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社説
05月27日付
■国旗・国歌――生徒を苦しめるな
この春の卒業式や入学式で、生徒が君が代斉唱のときに起立しなかった学校がある。それは教員の指導が足りなかったからだと、東京都教育委員会は都立高校の担任教員や校長ら8校の57人を「厳重注意」などにした。
立たない生徒が目立った高校が対象になった。教員の指導の仕方と生徒が起立しなかったことの因果関係は、都教委もつかんでいない。それでも教員らは責任を問われた。
都教委は、これは処分ではなく指導だと説明している。しかし、名前が書かれた文書が残る。注意された教員らが人事の評価や異動で不利益を受ける恐れもある。官庁でも企業でも、厳重注意や注意は処分と見るのがふつうである。それを指導と言うのはごまかしだ。
昨年秋、都教委は国旗掲揚と国歌斉唱を実施するよう校長に通達し、校長の命令に従わない教員には「服務上の責任」を問うと伝えた。通達を守っているか、教師たちの座席表まで作らせ、監視役の職員を学校に派遣した。
その結果、処分者は約250人にのぼった。その一人で武道が専門の体育教員は「通達を見て、いずれは生徒も強制されると思い、抗議の姿勢を示さないわけにいかなかった」と語っていた。
「先生が処分されるから大きな声で君が代を歌ってほしい」と生徒に頼んだ校長もいた。
今回の処分で生徒への強制はいっそう強まるのではないか。先生が処分されるなら、起立しなければならないと感じる生徒は少なくないだろう。
国旗・国歌法が成立する際、当時の文部省は「児童や生徒の内心にまで立ち入っての強制はしない」との政府見解を繰り返した。憲法が保障する「思想及び良心の自由」に照らせば当然のことだ。この政府見解を、都教委はほごにしようとしている。
私たちは、日の丸を掲げるな、君が代を歌うなと主張しているのではない。処分という脅しで強制するのは行き過ぎだと批判してきたのだ。
学校で何より大切なのは、子どもたちが自ら学び、自ら考える力をつけることである。だからこそ、中央教育審議会も自主的、自律的な学校づくりを求めてきた。生徒の自主性や個性を認めないやり方は好ましくないと私たちは考える。
都の教育委員は教育方針を決めることができる。委員には早稲田大元総長の清水司氏、元文部次官の国分正明氏、永世棋聖の米長邦雄氏、丸紅元会長の鳥海巌氏、脚本家の内館牧子氏と、すぐれた実績を持ち、個性的な生き方をしている人たちがそろっている。委員たちは今回のことを黙って受け入れたのだろうか。
彼らは「自ら学び考え行動する、個性と想像力豊かな人間」を教育の目標のひとつに掲げてきた。
先生への処分を振りかざして生徒になにかを強制することが、この目標にかなっているとは思えない。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040527.html