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マスコミはなぜメディア規制に反対しないのか―宮崎勤事件以前に田中角栄・ロッキード事件など表現の自由など最初からない
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/265.html
投稿者 初めて 日時 2004 年 7 月 08 日 01:02:24:nfhdHoKkwHr4Q
 

大手マスコミが表現の自由や国民のために真実を報道することなど全くできていない。批判することも難しい状態のようだ。
支配層・権力の広報機関になったマスコミ。一部分しか引用していません。

「森田実の時代を斬る」
2003.3.26
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0531.HTML
だが、最近は政治権力が優位に立つ国が増えている。政府の公報機関化してしまっているマスメディアも少なくない。
 日本のマスコミは、1980年頃までは政治権力に対して全体として自立的姿勢を保っていたが、1982年の中曽根内閣の登場以後、政治権力との協調姿勢に変わった。小泉内閣成立以後は、多くのマスメディアは小泉内閣の宣伝機関化している。独立姿勢を維持しているメディアは少ない
2003.9.9
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0600.HTML
小泉首相の人気はテレビで“つくられた人気”である。マスコミがつくり出した虚像である。あたかも芸能タレントを売り出すように、政府与党と公告会社とテレビ局が協力してつくり上げたものだ
2003.9.16
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0606.HTML
数日前、あるテレビ局の番組の責任者から自民党総裁選をめぐって番組出演の依頼があった。私はいったん引き受けると返事をしたが、その時、彼はこう言った。「森田さんがどのような考え方をもっているかはホームページなどを見て知っている。しかし、わが社は小泉批判はしないことを社の方針として決めている。出演にあたりこの方針に従ってほしい」、と。これを聞いて私は直ちに出演を断った。私はこのような条件をつけられた時は、言論の自由に反するとして断ってきた。これは私の生き方である。無条件でなければ出演しないことにしてきた。「今後、君の局の番組には出演しない」と伝えるとともに、「君が“わが社の方針は小泉批判はしないことだ”と言ったことを私は公表する。テレビ局が権力者の側に立っていることを国民に知らせ、テレビ局のあり方を考えてもらおうと思う」と言った。
 翌日、そのテレビ局の旧知の大幹部から電話があった。彼は「当社は小泉批判はしないなどとの方針を決めたことはありません。政治に緊張感をもたらす政治報道を行うことがわが社の一貫した報道姿勢であり、森田さんの言論に条件をつけるつもりはまったくありません。“小泉批判はしない”との番組責任者の言は妄想です」と言った。その後、当人からも釈明の電話があり、この件は一応落着した。
 今は終わったことだが、考えてみるとこれはおそろしいことである。このことをマスコミ内部で働いている知人と話し合って教えられたことがある。マスコミ界のなかに小泉首相を支持するインフォーマルなグループができているとのことである。彼らは小泉勝利のために、フリーの言論人に対して陰に陽に圧力を加えているという。私が担当者の要請を黙って引き受けてテレビに出演していたら、この問題はおそらく永遠に「闇の中」に葬られたことだろう。今回、私は「政治報道はそういうことでいいのか」と強く抗議した。その結果、テレビ局幹部が公正・中立な政治報道を約束し、担当者も発言を取り消した。今回の“事件”を通じて、わが国の言論の自由が危うくなっていることを思い知らされた。
<略>
マスコミ工作は順調」と語ったという情報もある。これが本当だとすると、大変なことだ。日本のマスコミは小泉政権の手先と化したのか?! 政治権力との癒着はマスコミにとって自殺行為に等しい。
