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以前に当Blog[映画『イザベル・アジャーニの惑い』と自由であることの「戸惑い」/http://blog.goo.ne.jp/remb/e/341af81df03e301242a071449616081f]でも書いたことですが、階層(階級)、利益集団などの間で成立する社会関係とは、つまるところは人間関係です。この人間関係で作用する力には「物理的な力」と「脳内表象へ作用する力」の二つがあります。国家というものは何らかの統制力がなければ存在できないので、その国家に一定の「統制的な権力」が必要であることは当然のことです。そして、この「統制的な権力」に一定の基準を与えるものが「憲法」だと思われます。現代の民主主義国家では、歴史的な経験から学んだ知恵を生かして人間関係へ作用する二つの力のうち「物理的な力」、つまり暴力(戦力、警察力など)の行使を最小限度にするよう十分配慮されています。しかし、それでも「公正」や「公共善」に対する適切な配慮を失った暴政による極限状況が浮上する可能性が絶えずつきまとっています。そして、もし、そうなった場合にはどのような民主主義国家であるとしても「脳内の表象へ作用する力」という指導・指示・命令的な統制権力だけでは制御不能な民衆側からの反発が噴出する可能性を内包しています。これは、普段の生活の中では、あまり考えたくもないことですが、人間も動物の一種として生きている以上は絶対に避けられない原点、いわば生物個体に埋め込まれた『逆鱗』のようなものです。誤ってこの『逆鱗』を踏んだ権力者は直接的な反撃を食らう恐れがあります。まことに厳しいことながら、これが現実です。また、民主主義国家における政治権力者といえども、このような現実社会の原理・原則的メカニズムをリアルに、かつシビアに認識しなければなりません。だからこそ、現代の民主主義国家では議会制度、選挙制度など人間の英知を結集した政治システムが工夫され採用されている訳です。逆に言えば、現代の民主主義国家においても、現在の政治状況に対する無関心や単にシラケた心情から選挙権を放棄することは、このような『最悪の修羅場』(政治権力と国民の意志が過激に衝突する場面)が生じた場合に、自分が政治権力的な暴力的統制手段によって危害を加えられたり、あるいは、逆に自分が他人を殺戮する羽目になったり、他人へ危害を加えたりする事態を了承したことに等しい行為なのです。だからこそ「選挙権の行使」は民主主義社会を維持するための最低限度のルールであり、かつ「自分の命を守ることに次いで大切な権利」だとされている訳です。ここまで突き詰めて厳しく考えてみると、日本の国政選挙の度に異常に低い投票率が問題視され続けているのは実に嘆かわしいことです。
参考まで、国政選挙に関する日本と主な国々の直近の投票率データを列記すると下記のとおりです。
(外国データの出典はInternational IDEA、Stockholm、Sweden/http://www.kh-web.org/links/stat.htm)
<日本>衆議院・総選挙(2003.11.9)59.86% 衆議院・補欠選挙(2004.4.13)・・・東京6区40.63%、山梨3区54.5%、茨城7区53.8%、
参議院選挙(2004.7.11)56.57%
<アメリカ>議会選挙(2000)63.76%、大統領選挙(2000)67.39%<カナダ>議会選挙(2000)61.18%
<イギリス>議会選挙(1997)71.46%、議会選挙(2001)59.38%<スウエーデン>議会選挙(2002)80.11%
<ノルウエー>議会選挙(2001)74.95%<フィンラ,ンド>議会選挙(1999)65.27%、大統領選挙(2000)76.8%
<デンマーク>議会選挙(2001)87.15%<オランダ>議会選挙(2003)80.04%<スペイン>議会(総)選挙(2004)77.22%
