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絵そのものが討論の対象となる、私の絵はそういうものだと思っている(アンゼルム・キーファー・インタヴュー)
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投稿者 愚民党 日時 2004 年 6 月 29 日 11:49:00:ogcGl0q1DMbpk
 



絵そのものが討論の対象となる、私の絵はそういうものだと思っている
アンゼルム・キーファー・インタヴュー by Hitoshi Nagasawa

http://www.linkclub.or.jp/~pckg21c/land/anselm.html
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 1999年の世界文化賞にドイツ出身の画家、アンゼルム・キーファーが選ばれた。80年代から90年代にかけて、美術史上最も革新的で、するどい作品を残していたのがキーファーだと思う。僕自身、それ以前から本や雑誌で見て、心酔していたが、1989年に〈フジテレビ・ギャラリー〉で個展を観て、圧倒され、それ以来、現代美術で最も好きな作家と訊かれれば、必ずキーファーの名を挙げ続けた。その後、ゲルハルト・リヒターなどが最も現代的であると評されても、僕はキーファーのほうが好きだった。彼の絵のマチエール、そして題材のなかにドイツ史(とくにナチスから第二次世界大戦前後の)が入り込んでいることも、そのひとつの要因だったかもしれない。

 だが、評論家が、単純に彼の絵にナチズムのイコン云々を言うのには辟易していた。それはキーファーも同様だったろう。歴史は世界の共時的時間でありながら、きわめて個人的なものでもあるはずだ。しかも「絵画」にそうした歴史時間が入り込んだとき、単純な言葉でそれを表徴するのは、もっとも危険なことだ。キーファーにはキーファーの歴史時間があり、彼が描かなければならなかった「時間」というものがあるはずだ。それはけっして誰もが共有できるものとは限らない。
 
 ここに掲載するインタヴューは、雑誌『ELLE ジャポン』の依頼によるものだが、1ページという誌面の都合上、ほとんど割愛せざるを得なかったので、ここにほぼ全文を掲載することにした。共同インタヴューだったが、20社あまりの記者がいならびながら、誰も質問しようとしなかったり(結局僕を含めて質問したのは4人、ようするに他人の質問で記事を書こうとしているわけだ)、彼の現在のアトリエのこととか最低限の知識もなかったりで、僕が7割くらい質問していたと思う。嫌味に聞こえるかもしれないが、これは僕自身が驚いたことでもあり、またインタヴュー終了後、キーファーのマネージャーがこのインタヴューはすごく良かったのでテープにして送ってくれないかと直接、僕に言ってきたことでも、僕の質問が的はずれではなかったことを証明してくれていると思う。全体のなかから僕が質問した部分と答えのみ抜粋した。
 
N(長澤)-まず、最初の質問ですが、あなたは本にまつわる作品をいくつか作っていて、しかもそれがあなたにとってとても重要なもので、かつ「重い」ものであるように感じられます。あなたにとって「本」とは、どのような対象なのでしょうか?

K(キーファー)-やはり本と絵は根本的に違います。絵というのは、そこに存在するだけで、ひとつの世界を提示します。絵は「絵」そのものが対象です。それに対し、本というのはそれを理解するにはページをめくらなければなりません。しかも本というのは「世界」を把握するという潜在的なチカラも持っている。本というものは、いうまでもなく文字によって書かれているワケですが、文字は現在まで、ずっと重要なメディアであり続けてきました。

 アレクサンドリアの図書館には象形文字の本が沢山並んでいたわけです。あの時代、そこですでに実際の「世界」が提示されていたわけで、そういう歴史からみても本は、私にとってひじょうに重要なものです。本は世界そのもの、文化そのものの記憶を保持するとともに地理的なものも提示できるわけで、それはわれわれの脳のなかに留まっているもの、つまり空間的な想像力、それをも表現することが可能ということです。

 プリミティブな生物から人間に至までの発展状況すべてを本というものは提示することが可能です。ミトコンドリアの時代からの記憶のようなものが、われわれの体内にはあり、そしてこうした過去と現在、すべての「時と時を結ぶ」という機能が本にはあると思っています。
 
N-子供の頃から本に何かを貼ったりして「制作」していたという話しを聞いたことがありますが、それはどんなものでしたか? そして現在でも同じようなことをし続けているのでしょうか?