2003.10.9
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0616.HTML
第四の後ろ盾はマスコミと巨大広告会社。小泉政治を批判する言論人はマスコミからほとんど駆逐されつつある。大マスコミは小泉支持一色。とくに中央のテレビ局が小泉政権の広告塔と化している。これを裏から支えているのが、政治権力と一体化している独占的巨大広告会社である。マスコミは巨大独占体の広告企業の圧力の前に無力だ。最近では新聞記者、報道記者のほとんどが小泉内閣にマインドコントロールされてしまっている。
2003.10.26
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0630.HTML
【森田】私の場合も複数のテレビ局との間でトラブルがあった。総裁選の最中、某テレビ局の報道番組担当者から電話があり、「わが社は今回の総裁選に関して小泉総裁の批判をしてはならないとの方針を決定した」と私に通告してきた。
 そこで、私はその担当者にこう伝えた。「政権・政治権力を批判することは私の重要な仕事である。権力というものは、とかく傲慢になったり、逸脱行為をする危険性があり、われわれ言論人はそれを監視する責任を視聴者である国民に対して負っている。権力のトップの座にある小泉氏を批判してはならないと言うなら、私はあなたのテレビ局の番組への出演を拒否し、私は出演拒否した理由をあらゆる場を通じて国民に知らせるつもりだ」
 その直後、同テレビ局の幹部から、「先程の番組担当者の話は彼の個人的見解にすぎない。社として小泉総理批判を禁じたということはない。担当者の発言を取り消し、本人に謝罪させる」との趣旨の電話があった。当人の謝罪があり、私はこれを受け入れ、決着した。
 今回の自民党総裁選では、某テレビ局のようなケースが他にもあったようだ。社のトップが小泉批判を禁じるという方針を決めなくとも、報道セクションの一部には小泉批判を封じ込めるような雰囲気のあったことは間違いない。
<略>
 ―― 大袈裟に言えば、日本のテレビ・ジャーナリズムには「言論の自由」はないと言っても過言ではありませんね。
 【森田】第二次世界大戦後、良心的ジャーナリズムが辛うじて守り抜いてきた「言論の自由」が、ここに来て逆に潰え去ろうとしていると感じる。時の権力に迎合するという本来のジャーナリズムが決して行ってはならないことを、今回の自民党総裁選では平然と行った。しかも、大新聞とテレビが社をあげてそれをやった。
<略>
小泉氏は、実は2年前の春の自民党総裁選で、某広告会社にプロジェクトチームを作り、総裁選戦略を研究させた。彼らは米国型のメディア活用方法を取り入れた。広告会社から提案されたのが、例の「自民党を変えます」「日本を変えます」「構造改革なくして景気回復なし」という、すべて15秒以内のスローガンの羅列――つまり、ワン・フレーズ・ポリティックスの手法だ。
2004.7.6
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0759.HTML
マスコミには大いに反省してもらいたいと思います。マスコミは不公平で不公正な報道をしてきました。マスコミは小泉首相を褒めすぎました。真面目に批判しなければならないのに、小泉首相にゴマをすりつづけてきました。マスコミが最も行ってはならないことは、政治権力にすり寄り、ゴマをすることです。政治権力に追従し、その手先になることです。マスコミは、報道機関として絶対にしてはならないことをやってきたのです。猛省を促したいと思います。
 小泉政権が発足してから3年以上経ちましたが、この間、マスコミは小泉政権と癒着しました。マスコミは小泉政治を批判する言論を封じ込め、政治権力を後ろ盾にして弱い者いじめをしてきました。マスコミは小泉政権の尻馬に乗って小泉構造改革を礼賛し、小泉改革によって冷たく切り捨てられた失業者、中小零細企業、真面目な中小土木建設業者の悲惨な現実や、地方自治体・地方経済の惨状を何ら報じようとしませんでした。戦前・戦中に軍部の手先になって戦争を煽り、日本国民を悲惨な目に遭わせたかつてのマスコミと同じ過ちを犯してきたのです。

