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「573」 、『人類の月面着陸(1969〜1972)は無かったろう論 Apollo11 Has Never been to the Moon』(徳間書店)が書店に並びました。「学問道場」では今後もこの問題を追求していきます。 2004.7.2
SNSIの須藤です。今日は2004年7月2日です。
副島隆彦の新刊、『人類の月面着陸(1969〜1972)は無かったろう論 Apollo11 Has Never been to the Moon』(徳間書店)が遂に発刊になりました。
・『学問道場』内、本のお申し込みのラインナップにも加わりました!こちらも是非ご利用下さい。
http://soejima.to/cgi-bin/hi-mail/4books.html
「まえがき」と「あとがき」を以下に転載します。
会員専用ページ「572」の講演でも触れられているように、副島隆彦の言論は10年ほど先行している傾向があります。
あと5年、10年もすればこのアメリカの大嘘も、常識として静かに定着してくることでしょう。
既成の知識に乗っかって自分の頭を疑わない、ロボットのような人間達の頭脳にひびを入れる、強烈な一冊です。
皆様、是非お買い上げ下さい。
(転載はじめ)
まえがき
この本は「人類の月面着陸は本当に有ったのか」の疑惑を真っ正面から追及する本である。
今から35年前の1969年7月20日の、NASA(米航空宇宙局)が行なったアポロ計画の有人宇宙飛行であったアポロ11号による、人類初の月面着陸、そして月からの生還という大実験はおそらく無かっただろう、という内容の本である。
アメリカ政府は今から35年前のあの時、私たち地球上の全ての人を大きく騙したのである。そして今なお騙し続けている。だからアメリカ政府とNASAは、35年間にわたって、私たち人類を巨大な欺罔と迷蒙の中に置き続けているのである、と主張する本である。
この一冊丸々で、これでもかこれでもかとたくさんの証拠を挙げてこの事実を証明する。
「こんな本を書いて、あなたは正気か? 頭は大丈夫か?」と、問われるのは覚悟の上である。
私は、この『人類の月面着陸は無かったろう論』、即ちあれはアメリカ政府が捏造した巨大な権力犯罪である、という立論をして、このことを日本国民に本気で訴えかけようと思う。
私は「アポロ計画」自体が無かったとは言っていない。
アポロ計画は実際に有ったし、今も月面には、何機かのアメリカ製の月ロケットが軟着陸に失敗して地表に激突した痕跡が残っているはずである。従って、私は、「アポロは月へ行っていない」という不正確な書き方はしない。アポロという名のロケット(ただし全て無人)の残骸はあるのだ。だが、人間(人類)は、月には降り立っていない。そんなことは無理なのだ。
従って、NASAが公表している、あれらの月面での飛行士たちの活動の映像は全て偽りであり、偽造品である。
とてもではないが、人類はいまだに人類を月に送るどころか、月面探査機を月の軌道上で周回させて無事に地球に戻すだけの宇宙ロケット技術さえ持っていない。今の今でも地表からの高度400キロメートルぐらいの地球の周りをグルグル回る以上のことをできはしないのである。だから私は、この本の書名を慎重に構えて『人類の月面着陸は無かったろう論』とした。
今のこの2004年の人類の最新技術を全て寄せ集めても、無人の探査ロケットが月まで行って周回して、軟着陸して、月面を探検して、試料(サンプル)を集めて、そして再発射して、地球まで無事帰ってこさせることはできない。それだけでもあと30年ぐらいかかるのではないか。
そうすると、あのアポロ飛行士たちが月から持ち帰ったという月の石≠ニいうのは一体、何なのか?
