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汚いジャーナリスト攻撃をやめない創価学会の「正義」[FORUM21]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 7 月 24 日 18:33:31:dfhdU2/i2Qkk2
 

2004-7-1

特集/検証―創価学会の“魔女狩り”体質
口汚いジャーナリスト攻撃をやめない創価学会の「正義」

本誌編集部


 「なんでこんな口汚い表現をする連中が、宗教団体を名乗れるのだろうか」
 聖教新聞や創価学会関連メディアを読むと、この団体が他者への思いやりや人権の尊重とは無縁な存在であることが一目でわかるだろう。
 口を開けば、創価学会が気に入らない人間を徹底して罵倒し、尊厳をもって迎えるべき人間の生や死さえ嘲笑うその姿勢は、宗教が本来もたらす心の安らぎや、あるいは宗教が目指すべき人間愛が、この団体とは全く無関係なものであることを示している。
 言論出版妨害事件の折、『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達を徹底的に罵り、貶め、そして脅迫や嫌がらせを続けたこの団体の性質は、その後、45年を経ても、なんら変わっていないことがわかる。
 例えば、『第三文明』の7月号を見てみよう。
 ここには、グラビアページに、
 〈パーティーで同席したガセネタ屋2人組・乙骨正生と山田直樹〉
 という写真つきの2ページの記事がある。
“ガセネタ屋”という下品でお粗末な蔑称が日本最大の宗教団体の関連公刊物に堂々と掲載されていることに驚く向きは少なくあるまい。
 しかし、その創価学会と言えば、気に入らない記事を片っ端から名誉毀損で訴え、マスコミに常軌を逸した訴訟攻撃を展開することで広く知られている。
 自らは、些細な記事にも名誉毀損を乱発し、しかし、他者に対しては、「ガセネタ屋」などという、まともな感覚の人間なら眉を顰める表現や蔑称を用いることは、この団体の特異な性格を余すところなく表していると言える。
 本誌の発行人でもある乙骨正生と定期執筆者の山田直樹の2人が、創価学会のターゲットであることは当然である。
 記事自体は、創価学会のマスコミ支配の実態や、その異常な訴訟攻撃の有り様、そして池田大作名誉会長の知られざる経歴等を全8回にわたって週刊新潮に「新創価学会を斬る」として連載した山田直樹が、平成15年度の雑誌ジャーナリズム賞を受賞し、その受賞パーティの席上での山田と乙骨のツーショットを隠し撮りして、〈ガセネタ屋2人組〉として報じたものである。
 かつて創価中学、創価大学に在学し、自らも創価学会員であったことから、その論評が常に創価学会の急所を突く本誌の発行人・乙骨と、週刊新潮での連載を単行本にまとめた『創価学会とは何か』が今やベストセラーとなっている山田直樹が、彼らの“盗撮”の対象になるのは不思議でも何でもない。