「なぜ日本経済は殺されたのか」(吉川元忠著 リチャード・ヴェルナー著)
<引用>
(略)彼らは私の日銀についての理論もよく知っているし、賛成してくれた人もいました。(略)以前は「日銀の金融政策も悪い、量的緩和が必要だ」と私と同じ意見をもっていた記者も98年ぐらいから急に意見が変わったのです。私も彼に論文を送ったりしましたが、全部無視された。その後実際に会ったときには、「その話しは分かるけれども、しょうがない。国民には難しすぎて、新聞ではなかなか書けない」と。そんなの説明になるんですかね(苦笑)。
<終了>
「国民には難しすぎる」と判断されると真実でも報道されないようです。
あとヴェルナー氏と石井氏との対談本「福井日銀危険な素顔」の4章などでマスコミ操縦の実態がかなり出ています。
この本は暗殺されたケネディ大統領が出した最後の大統領命令や
ヒットラーはどんな力によってあの地位に就けたなどが書いてます。

副島隆彦のぼやき503に角栄本の書評があります。この中では「角栄なら日本をどう変えるか」(新野哲也著)などは私も読みましたが、マスコミがどういうときに一斉に右へならえをするのかよくわかりました。
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200312.html#0401

これら以外でも記者クラブや広告代理店などへの批判は
他にもいろいろな人がされてます。
今の大手マスコミは個々の記者はともかく組織としては表現の自由が必要とか邪魔とか考えることもできないぐらい、
ただ支配層の広報機関になっているように思う。
特に1990年ごろからマスコミの多くは構造改革派・外国資本・ハゲタカ・ファンドなど(以後まとめてグローバリスト派とします)とアメリカなどの支配層のために自衛隊の海外派兵や日本が戦争を簡単にできる国にしようとするための報道が目立ち、権力を監視したり国民に真実を伝えるということをしなくなってきたと思う。
憲法改正についてはこちらの方とだいたい同じ意見です。
http://www.asyura2.com/0406/senkyo4/msg/310.html
今の憲法改正はほとんどの国民にとって、ただ利用されるだけのひどい結果が待っているだろうと思います。
ですから表現規制だけでなく今の憲法改正にも反対します。(永遠に今の憲法を変えてはいけないという意味ではないです。)
北朝鮮問題についてもマスコミはアメリカと北朝鮮の隠された糸についてマスコミはほとんど報道しない。せめて
木村愛二氏の裁判の証拠にもなっていた「悪魔の情報戦争」(浜田和幸著)に書かれてる内容ぐらいは報道すべきだと思いますが。

だから青少年健全育成条例などや青少年有害環境や青少年健全育成などの青少年を口実にしたメディア規制法に反対しないのも当然といえば当然。以前にも書きましたが
この問題は単に官僚の利権がどうしたというレベルの問題ではないのだと思う。つまり青少年を口実にしたメディア規制という最初から言論弾圧を目的にしているのだろう。青少年の危機を煽るためには長期間ほとんどのマスコミの協力が必要になるから1省庁の官僚や一部の政治家の利権目的程度では無理だろうと思ってます。
バブル崩壊前後から始まった(計画は前川レポートなど80年代か)日本の構造改革や戦争のできる憲法改正、そしてその他の監視・統制国家にしようという動きと深い関係があるのだと思っています。そういう国にするのであれば表現の自由などの人権は
邪魔以外の何物でもない。
したがって青少年健全育成条例などで圧力をかけやすくしたり、
娯楽メディアを規制することによってある程度は批判精神もある週刊誌などを
資金的に兵糧攻めにしようとしているのかもしれない。
資金面に厳しくなれば独立して活動することは難しいでしょう。
メディアが青少年へ悪影響与えるというのは感情論・観念論にすぎず根拠がない。
十分な根拠もなしに恣意的に規制できるだから悪法以外の何物でもない。建前としては自主規制ということになっているが実質的には強制だ。
こんなことがまかり通るのだから根拠がなくても適当な理由でネット規制もやろうとしてくるかもしれない。
だから私は憲法改正や構造改革と同様に青少年を口実にした表現規制に反対します。
まあ、娯楽が奪われるというのも大きいでけどね。
このような虚構の理論に基づいた悪法・インチキ条例は直ちに廃止すべきである。
マスコミにはこれらの事件や問題の真実を報道して欲しい。
少なくとも神戸酒鬼薔薇と今年の長崎佐世保カッター事件は冤罪を論じる価値は十分にあると思う。
また宮崎勤事件や去年の長崎事件も冤罪やマスコミの異常な報道を再検討する価値があると思う。
宮崎勤事件・神戸酒鬼薔薇事件・そして今度のNEVADA長崎佐世保事件と
メディア悪影響論
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/650.html
宮崎勤事件の冤罪説のサイトと青少年を口実にした表現規制の影響と目的
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/663.html
青少年の犯罪は本当に凶悪化・増加しているのか、それはメディアのせいなのか
http://www.asyura2.com/0403/nihon13/msg/723.html
なぜマスコミは「ゲーム脳」をあんなにも取り上げるのか
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/1224.html
少年の脅威とメディア悪影響論と東京都青少年育成条例など青少年を理由にしたメディア規制は、なぜ起きているのかを考えてみる
http://www.asyura2.com/0406/bd36/msg/173.html

マスコミが青少年健全育成条例も含めなぜこれらの問題を報道しないのか青少年の保護という建前だから反論しづらいなんていうものではなく
余程高位のところから圧力がかかっているのか
多分これらのことは「国民には難しすぎる」とでも思っているからなのだろう。

教育基本法改正にしても同じ流れがあるのだろう
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1315.html
最近、青少年の脅威とともに虐待の問題がよく取り上げられていますが、
あれもある時期から急に騒がれ始めたように思います。
何かプロパガンダ的なものを感じる。
虐待を完全に未然に防ごうとすれば結局は監視・密告をすすめるような社会になるだろうし、公権力が各家庭への介入をしやすくするような体制になるだろう。
そうなれば何が虐待か恣意的な判断で公権力が子供を親から取り上げるようなことも
できるかもしれない。
また親は虐待をするかもしれないから信用できないというコンセンサスのようなものができあがれば私的な教育よりも公的な教育の比重が増えることになり
支配層に有利な教育をしやすくなるのではないかという懸念もあります。

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