人類の月面旅行が今なお無理である大きな理由(根拠)のひとつは、あのスペースシャトル「コロンビア号」の失敗である。乗員7人を乗せたコロンビア号は地球帰還の寸前の着陸の途中に爆発事故を起こした。昨年の2003年2月1日のことである。人類はまだ地表からたかだか250キロメートルから400キロメートルのあたりを、グルグルと周回する以上のことはできないのだ。有人ロケットを地球から出たり入ったりさせるだけでも爆発炎上するぐらいの技術力しかないくせに、どうしてあの遠い月(38万キロも彼方にある。晴れた夜には私たちにも見える)まで行って帰ってこれたなどと主張したのか。そして今もみんなでよくもまあ信じ込んでいるものだなと私は、ひとりであきれかえる。
この世を冷酷に見切っていた優れたコラムニストの故・山本夏彦氏が書いたごとく、まさしく一体、「何用あって月世界へ?」(何のために月に行くなどと言い出したのだ)なのである。
人類(アメリカの宇宙飛行士たち12人もが!)は月には行っていない。行けはしない。これから30年たっても行けない。宇宙は真空である上に放射線(宇宙線)に満ちた恐ろしく危険な所だから、生身の生物は、とてもではないが、何千キロ、何万キロもの遠くまで人間を乗せた宇宙飛行などできはしないのである。せいぜい、まだまだ空気(地球大気)がかなりある地表から1000キロメートルぐらいのところまでしか行けない。その先には、恐ろしい「ヴァンアレン帯」という放射能地帯がある。
私は騙されない。
他の多くの、日本国民の99・99パーセントが、「アポロ計画がアメリカのついた大きな嘘だった、なんてとても信じられない」と言って、私を精神病者扱いしても私は構わない。この問題を扱うと決めた私の決意は堅くて深いのである。どうせ、あと5年ぐらいで大きな真実は明らかになるのである。
副島隆彦
(転載おわり)
須藤よしなおです。
以下は『人類の月面着陸は無かったろう論』の「あとがき」です。
(転載はじめ)
あとがき
本書、『人類の月面着陸(1969〜1972)は無かったろう論』が出版されたあとは、私に何が起きてもおかしくない。そんなことは覚悟の上である。私はこの本に評論家、言論人としての勝負を賭ける。私が勝つか、それともアメリカが振り撒く虚偽に追随し続けて自己保身で汲々としている頑迷な人々が勝つか、一本勝負である。
アメリカ政府は今もイラクで愚かきわまりないことをやり続けている。実情としては、この本は日本の言論界で無視されて(恐れられ、タブー視され、敬遠されて)ほったらかしにされるだろう。人間はいくら根性と気概、気迫(これをヴァーチュー virtue と言う)があっても、その時々の時代の風と、時の運(これをフォルチュナfortuna と言う)に恵まれなければどうにもならない。その時々の時代の風潮に受け容れられなければどうにもならない。
だから、じっと我慢して耐えなければならない。「周の粟を喰らわず」と言って餓死した伯夷叔斉の中国の故事に倣うことも時として大切である。忍従のまま人生が終わることも多い。しかしきっと数年のうちに、この本は、雄々しく甦るだろう。それは遠からず数年のうちに、人々の間に静かに広がる噂となり、それがやがて津波のように日本国にも満ちて大きな真実が白日の下に露呈する。
私が、人類の月面着陸は無かっただろうと主張する上で、日本国内で高く評価するのは、『アポロは月に行ったのか?』(2002年刊、五十嵐友子訳、雷韻出版)原著Dark Moon:Apollo and the Whistle‐Blowers, 1999 by Mary Bennett, David S. Percy≠ナある。著者たちは勇気あるイギリス人たちである。それが269頁のテレビ番組『オペラシオン・リューヌ』につながっている。この本を日本に紹介するために翻訳出版した雷韻出版社長・山田一成氏、と数人の先人たちに敬意を表する。
それからテレビ朝日内にあって、「アポロ疑惑」を、アメリカ政府とNASA(アメリカ航空宇宙局)からの陰に陽にの圧力にもめげず、前記外国フィルム作品等を部分的に使いながら、日本国内でも放送し続けてきた山本隆司プロデューサー始め皆さんに敬意を表する。
それに対して、NASAの手先≠ニなり大きな虚偽に加担し続けている的川泰宣氏(現JAXA職員)や『宇宙からの帰還』(中央公論社、1983年刊)の著者、立花隆氏らに対しては軽蔑の念しかない。私は彼らに公然と喧嘩を売る。必ず決着をつけてみせる。全てはアポロ11号から17号までの飛行士の月面着陸(13号を除く)は有ったのか、無かったのか、の一点にかかっている。この一点の事実判明から誰ひとりとして逃れることはできない。
日本国民の間に広がっている「アポロ疑惑」を打ち消すために、NASAから特別に抜擢されて「噂打ち消し業務」に従事している前述した的川氏らに対して、これから私は激しく挑みかかることになるだろう。「お前なんか相手にしないよ」ということであればそれでもいい。機会を待ち続けるだけである。