<イタリア>議会選挙(2001)81.44%<ギリシア>議会選挙(2000)74.97%<ドイツ>議会選挙(2002)79.08%
<フランス>議会選挙(2002)79.71%<オーストラリア>議会選挙(2001)94.85%
<韓国>議会選挙(2000)57.21%、大統領選挙(2002)70.83%<台湾>議会選挙(1998)68.09%、総統選挙(2000)82.69%
<マレーシア>議会選挙(1999)68.65%<インドネシア>(1999)93.3%<タイ>議会選挙(2000)69.95%
<シンガポール>議会選挙(2001)94.61%、大統領選挙(1993)94.48%
この一連の投票率の比較から、近年における日本の国政選挙の投票率の異常な低さ(少なくとも欧米・アジアの民主主義国の標準よりも10ポイントは低い!)という真に悲しむべき現実が浮かび上がります。日本の政権を担当する与党政治家たちと責任政党自身は、このような日本の民主政治の現実をどのように見ているのでしょうか?また、日本のマスコミや政治学者等の専門家の方々は、このような事実をどう評価しているのでしょうか?自分たちの職業的な立場と既得権益を死守するために、このような日本の民主主義の恥部(病的とも言える欠陥)には敢えて触れぬほうがよいと思っているか、あるいは意図的に目を逸らしているのでしょうか?マスコミ報道などの情報によると、今回の投票率56.57%の参議院選挙では、自民党単独であれば最大限努力しても高々45〜46議席確保が精一杯であり、比例区における某連立政党の協力でやっと49議席が確保できたというのが実態のようです。あと5〜6%投票率が高ければ(投票数があと約50〜60万票増えれば)、このような連立政党の協力も無意味になり、より明快に「民意のありのままの姿」が反映する結果、つまり民主党と自民党の議席数の差が「民意のありのままの姿」と合致する明快な選挙結果となったはずです。
このことは、12〜13日に実施された朝日新聞と共同通信の全国世論調査(下記)の結果が傍証しています。
<朝日新聞> 小泉内閣不支持率50% 小泉内閣の支持率39% 政党支持率/民主党29%、自民党27%
<共同通信> 小泉内閣不支持率51% 小泉内閣の支持率38.9% 政党支持率/自民党28.8%、民主党27.8%
従って、世界に恥ずべき「投票率の異常な低さ」が、日本の民主政治の実態を見えにくいものとしていることが分かります。目先の結果では政府与党の政策が信認されたことになっていますが、選挙結果と現実的な民意(全国世論調査の結果)との間には大きな乖離(説明できない大きな落差)があります。結論的に言えば、このようにネジレた選挙結果が出た責任の一切は民主国家における「選挙制度」そのものを軽視し続ける「日本国民の低劣な政治意識」にあります。だからと言って、このような悪しき一般の日本国民の習性(お人よしで安易で無責任で他人任せな、その日暮らし意識=民主主義を根本的に誤解していること)を放置してよいはずがありません。国家百年の大計を意識すべき政治家はもとより、学者・マスコミ人など専門家の方々は職業上の見識とプロ意識をどこへ捨て去ってしまったのでしょうか? あまり好きな言葉ではありませんが、このような問題に対してここそ「啓蒙活動の意義」を見直すべきだと思われます。選挙技術、政党間の談合などについての数合わせの分析ばかりが目立つマスコミ等の論調には落胆させられるばかりです。
ところで、今回の選挙結果を受けて7月12日に行われた小泉首相の記者会見などを参考としつつ、「民意と政権与党の意識の乖離」の間にカムフラージュされて公には見えにくくなっている(小泉政権が意図的に見えにくくしている?)諸問題、つまり今後予想される「日本にとっての本当の危機」に関する主要な論点をとりまとめると、次のようなものとなります。(●は危機のポイント)
(1)小泉政権は「民意」を直視していない(意図的にしてないか、する能力を失っているのか?)