K-私が本を自分で貼り合わせて作り始めたのは、5歳のときからです。そのとき私は460冊の本を作ろうと目標にしてきました。以来、本に対する関心はずっと持続しています。こうした話しを知らない人は、私がアートを志してから本を作るという作業を始めたと思いがちですが、成人になってから本を作ろうと思ったわけでは、けしてありません。

 列車は、いつもひとつのところから別のところへ動くわけですから、それは人生のようなものだ、ということもできるでしょう。いつかはその列車に飛び乗って、何かをやって、あるとき飛び降りるわけです。これが人生です。その意味で私は、本に関しては、列車から飛び降りてはいないということでしょう。関心は、まだ続いているのです。しかし、いうまでもなくこれが私の全行動を指し示しているわけではありません。
 
N-では、「絵画」についてお聞きしたいのですが、普通、絵画というものは具象的なものであろうが、抽象的なものであろうが、「空間性」のほうが大きな要素を占めていると思います。しかし、キーファーさんの場合、特別に「時間」というものが入ってきていると思うのです。歴史的な時間ですね。「ナチズムに対する姿勢」云々をいう評論家も沢山います。ただ、僕はそうした「政治性」にとどまらぬ歴史時間が入っていると思うのですが、これに関してはいかがでしょう? また、現在でもその姿勢には変わりありませんか?

K-まったくおっしゃる通りです。私にとって「時間」というファクターは、ひじょうに重要なものです。私自身ずっと絵を描き続けて、20年描いて、ちょっとそれをやめて、また絵画という現実に自分を戻して、ということを続けているわけです。

さきほど言ったように私には、私たちの脳には人類がもっと原初の生物だった頃の記憶が留まっている、という感覚があって、それは自分の絵の中に継続性をもって意識されている。そういう意味でも私の絵画の中では、「時間」は特別に重要な意味を持っています。

 「歴史的な時間」という点ですが、歴史は、私にとってひじょうに重要なものですが、歴史が必ずしも「真実」とはいえないと思っています。誰がどう見るかによって変わるものですし、 歴史はひとつの連続線上にあるものでもありません。その線上にいくつもの点があって、その「点」を人がどういう風に見るか……だからかつてのある時代の「点」を私がどういう風に見るか? どう理解するか? それによって変わってしまうものも多々あります。ですから「歴史的時間」をひとつの対象としてみたとき、そのなかの「点」をどう見るかによって対象そのものが変えられてゆくこともありえるわけです。

 歴史を忘れるということによって、歴史が変えられる危険性を私たちは承知しなければなりません。私個人にとって、歴史は絵画の「素材」でもあるわけです。と同時に、私は歴史そのものではなく、自分の「歴史観」を描いているつもりでもいます。歴史観というもの自体、歴史に対する作成行為だと思っていますから。

 歴史はいつも動いているものであって、歴史のなかに一定の静止点があってそこに留まってすべてを解決できる、そんな静止点はありません。歴史が動く以上、歴史観も変わりますし、そうした時間のなかに組み込まれている人間も動いているわけです。ですから歴史は動いている、静止点はない、連続性ではなく、点の連なりである、そうした観点から私は、自分の歴史観を絵の中に表現しているつもりです。

 もちろん、すべて時間で描いているわけではなく「空間」も私の絵画の中で重要な場を占めています。それもひじょうに「集約的空間」です。例えば真っ黒な部分であったり、例えば大きな穴であったり。

 そういう点から言っても私の絵は、ひとつの磁石のようなもので、絵そのものが討論の対象になる。「問題」の対象になる。そういうもろもろを磁石のように引き込む絵だと理解しています。


左/SULAMITH。1983
中/革命の女たち 1985-87(『美術手帖』)
上/Das Buch 1979-85


N-キーファーさんの絵にはペインティングとしてのマチエールの魅力の他に物質的なものなどが、貼り付けられたりしています。砂をつけたり、藁を貼ったりとか。そういう物質と絵の具自体の効用が共存していると思いますが、物質という多様なものと絵の具という限定された用具との共存については、どうお考えでしょう?