週刊新潮デスクへの個人攻撃

 しかし、この記事が面白いのは、その矛先が、新潮社の週刊新潮編集部副部長・門脇護への口汚い罵倒へと続いている点だ。
 門脇副部長に対しては、創価学会がこの10年近く、憎悪の対象として、関連メディアを駆使してあらゆる攻撃を仕掛けてきたので、学会をウォッチしている人間には、いまさら珍しくもあるまい。
 学会が憎悪剥き出しで、門脇を攻撃するのは、彼が、かの「池田レイプ事件」をスクープしたことによる。
 96年度の雑誌ジャーナリズム賞を受賞したこの記事は、池田の異常な人間性が余すところなく描かれた画期的なものだった。
 そして、週刊新潮は、その後、池田レイプ事件に対して、実に25本もの関連記事を掲載し、両者の闘いは熾烈さを増していく。
 しかし、あらゆるマスコミに名誉毀損訴訟を起こし、法廷での決着をはかる創価学会が、この30本近く続いた週刊新潮の池田レイプ記事に対して、ついに1本の訴訟を提起することなく、引き下がるのである。
 池田レイプ事件は、被害者の信平信子さんと夫の信平醇浩さんが、池田を相手どって損害賠償訴訟を提起している。
 5年近くも続いたその損害賠償訴訟は、創価学会が大弁護団を結成するなど、総力を挙げた“攻勢”によって裁判所が迷走に次ぐ迷走を余儀なくされる。最初の裁判官は信平側によって忌避され、次に現われた裁判官は、いつも創価学会の大弁護団の方に顔を向け、その主張に従い、ついに信子さんを法廷で1度も証言台に立たせないまま「時効」を宣言するという世にも奇妙な訴訟指揮の末、決着を図るのである(夫・醇浩さんの訴えもその後、退けられている)。実質的な事実審理を回避したその裁判は、裁判所の役割を放棄した見事な事例として、今後も語り続けられるに違いない。
 しかし、それでも創価学会は、週刊新潮の一連の当該記事を訴えることもしなかった。
 代わっておこなったのが、この門脇デスクへの憎悪に満ちた攻撃だったのだ。
 新潮社の編集者がいう。
 「門脇デスクは、その後も神戸の酒鬼薔薇事件の被害者手記を発掘してベストセラー『淳』(新潮文庫)を生み出し、社内表彰を受けている。また、司法のタブーに挑戦した“裁判官がおかしい!”シリーズを企画・執筆して平成14年度の雑誌ジャーナリズム賞にも輝いている。文字通り、週刊新潮のエースです」
 しかし、興味深いのは、門脇が本誌発行人の乙骨や、定期執筆者の山田と違い、創価学会の専門記者でも何でもない点だ。
 ライバル出版社の編集者によれば、
 「彼は30歳になるかならないかの年齢で週刊新潮のデスクに抜擢され、以後、多くのスクープを手掛けてきた業界でも有名なデスクです。今でも現場に出張ってくるし、特に、手記を獲得する時の強さは有名。信平さんに限らず、自ら乗り込んで当事者を説得するなど、とにかくタフな記者と聞いています。社内では、事件モノに特に強いデスクと認識されているようです」

