現在地 HOME > 掲示板 > 戦争55 > 947.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
DAYS JAPAN 2004.06号
http://www.daysjapan.net/index2.html
「現場から」 綿井健陽
わたい・たけはる
1971年、大阪府生まれ。アジアプレス所属。JVJA会員。世界各国の民族紛争、災害を取材。03年、空爆下のバグダッドから「ニュースステーション」「筑紫哲也ニュース23」などで映像報告を行い、ボーン・上田賞特別賞を受賞した。
ホームページ http://www1.odn.ne.jp/watai/
『中東のメディアから学ぶべきこと』
(略)
外国人の拉致・誘拐が相次ぎ、バグダッド以外の取材が困難な状況にあるが、実は昨年3月の「イラク戦争」開戦以降、イラクで殺害されたジャーナリストやカメラマンは、そのほとんどが米軍による銃撃や攻撃によるものだ。イラクで取材する上での最大の「敵」は、イラクの武装勢力ではなく米軍だった。アラブ各国のメディアにとっては、それはいまも変わらない。
3月18日夜、バグダッド市内でUAE(アラブ首長国連邦)の衛星テレビ局「アル・アラビーヤ」のイラク人記者とカメラマンが乗った車が米軍に銃撃された。銃撃された車を運転していたアフマド・アブドルさん(41歳)によると、記者とカメラマンは、米兵たちと路上の検問で会話をして、そして100メートルほど先にある車に戻った。その直後、検問所に別の車が突っ込む。しかし、米兵はなぜかその車には発砲せず、つい5分ほど前に直に会っている記者たちの車に向かって何度も発砲を繰り返した。そして、助手席に乗っていた記者のアリ・アルカティーブさん(34歳)と、後部座席にいたカメラマンのアリ・アブドラ・アジズさん(35歳)が死亡した。
後頭部を撃たれたアルカティーブ記者は「なぜ、あの米兵は俺たちを撃ったんだ」と、亡くなる直前に車の助手席でアフマドさんに訴える。それが最期だった。アルカティーブ記者は、3か月前に結婚したぱかり。アリ・カメラマンの妻は妊娠中だったという。
奇跡的に軽傷で済んだアフマドさんは、インタビューの最後でこう答えている。「私たちは一年前からずっと一緒にクルーを組んで取材してきた。そしていま、私は生きていて、彼らは死んだ。彼らの遺影を見ていると、私が彼らを殺したのではないかと思う……」
生き残った者が罪の意識を背負い、本来罪を背負わなければならない者が、何も問われない。これが占領下にあるイラクの社会の現状だ。
翌19日、バグダッド市内にあるCPA(連合国暫定当局)での記者会見で、アラブ各国の記者たちが抗議声明を読み上げ、その後会見場から一斉に退席したという。これが本当の意味での「メディアスクラム」だ。日本の記者会見や「記者クラブ」で、こんな光景は絶対に見られない。
(略)