K-絵というものは常に実質的にイリュージョンを提供してしまうという危険性を伴っているわけです。幻想を提示する。現実でないものを提示する。それを仲介する危険性を持っているわけです。そういう危険を伴う以上、私はできるだけ絵の具を少なくして「素材」を多くする、「物質」を多くするということに気をつけています。

 そうすることによって「実体」を提示できるんじゃないか、という思いを持っているのです。世の中には「精神」と「物質」は、まったく異なっている、分離している、という考え方の人も多いようですが、私はそうは思いません。おそらく「物質」のなかに「精神」が入り込んでいる部分が私にはあると思いますし、その「実体」を表現するためにできる限り物質を利用するということは私にとってひじょうに重要なことです。
 
N-その物質とか素材ということですが、以前TVでフランスのある地方の工場跡をアトリエにして移り住んで、散歩しながら藁とか木、動物の骨などいろいろなものを拾ってきて巨大なアトリエに整理して保管してゆく姿をみました。どれも絵画制作の素材となり得るものとして、拾ってきているのだろうと思いましたが、今はどのようなものを集めているのでしょう?

K-私が住んでいるのは南フランスのバルジャック地方というところで、昔、ユグノー教徒が逃げたところ、かのノストラダムスが住んだところでもあります。地中海気候からから山岳地へと変わっていく接点のようなところで、オリーブの木もあり、さまざまな果実もあり、自然に親しめる理想的な場所です。アトリエ自体は、小都市の郊外で昔、蚕を飼って絹を造っていた工場でした。2000人くらい働いていたそうです。それが売りに出たので、アトリエとして買ったわけです。

 現在は、というと多分TVでご覧になられたころと何も変わってないと思います。私の関心のある素材は何でも拾ってきます。いつか使えるんじゃないかと……。田舎ですから自然の摂理というものが生きており、たとえばアトリエにはネズミも住んでいます。すると私が集めた動物の剥製を囓ったりもします。そうしたら、また別の剥製を探したりするわけで、自然のリサイクルのなかで、あらゆる「素材」を集め続けていると言っていいでしょう。博物館のような良いコンディションに置かれているわけではないので、集めたもののなかには自然と朽ちてゆくものも沢山あります。でも、その朽ちたものが私の作品に使われることもあるわけです。
 
N-キーファーさんの作品は基本的にはペインティングであり、「物質」に依拠しているものではないと思っているのですが、それでも鉛をよくお使いになっているのを感じます。「鉛」という物質への執着は、けっこうあるのでしょうか?

K-歴史をみると「鉛の時代」「銅の時代」「金の時代」とさまざまなマテリアルの時代があります。王は金を所有しようとし、こうして時代は鉛を作り、銀をつくり、と動いてゆきます。いわば私にとって鉛とは「原初の物質」のようなものなのです。そこから銀や金へと発展してゆく……。それは化学です。ただ、私にとって厳密には化学というより「錬金術」のようなイメージがあります。それが「原初の物質」として鉛に惹かれる大きな理由かもしれません。


僕自身が質問したのは、おおよそ上記の部分だ。それ以外には、キーファーの絵にはワーグナーの音楽やゲルマン神話の壮大さと共通するものを感じるが、という質問があり、「私の絵は大きなものも小さなものもある」とかわされたり、鉛に関する質問のあとに別の記者が、あなたの絵は基本的にマテリアリズムだと思うが、これからの絵画においてマテリアリズムは、どう変化してゆくか? という質問もあった。キーファーの答えは、「私の絵はマテリアリズムではない」だけだった。当然だろう。新聞や雑誌の美術担当はおろか、美術館の学芸員までが、自分の知識と感性で絵を見ずに、他人の評論にのっとって自分も評してゆく、そんな現代の状況を、このインタヴューでかいま見た気がした。

 キーファー氏は、ひじょうに明晰で研ぎ澄まされた感性と知性の持ち主だった。こうした絵画の「重さ」=「感性の重さ」=「物質の重さ」と考えてもいいが、これは時間と空間を真摯に表現するときに対峙せざるをえない「重さ」なのかもしれない。それにしても90年代後半以降の世界に満ち満ちた「軽さ」は、何なのだろうか? ポール・ヴィリリオは『情報化爆弾』のなかで「資本主義が高度化するにつれ、文明は幼児化する」と語っていた。そういう意味ではキーファーにとっても「現代」とは決して住み心地のよい歴史上の「点」ではないのかもしれない。 

文責・長澤 均
(C)Hitoshi Nagasawa 2003
初出誌『ELLE エル・ジャポン』2000 / 3を大幅に改稿。
(C)photo : Shingo Wakagi
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