捏造された新潮社社長の「遺憾表明」

 その門脇護をなぜ創価学会は、そこまで憎悪の対象にするのか。
 「やはり、彼が手がけた30本近い池田レイプ関連記事を1本も訴えられなかった恨みが、いまだに続いているんでしょう。やれ“人間の皮を被った鬼畜”だ、やれ“捏造記者”だ、やれ“デッチ上げ”だと、それそのものが名誉毀損になるような口汚い罵倒を門脇に対して公刊物を通じて続けているサマは、その憎悪がいかに深いかを物語っています。今も“真実は一つ。私が池田にレイプされた詳細は、いつどこへ出ても証言します”揺るぎない姿勢を続けている信平信子さんの態度と相まって、創価学会にとって今も尚、この問題が最大のタブーであることに変わりはないのです。いずれにせよ、この手記が今も語り草になる大スクープであると同時に、今後も池田の絶対的地位を脅かす“爆弾”であることは確かです」(学会ウォッチャー)
 ある元創価学会員はこういう。
 「創価学会が週刊新潮の池田レイプ記事を訴えることはできるはずがありませんでした。そもそも週刊新潮に掲載された信平さんの迫真の告白は、誰が読んでも、それが被害を受けた女性でなければ語れない秘密の暴露に満ちたものでしたし、女性としての苦しみや池田の卑劣さを、冷静に記述した内容は、多くの女性の共感と同情を呼び起こしたものです。
 しかし、司法支配を強めている創価学会は、彼女の証言が法廷に出ることのないように、池田レイプ訴訟でやっとのことでこれを封じ込めることに成功した。しかし、新たに週刊新潮とコトを構え、もし信平さんに証人として出廷されたら、せっかく薄氷の思いで信平証言を封じた苦労が水の泡になってしまう。だから、創価学会は週刊新潮を訴えることをしなかったのだと思います」
 この門脇に対して、創価学会は埼玉県下で創価学会の壮年部長を務める元新聞記者に『言論のテロリズム』『言論のテロリズム2』を書かせて大批判を展開させたものの、その中で登場する信平さんの告白テープとやらを逆に改竄していたことを週刊新潮に暴露されている。そのことは、本誌でも既報(02年3月1日号『「言論テロ」を叫ぶ創価学会の「言論テロ」』)の通りだが、創価学会側のこれらの記事や本は、ただの一度も信平さんに直接取材することもなく書かれたお粗末なものだった。
 そんなシロモノで、一出版社の社員を延々と攻撃し続けているのだから、この日本最大の宗教団体の異常性とレベルの低さは推して知るべし、である。
 だが、攻撃の手を緩めない創価学会は、今年3月28日、聖教新聞が、新潮社社長が池田レイプ事件の一連の報道に対して、「遺憾の意を表明した」という記事を大々的に掲載した。
 しかし、この内容は実は全くの虚偽。週刊新潮は、即座に翌週号(4月8日号)で、
 〈創価学会が「捏造」した新潮社社長「遺憾表明記事」〉
という特集記事を掲載して、この聖教新聞記事が、いかに捏造されたものであるかを詳報している。
 報道からすでに8年が経過しながら、いまだにこの池田レイプ記事を攻撃してやまない創価学会。そのためには、新潮社社長が「遺憾表明」をしたという虚偽の事実を公表してまで、学会員にこれを信じ込ませようというのである。
 学会ウォッチャー(前出)によると、
 「性懲りもなく最近も、インターネットで“ジャーナリスト”を自称する創価学会員の手によって、門脇批判が展開されています。“捏造記者の墓碑銘”などと、目を背けたくなるような下品で愚劣な内容です。読めば、書いている人間の品性がよくわかりますよ。ここまで自分で自分を貶める宗教団体が現に存在している事実を、国民はどう思うでしょうか」

口汚い攻撃は宗教上の教え?

“三類の強敵”という言葉をご存知だろうか。
 釈迦の没後、法華経を修行する者に怨を抱き、迫害する3種類の敵を表した言葉だ。一般民衆、宗教者、権力者の中にそれぞれ迫害する勢力が出てくるというものだが、法華経には、基本的に正しい教えを実践しようとすると必ず「魔」の働きが起こるという考え方がある。
 池田大作の口癖でもある「仏法は、仏と魔との戦いである」というのは、この考え方に基づくものだ。
 つまり、創価学会は、常に自分たちに都合の悪い存在は、敵(魔)であるとし、それを徹底的にたたくことを“信心”の糧(エネルギー)にしているのである。創価学会の異常な攻撃性は、まさに、この教えに基づくものなのだ。その考え方に洗脳された学会員たちには、上から(つまり池田から)「魔」であると判断された人間は、人間でも何でもなく、人権も何もない畜生以下の存在にされてしまうのである。
 大の大人でありながら、上から教えられれば、そんなことを簡単に信じ込んでしまう学会員たちの中に、ジャーナリストを自称し、その攻撃の一端を嬉々として担っている人間もいる。その有り様は、恐ろしさを通り越して滑稽でもあり、哀れでもある。
 「創価学会のこの異常性が続く限り、まともなジャーナリストたちの監視は続くでしょう。こういう理不尽な攻撃は、逆にジャーナリストたちのやる気とファイトを奮い立たせますからね。教育基本法や憲法問題など、大新聞の記者たちもようやく公明・創価学会がいかに民主主義の敵であるかを認識し始めている。この常軌を逸した学会ウォッチャーたちへの創価学会の攻撃は、何よりも言論の自由や民主主義にとって、いかに脅威であるかを雄弁に物語っていますからね」(ある政治評論家)
 愚かな報道で常に馬脚をあらわす創価学会は、日に日にその“敵”を増やし続けているのである。
 (文中・一部敬称略)

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