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ブッシュ大統領が依拠するアメリカの秘密権力組織―
「スカル・アンド・ボーンズ」2003.7 植田 信
http://www5d.biglobe.ne.jp/~uedam/index.htm
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今年に入って私はブッシュ大統領が依拠するというアメリカの秘密権力組織のことを耳にした。その名を「SKULL & BONES/スカル・アンド・ボーンズ」という。直訳すると日本語では「頭蓋骨と骨」となり、なんともおぞましい名前だ。最初、私は、いまどきアメリカの大統領の職にある者が秘密組織に依拠しているなんてことが、まさかあるはずがないだろう、と思った。それでも半信半疑でアメリカ・ヤフーを検索したところ、情報が山のように出てきたので、これには驚いた。その内容を知って、私はさらに驚いた。今回、この「スカル・アンド・ボーンズ」について、私が調べたことを紹介してみたい。
今年の2月にフィリピン人のニカノール氏が京都で講演を行った。1998年にシアトルでWTO(世界貿易機構)の国際会議が開かれたとき、大規模な反対デモのために会議が中断するという出来事があったが、彼はこのデモを組織した人物だ。以後、市民運動を無視できないと悟った世界銀行やIMF(国際通貨基金)は、理事会に彼を招くようになった。その体験を踏まえてニカノール氏はブッシュ政権の特徴を述べたのだが、ここで「スカル・アンド・ボーンズ」の名前が出た。この組織はヘーゲル主義を標榜しているという。ヘーゲル哲学の弁証法を独自に解釈し、「その機関は世界の中でみずからの優位を導くために、世界の中に意図的に対立を引き起こし、緊張が極まったところで、自分たちを有利に導く解決を提供する」と彼は言う。では、「スカル・アンド・ボーンズ」とはどういう組織なのか。
起源は1832年に遡る。場所はコネティカット州ニュー・ヘイブンにあるエール大学。東部アイビー・リーグに所属するアメリカ有数の由緒ある大学だ(1701年創立)。その年、ここのキャンパスに「スカル・アンド・ボーンズ」という秘密結社が設立された。創設者はエール大卒業生のウィリアム・ラッセルとアルフォンゾ・タフト。ウィリアムはドイツ留学(ベルリン大学)から帰ったばかりで、ドイツから2つのものをエール大学に持ち帰った。ヘーゲル哲学と、「イルミナティ」という秘密結社だ。設立資金には、ウィリアムの家族が中国のアヘン貿易で稼いだ富が使われた。彼らはドイツから持ち帰ったものを自分たちでアレンジし、毎年の入会メンバーを15人と定めた。しかも条件はWASP(ホワイト、アングロ・サクソン、ピューリタン)の学生のみ、とした。ただしこの時代、ハーバード大など他の大学でも学生による秘密結社が盛んにつくられたため、秘密結社といっても特別なことはなく、学内の社交クラブのようなものだった。しかしその後、この「スカル・アンド・ボーンズ」から輩出される人材が、この組織を突出させた。
1856年、「スカル・アンド・ボーンズ」が「ウィリアム信託協会」という名前として正式にエール大学に承認された。この頃から、ボーンズ会員たちによるアメリカ社会への影響力が発揮されるようになる。まず、彼らはアメリカの学問を自分たちのヘーゲル哲学で方向づけた。ティモシー・ドワイトはエール大学長になり、ダニエル・ギルマンはカルフォルニア大とジョン・ホプキンス大の初代学長に就任。アンドリュー・ホワイトがコーネル大学の初代学長に就任。3人ともベルリン大学でヘーゲル哲学を学んだボーンズ会員だった。3人は協力してエール大学内にシェフィールド・サイエンティフィック・スクールを創設したが、資金は連邦政府から受けた。国家は個人にとって神のごとき存在である、とするヘーゲル哲学のアイデアから着想を得た政府への働きかけの成果だった。