私がこの本で標的にしているのは、日本の500万人の理科系の技術者や研究者たちである。彼らが日本を豊かにした真の功労者である。だが、彼らにしても敗戦後からアメリカが計画的に植えつけたアメリカ科学(という名の)信仰≠フ忠実な信者たちである。理科系の人々は、数字(数学)を駆使し、実験と観察で冷静にものごとを判断するから、文科系の人間たちよりも理知的であることになっている。その反面、理科系は泥くさい人間関係の機微を知らないので、やや愚鈍だとも評されることも多い。それなのに、月面問題のような大きな話になるとコロリと騙される。理科系もたいしたことはない。
今から35年前のあの「アポロ月面着陸」の映像シーンに感動して科学者を志した人は多い。今でもそのように信じ込んでいる。彼らから見れば私は、荒唐無稽を通り越した変人の極みということになるであろう。まあ、いいさ。そのうち彼ら自身の信念が崩れ出す。アメリカ科学宗教≠ノ依ってきた日本の理科系人間たちがやがて激しい自己崩壊感覚を味わうことになるだろう。脳に強い痛みやきしみのようなものを感じるだろう。それが日本の理科系の洗脳(ブレインウォッシュあるいはマインド・コントロール)からの解放という脱洗脳=脱魔術化(disenchantment ディスエンチャントメント)になるだろう。
ちなみに、日本で本当に優秀な技術改良を企業の製造現場で行なった人々は本当は、大卒ではなくて工業高校や高専(高等工業専門学校)を出た人々である。理学部や工学部の大学院を出たような理科系エリートたちよりも、本当は、工業高校出の現場の技術屋たちが日本の真の技術革新をやってきたのである。なぜなら、高卒、高専卒の人々は、家が貧しかっただろうから、少年時代に、科学雑誌など買ってもらえなかった人たちだ。だから工場の現場で真剣に、目の前の製品改良に立ち向かい悩むことで、それで無数の小さな技術改良がなしとげられていった。それが日本の各種の工業製品を世界一にした。NHKの秀作シリーズ『プロジェクトX』に描かれるとおりである。
それに比べて、総じていいところの坊ちゃん≠ナある勉強秀才の理科系エリートたちは、少年時代から、『科学と学習』(学研)や『ニュートン』(ニュートンプレス)を買ってもらって読みふけり、あるいは学研の「科学実験セット(キット)」を買い与えられて熱中し、宇宙への夢≠育んだ人々だ。この人々ほどアメリカ科学(という名の)宗教を信仰し続けている。私は彼らの脳に打撃を与えようと思う。
ところで、今の子供たちの宇宙への夢≠ヘどうなったのか? 今の子供たちのほとんどは、宇宙への夢≠ネど持っていない。ごく一部のオタクの宇宙少年や天文少年を除いて。私たちの時代とは大きく違うのである。
私たちの世代は、何かと言うと「大きな夢を持て。宇宙にまで広がる広大な人類のフロンティア(未開拓地)を目指せ」と教え込まれ尻をたたかれてきた。それで理科系の科学少年たちが日本には大量に出現した。彼らの脳(頭)を形成し、強く動機づけたのは、まぎれもなく、あのアポロ11号(から17号まで? この区別が映像でつく人が一体何人いるのか?)の飛行士たちの月面での活動の映像であった。この事実はとてつもなく大きい。そして35年後の今、彼らかつての科学秀才少年たちの脳に疑念のひびが入る時代が到来した。
だから人類の宇宙への夢など嘘寒い、と薄々感じて分かっている今の若い世代は、どこへ向かったのか。「人間は宇宙へなんか行けないよ。宇宙は放射線でいっぱいなんだよ。だから実際に行ってないじゃないか。いつまでたっても地球の周りをぐるぐる回っているだけじゃないか」と若い人たちは気づいている。勘づいている。
それで、今の若者たちはどこへ向かったか。思想家としての私はこのことを真剣に考えた。宇宙(空)がだめなら、それなら広大な海(海底)へか。そんなチンケな話ではない。海や海底資源開発なんかたいしたことではない。バイオ・テクノロジー(人ゲノム解明を含む)やナノ(超微小)テクノロジーや、ネット革命(情報通信革命)もたいしたことはなかった。それでどこへ向かったかと言うと、「福祉と介護」のほうへ向かいつつあるのである。介護とは、身体障害者と老人の入浴の支援やおむつの交換のことである。ここが人類の新しいフロンティアなのである。
今、日本の若者たちは確実に「宇宙≠ゥら介護≠ヨ」向かいつつある。私の周りの学生たちが、介護福祉士(国家資格)や、ヘルパー2級(県知事が指定。介護ビジネスで働ける)の資格を取ることに真剣である。今の若者は大学を出てもふつうの企業に就職できない者たちがたくさんいるから、追いつめられているから「人間の排せつ物(うんこ)のおむつの交換」に向かうのだ、などと既成の偏見に満ちた頭で考えないほうがいい。本当に人間(人類)は今、宇宙開発などという、どうせ大してできもしない嘘くさい人騙しに向かわないで、自分たちの身近のフロンティアに向かっている。私は旧い世代を乗り越えてゆく、新しい世代のこの強靭さにこそ期待する。アメリカ科学宗教の虜である宇宙少年と科学少年のなれのはてたちになど用はない。全て死に絶えてゆくがよい。
本書の第二章で詳しく書いたが、私は次の4つの点を掲げて、「月面着陸は有ったに決まっている。変な陰謀論をふりまくな」派の人々に論戦を挑み続けるだろう。
1 92頁で書いているNASA(およびJAXA)が公開している月面歩行している飛行士たちの映像は本物か? 一体、誰がどこから撮影したのだ。真空、無重量の中に人間がそんなに簡単に出てゆけるのか?
