゃんと本を読んでからでないと、はっきりしたコメントは出せないのですが)。
*もちろん、条件付けられた結果発狂して「サイコパスのように」なってしまった人
は勘定に入れず、あくまで戦地に行く前から「反社会性人格障害者」としての傾向が
知られていた者のみ。
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私もグロスマン氏の著作に興味があり、図書館にオーダーして読んでみようと思って
いたのですが、丁度少し東洋的な見解も加えながら読んだ方がすっきりするのでは、
という直観があったもので、鷹眼乃見物さんに読む前から内容の紹介をしていただいて
感謝しています。おかげで少しだけ話題に首を突っ込んでみることができました。
時間はかかりそうですが、読んだあと、またコメントしてみたいと思います。