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小泉の三年間ほど、この国に「人物」が見当たらなくなった時代がかつてあっただろうか。この時代は憲政史上の珍事と言えそうだ。
小泉より見てくれが良く有能そうに見える人物を、新聞テレビが引っ張り出して持て囃す事はなかった。代りに見せてくれたのが、ゲテモノ古物の慎太郎であり、中曽根大勲位だ。
この事は、それなりの「有能な人物」を見せる事によって、小泉が見劣りしては困るからだと極めつけても差し支えないだろう。
これは、この国から「インテリジェンス(知性・聡明さ)」を追放した事と同じである。代りに蔓延ったのが、小泉が発する「こじつけ・ごまかし」を正当化しようとする多数の御用評人たちである。
追放した知性の代りに、国会で「人生いろいろ、会社もいろいろ・・」と唄い上げる、痴性が残った。国権の最高意思決定機関の場で、低俗で野卑な、いやらしさを十二分に見せてくれる小泉という、霞ヶ関が操る「喋るマネキン人形」で、国民を三年間も誑かして来たのがメジャーと自らが豪語する新聞テレビだ。
過ぎ去った三年の月日は永遠に取り戻すことが出来ない。この間、小泉政治の「貧乏人がこの世から居なくなれば、景気は良くなる」で、見捨てられた多くの人々があの世へ旅立った。この無駄と言うより、罪とも言える害をなした三年の月日を費やして生んだものが「痴性のメジャー化」である。
こんな愚かしい日本の財産造りに励んだのが新聞テレビなのだ。彼らは敗戦後、懺悔をしなければならなかった戦時下のマスコミと同じ事を今しているのだ。
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