2 今から35年前に、人類の月面着陸を連続6回成功させたのだから、もう一度行って見せてくれ。
3 どうして月面を精密に写さない。できるはずなのだ。地球と同様に月面の10センチ四方の物体まで写しているはずなのだ。90年代にもルナ・プロスペクターなどの月面探査機(ただし地上帰還はまだ無理だろう)をたくさん飛ばして、地表の直径数センチまで写せる解像(分解能)技術があるはずなのにどうして公表しないのだ。月の表面だけは、この35年間なぜか絶対に写し出さない。
月面に激突しているはずの多くの月ロケットの残骸を写している多くの写真を公表せよ。なんなら月面に残してきたというアポロ11号〜17号の着陸船下部や月面走行車その他の機材でもいいから、ちゃんと写したものを見せてくれ。
4 今の今でもロケットの軟着陸、そして再発射はできない。それもやって見せてくれ。スペースシャトル「コロンビア号」のように、地球の周りをグルグル回っているのが今でも関の山である。そして、地球上から出たり入ったりするだけで爆発炎上しているくせに、よくも38万キロメートルのかなたの月を周回して無事帰還できたものだと、不思議きわまりない。
以上の4点である。この4点に絞り込んで、私はこれからも月面着陸は当然有った派(NASA肯定派)に対して言論攻撃をかけ続ける。「過ぎ去った昔のことだから、もうどうでもいいではないか」と言って責任逃れしようとする者たちも許さない。私を黙らせることはできない。
私が勝つか負けるか、この本の読者になってくれる皆さんは観客席からしっかり見届けてほしい。「真実は権力よりも強い(はず)」なのである。Pen is mightier than sword≠ナある。「おまえなんか、無視の包囲網で押さえ込んでやる。いい気になって威張るのはやめろ」と私に向かって、奇怪な言論封殺攻撃を仕掛けているおかしな人物たちとの闘いも続く。
だからここではっきり書いておく。もし私の主張が明白に間違いで、アポロ11号の飛行士たちが月面に着陸していたことの明白な証拠が出てきたら、その時は私は筆を折る。もう二度と本を書いて出版することをしない。これだけの深い決意で私は本書を書いた。本当の人生の一本勝負である。
これまでに私の主張を裏づけ応援してくれて、かつ、自分自身でも真実を探究しようとしている理科系の技術者や研究者たちであるジョー君、横山君、PBS君たちが、私のこの本に続いて、「人類月面着陸問題」について、学術的かつ厳密な専門的な本を次々に書いて出版してくれることを心から希望する。そのために私が全力で応援する。彼らは私がインターネット上で主宰する「副島隆彦の学問道場」
http://soejima.to/
で育った私の優秀な弟子たちである。
最後に、本書の出版を決断してくださった担当編集者の石井健資氏にお礼を申しあげる。編集プロダクション、トライ・プランニングの守屋汎氏と小暮周吾君にお世話になった。そして、徳間書店出版局編集長の力石幸一氏にも暖かく見守っていただいた。重ねてお礼を言います。
2004年5月31日
副島隆彦
ホームページ「副島隆彦の学問道場」http://soejima.to/
副島隆彦のメールアドレス GZE03120@nifty.ne.jp
(転載おわり)
須藤よしなお 拝
2004/07/02(Fri) No.01
http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi