現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ36 > 200.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
2年前、ドイツのイラク大使館で起きた不思議な事件を覚えているだろうか。
ブッシュ政権が「テロとの戦い第2弾はイラクだ」と、戦争の準備を進めていた矢先、数人のイラク人がベルリンのイラク大使館を襲撃、占拠した。テロリストがイラクを襲う? イラクのフセインがテロリストじゃなくて? フセインの自作自演説までささやかれたほど、真意のつかめない事件だったが、犯人グループは「フセインの非人道性を国際社会に訴えるためにやった」と訴えた後、ドイツ警察にお縄になった。
その首謀者の一人アルーシの名前を1年後、思いがけないところで聞く。フセイン政権崩壊後のイラクで、彼は米占領下で「バース党員追放キャンペーン」の責任者になっていたのだ。いわば、アメリカのイラク解放の目玉、民主化政策の先鋒(せんぽう)である。あれ、彼はドイツで逮捕されたんじゃなかったの。
そこはボスの口利きのおかげだろう。戦争直後のブッシュ政権の一番のお気に入り亡命イラク人、アフマド・チャラビは、バース党員追放の積極的推進者だった。アルーシはチャラビの一派だった。
だがアルーシの運命は再度変転する。今年5月、突然ボスのチャラビがアメリカの恩寵(おんちょう)を失ったのだ。銀行家時代に横領罪に問われていたチャラビ、以前から国民には評判が悪かったが、主権移譲を前にブッシュ政権はとうとう彼を切った。米軍の指揮でイラク警察が彼の事務所を捜索したのである。おかげでアルーシは再び「大使館襲撃犯」の身の上に。ドイツに戻れば再逮捕か、と本人は窮地に追い込まれた。
フセイン政権から米英占領、イラクの暫定政権にと、主がくるくる変わるイラクでは、支配者が一転犯罪者に、あるいはその逆もよく起こる。
たとえばムハンマダウィ。南部湿原地帯で反フセイン活動を展開してきたゲリラ活動家だ。米英占領の補佐役を務めたイラク統治評議会入りしたときは、沼地の荒くれプリンスも出世したもんだと皆驚いた。しかし、イラクに暫定政権が出来て統治評議会が解散したら、彼には即座にイラク裁判所から逮捕状が出された。理由は、殺人容疑。
それだけじゃない。ナジャフなどシーア派聖地で米軍と毎日血みどろの戦いを続けてきた反米強硬派のムクタダ・サドル。貧困層出身の若者に人気のこの暴れん坊に、米軍はつい最近まで「殺すか、捕まえるか」と対決姿勢を取っていたが、ひと月ほど前に成立した停戦では、主権移譲後サドル派は政治政党にくら替えし、今後選挙に立候補するとの観測も。アメリカのウェブサイトでは、「お尋ね者」と書いたサドルの似顔絵ポスターが、そのまま選挙公報用に使えるのでは、という風刺マンガも出現している。
「きれいはきたない、きたないはきれい」のシェークスピアの名セリフを地でいくイラクの政治模様だが、「きれいなものなんて、ないのさ」的諦念観に国民が陥る前に、なんとか暫定政権が安定してほしい。でも首相自らが米中央情報局(CIA)のスパイだったくらいだから、信頼醸成っていっても、ムリかな。
http://be.asahi.com/20040703/W12/0125.html