ボーンズ会員の本領が発揮されたのは政治、特にアメリカの外交政策の場だった。創設者の一人であるアルフォンゾ・タフトがユリシーズ・グラント大統領政権で司法長官、陸軍長官、チェスター・アーサー大統領政権でロシア公使を務めると、息子のウィリアム・タフトは第27代アメリカ大統領になった。さらに孫のロバート・タフトは上院議員になり、第二次世界大戦を主導する一人になった。息子も孫もボーンズ会員だった。
私が調べたところでは、戦前、日本に最も深く関わったボーンズ会員はヘンリー・スティムソンだ。1888年に「ボーンズ」になったスティムソンはセオドア・ルーズベルト大統領の時代に政権に入り、以後、1950年に死ぬまでウォーレン・ハーディング政権を除いてすべての政権で閣僚に就任した。日本が満州事変を起こした1931年、フーバー大統領政権の国務長官だったスティムソンはいち早く「スティムソン・ドクトリン」を発表し、アメリカは日本による中国領土への侵入を認めないと警告した。1937年に日本が中国と全面戦争に入ると、1935年に成立したばかりの中立法に縛られて身動きのできないルーズベルト政権をみかねて、対策を練り始めた。今のところアカデミックな公認(学説)とはなっていないが、日本軍の真珠湾攻撃誘導作戦の立案だ(先に日本軍に攻撃させるように日本を挑発し、アメリカ国民を参戦に駆り立てる)。真珠湾攻撃のあった日に、早くもスティムソンはナチス・ドイツを倒すためにノルマンディー上陸作戦を練り始めた。
戦中には、彼はマンハッタン計画(原爆開発)の最高責任者を務め、広島、長崎への原爆投下を決めた。(京都をアメリカ軍の空爆の対象からはずしたのもスティムソンだ。)ポツダム宣言を起草したのはジョン・マックロイだが、彼を召集したのがスティムソンだった。(マックロイは家系がスコッチ・アイリッシュのため「ボーンズ」にはなれず、ハーバード・ロー・スクール卒。娘が「ボーンズ」のハーヴェイ・バンディと結婚した)。またスティムソンは戦後の天皇制の存続を保証し、ルーズベルト大統領の急死により就任したトルーマン大統領の背後で、実質的にアメリカの戦争を指揮した。(トルーマンはスティムソンを全面的に信頼した。)スターリンのアメリカとの日本占領共同統治という野心を打ち砕いたのがソビエト大使だったアヴェレル・ハリマンで、彼も「ボーンズ」だった。
紙面の都合で省略せざるを得ないが、ケネディー政権も実質的にはスティムソンを師と仰ぐ「ボーンズ」政権だった。(マクジョージ・バンディ、ハリマン、ラヴェットはすべてボーンズ、ディーン・アチソンはスコッチ・アイリッシュの家系のためボーンズになれず、エール大の別の組織「スクロール・アンド・キー」の会員になった)。
秘密結社である「スカル・アンド・ボーンズ」がアメリカ国内で広く知られるようになったのは、父親ジョージ・ブッシュが大統領になったためだ。ブッシュ家は代々ボーンズ会員であり、父親は1948年度、息子は1968年度に入会した。父親ブッシュ大統領が湾岸戦争で勝利したとき、「新世界秩序」というスローガンを打ち出したが、これが創設以来の「ボーンズ」の掲げる理念と合致する。目指すは「一つの世界」。過去にはこれが国際連盟となり、そのあと国際連合となり、現在のブッシュ政権がイラク戦争を推進する政策となった「中東全域民主化計画」である。
ブッシュ政権下のボーンズ会員は、5人いる。エヴァン・ガルブレイス(NATO代表)、ウィリアム・ドナルドソン(SEC委員長)、ロイ・オースチン(トリニダード・トバコ大使)、ロバート・マッカラム(準司法長官)、エドワード・マクナリ―(国土安全保障局長官)。このうち、オースチンとマッカラムは、大統領と同期の1968年度のボーンズ会員である。ここ数ヶ月、これらの事実に私は驚き続けている。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~uedam/index.htm