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(回答先: J.ウッズと同世代の私です。 投稿者 こいけ 日時 2004 年 9 月 10 日 12:43:44)
こいけさん レスありがとうございます。
引用は前後します。
>ジェイムズ・ウッズは「サルバドル」が良かったですね、今年40歳っていうのがほんとなら60年代
>に演劇をやってた時は子役だったんでしょうか?
がーん、失念していました。「サルバドル/遥かなる日々」でしたね、ジョン・ベルーシの弟と共演した。
間違いなく1947年生まれですから「ベトナム反戦世代」ということになるのでしょう。
>自分にはやはり負け犬根性が染み付いているのかもしれない、敗者の美学を気取ってる場合じゃないな。
>などと感じています。
世代論的な切り口は好まないのですが、唐十郎が「新宿見るなら今みておきゃれ、今に新宿 原(はら)に
なる」と謡ったとおり、こいけさんの世代が焼尽しつくした、ぼうぼうの野っ原に立ちすくんだわけです。
「なんじゃこれ」って。つまり私なんかは「終わりから始まって」いる、生まれついてのヘーゲル主義者。(笑)
書き残された歴史の自明性の上で、その解釈を争う「宗教」はご遠慮申し上げて「ア・プリオリな総合判断
は如何にして可能か」まで戻ってみようというのが当面?の結論なんですが
http://www.asyura2.com/0406/dispute19/msg/204.html
の答えにはなっていませんね。
ちょっとしゃらくさいのですが、 『夢野久作と埴谷雄高』鶴見俊輔 の
埴谷雄高、鶴見俊輔、河合隼雄の対談を引用します。
■埴谷 宇宙はほんとうに全部を包合している。部分が全体を所有している.あるほうから見れば部分
だけれども、別のほうから見れば全体なんです.無限大から見れば、部分も全体も同じなわけで
すよ。『幻視のなかの政治』の筆者は、政治にかかわらない局外的筆者だというのも本当だし、
安保闘争にかかわった直接者というのも、本当ですね。ぼくは「声なき声」に加わらなかったけ
れども。
今年(一九九〇年)、ぼくは小林トミさんから手紙をいただいたんですが丶小林さんは一種の
空虚感を書いてきました。毎年毎年やっているけど、ひとつも効果があると思えないと言うんで
す、だからぼくは返事を送ったんです。政治というのはすべて効果がない連続である、と。
■鶴見 いい言葉ですねえ。
■埴谷 それはそうです。維新の元勲なんていうのは、無数の死の上に成り立っている。うまく
やったやつが最後にその地位を手にいれたわけで、その前は全部挫折だらけです。レーニンがや
る前のナロードニキ時代は挫折、挫折、挫折の連続時代です。「非権力者の小林トミさん・政治
というのは挫折するのが当たり前なんです」。そう述べたら「やっと安心しました」と言ってき
た(笑)。だから、鶴見さん、ぼくを奇異に思わないでください。
埴谷が分裂症だということはそのとおりなんですよ。あなたがひじょうにいいことを言ったの
は、埴谷は刑務所にいるとき気が違ったんじゃなかろうかという洞察です。たしかにそうなんで
すよ。気が違ったのかもしれない。しかしだれもわからない。本人はなおさらわからない。しか
しぼくの無限病は、ふつうの発狂の理論で言うと気が違ってはいないわけですね。
■河合 違います。
■埴谷 だから発狂イコール非発狂という図式もできるわけです。「埴谷を見よ。あのように無
限にのめりこんでは、気違いである」とも「無限のめりこみこそ気違いでない証拠である」とも
言えるわけですよ。
そういうふうに言いかえてみれば、一イコール一を白昼にも夜の夢にも同一として適用するか
らいけないんで、二二が五の理論を用いれば、無限分裂型の文学の現存もよくわかるはずです。
いまの現実のなかの政治と『死霊』を統一できる大統一理論ができるはずですよ、そのとき。