→この先には「政権の暴走化」(一層の独断先行と独裁化傾向の推進)が懸念される。今回の選挙で、日本国民は“小泉政権の全体をシッカリ見てくれた”と強弁した。もはや、「民意」を素直に直視する余裕を失ったのかもしれない。無党派層の手強さは実感したようだが、それに真面目に応える対話重視の姿勢が見えない。“無党派層へ真剣に語りかける”よりも、選挙協力で“助けてもらった連立政党への気遣い”の方に目が向いているので、今後、国民監視の強化など強権的な政治手法への傾斜が懸念される。
●数多の人間の愚行の歴史が教えるとおり、国民の意志を正確に捉えることができない政治は「暴政」化する恐れがある。
●パフォーマンスであれ何であれ、国民の「脳内の表象へ作用する力」の行使に限界を感じ始めているはずで、「もう一つの力」の行使に傾斜する危険がある。。
(2)選挙の最大の争点であった年金問題、つまり国民の最関心事から目を逸らしている
→年金一元化について、経済界、労働界との協議に委ねると他人ごとのように話した。今に至っても当事者意識が欠落している。本当に国民の立場に立った年金改革を実行する意志があるのか、疑念が膨れるばかり。
●結局、年金問題の根本的改革が先送りされる懸念がある。
(3)選挙結果の責任問題を忌避
→“与党で過半数を維持できれば、責任問題は生じない。あとは改革路線をゆるぎないものにするだけだ。”と、ここでも強弁に終始していた。安定多数が維持できたのは、3年前の選挙で当選した議員が半分残っているからではないか?改選と非改選を合わせて過半数になっていることと、今回の選挙で過半数の国民から支持されなかったことは全く別問題のはず。この異なった現実は、どこでどう辻褄が合うのか?これは、“私の認識では「1+1=3」のはずだ”と強弁しているに等しく、国民をある意味で小ばかにした議論である。
●「後出しジャンケン」(年金法案に関する合計特殊出生率の後出し等)やこのような虚偽の議論がまかり通るのであれば、一時が万事で、あらゆる“政策が虚偽の塊(ウソばかり)となる恐れ”がある。
(4)懸案の「自衛隊のイラク多国籍軍参加」問題でも自信を表明した
→多国籍軍参加には世論の6割が反対していることに触れながら、“このような逆風の中で、国民はやはり全体をよく見てくれている”という詭弁を述べた。詭弁というよりも、これは反省のカケラもない居直り発言だ。政権として、改憲しなくても既成事実を作る手法で何でもやれるという自信を身につけてしまったことが恐ろしい。
●「ブッシュ政権の単独覇権主義」≠「真の国際貢献」を等号(=)で強引に結びつける“成功体験”が軍備増強等の方向へ一層拡大する懸念がある。
●世界の趨勢(下記の*参考「世界の趨勢いろいろ」を参照)を無視して只管ブッシュ政権へ追従する“日本の軍事大国化”は、最終的に日本が世界で孤立化する恐れがある。日本はブッシュ政権と結託してアナーキーな世界を目指すのか、それとも本物の平和な世界を目指すのか?今は、まさにこの岐路に立たされている。
(5)北朝鮮問題のエニグマ(謎)
→側近重視などの非公式ルートのエニグマが増殖・拡大する恐れがある。(参照、http://www.sentaku.co.jp/)
●“日朝交渉”の実質的なバランス崩壊(「朝」側の優勢化)と日米関係の悪化さえ懸念される。
【参考/世界の趨勢いろいろ】
*(6/27、共同通信)の報道によると、「米議会・独立調査委員会」が7月中に発表する予定の「最終報告書」の中で“ブッシュ政権は、このNY同時多発テロを避けられたはずだ”という結論を盛り込む方針である。
*(7/8、共同通信)の報道によると、米上院情報特別委員会が、イラク戦争開戦の大義である「旧フセイン政権の大量破壊兵器保有に関する情報」が思い込みによる欠陥情報であったという内容の報告書を取りまとめたことが判明した。これは、ブッシュ大統領の改選に大きな打撃をもたらすかもしれない。
*(7/12、読売新聞)の報道によると、英ブレア政権がイラク戦争正当化のために不十分な情報を利用したという内容の報告書を英国の「情報活用・調査委員会」が発表する見込み。また、同調査委員会はブレア政権が“側近重視の政治スタイル”でチェック機能が働いていないという問題点も指摘するらしい。(これはブレア政権のみならず、日米でも言えることではないか?/筆者、私見)
<参考>関連内容は下記URLを参照
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=9816b255425415106544e90ea752fa1d
http://blog.goo.ne.jp/remb/
http://blog.melma.com/00117791/