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皆さん、こん○○は。
「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ
http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html
というサイトを運営する者です。
「週刊金曜日」5月14日に今井紀明さんと郡山総一郎さんへのインタビュー記事が掲載されています。記事は主に警察当局の取調べ、自身および家族へのバッシング、いわゆる「自己責任」問題についての両人のコメントで構成されています。
今井紀明さんへのインタビュー記事にはあまり新味のある「証言」は掲載されていないのですが、郡山さんは警察当局が氏を「犯人」扱いで取り調べに臨んできたことなどを憤りを交えつつ語っています。
個人的にはこの雑誌、あまり好きではないのですが(^_^;)、以下、両人へのインタビュー記事より警察の取調べに関する箇所のみを引用する形で情報提供します。
・「週刊金曜日」2004年5月14日号より
「単独インタビュー 『自作自演の容疑者扱いされた』」
−今井紀明さんへのインタビュー記事より
(略)日本政府の対応について今井さんは次のように感じている。
「結局、政府は何もできなかったということが、時間がたつにつれてはっきりしてきました。武装集団とも直接の接触はとれなかったようです」
解放された初日からいきなり警察の聴取を受けたことが、その後、三人の社会復帰への障害になった。その時期が一番PTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかりやすい時だった。
バグダッドの日本大使館に来て事情聴取した係官は「警察庁外事課の者だ」としか名乗らなかったという。ドバイで診察を受けた病院に来たのは同じ警察庁の人と、警視庁の捜査官たちだった。彼らは名前も所属も名乗らなかった。警視庁の係官は名刺を後で渡すと言って結局もらえなかった。
政府と違って、自治体の対応には感謝している。
「地元の札幌市、北海道の自治体職員の方々は非常によくやっていただいたと思います。(略)でも、忘れてはならないことがあります。それは、イラクの人達が米軍によって長期間拘束されていることです。明るみに出た虐待行為のように、僕たちよりひどい状態で拘束されています。(略)」
(以下全略)
−郡山総一郎さんへのインタビュー記事より
(略)「いやあ、(自衛隊)撤退なんて日本政府は考えないでしょう。(略)あれだけ出しちゃったら、引っ込みがつかないもんなあ」
九日間拘束されていた三人が解放された直後、バグダッドの日本大使館で、三人を出迎えた大木正充イラク担当大使はこうあっけらかんと語ったという。(略)
「(高遠)菜穂子が『自衛隊を派遣するからこんな事件が起こるんです。とにかく自衛隊をいったい撤退させられないんですか』と言うと、大木大使は足を組んでふんぞり返りながら、あのように言い放ったんです。菜穂子は怒って机をドーンと叩き、『そんないい加減な気持ちでやってるなんて!もっとイラクを、イラク人を知り、考えてください』と猛然と抗議しました。
(略)大使は逃げるようにその場を去りました。(略)」
その後、被害者三人を待っていたのは、「取り調べ」と言っても過言ではない、まるで加害者扱いの事情聴取だった。
「解放されたその晩、(警察庁警備局)外事課の二人から、われわれは一人ずつ話を聞かれました。二人とも熊本出身と言ってました。三十代くらいで、典型的な刑事といった感じ。一人は『ヨシムラ』と名乗りましたが、菜穂子に『わたしにも家族があるから、よそで名前を言わないでほしい』と頼んだそうです。そして、『確認』と称して、拘束場所の様子など何度も同じことを聞いてきたそうです。『事情聴取』とは名ばかりで、彼女を精神的に追い込んで、つぶそうとしていたのではないでしょうか」(略)
「僕はともかく、疲労困憊が激しかったノリ(今井紀明)と菜穂子に二時間以上も聴取していました。二人には、『自作自演』」と疑った誘導的な質問もあったと、後日聞きました。
僕には、『いつアンマン(ヨルダンの首都)を発ったか?どこで拘束されたか?』といったごく普通の質問をし、一時間くらいで終わりました。『(拘束時の状況など)この件のディテールは漏らさないから』と言っていたのに、帰国後NHKで放送されていたのを知り驚きました。
『彼ら(犯人たち)に刑罰を求めるか』と聞かれたんですが、わたしは『求めません』と答えました。三人ともそう言いました。その発言を捜査官らは怪しんだんだと思います。(略)」(略)
「解放の翌々日、ドバイでは警視庁(公安部外事三課。国際テロ捜査強化のため一昨年新設)の四十歳代くらいの男性から事情聴取を受けました。柔道選手のような体格でエラそうな態度。『○○なんだろ』っていう決めつけ口調でしたね。(略)」
帰国後、警察は郡山さんへ再三事情聴取の機会をうかがい、接触を試みてきた。(略)
(引用者注記:以下は郡山さんの代理人である伊藤和子弁護士のコメント)
「警察は家族を通し、パソコンやカメラなどの荷物を、任意で提出させました。『三日で返すので、事情聴取させてほしい』と言うので、仕方なく郡山さんは一度、実家のある宮崎で聴取に応じました。しかし、期日がきても提出した品々が返ってこないので抗議すると、『今度こそ返すから、もう一度だけ話を聞きたいと言う。(略)」
「任意提出の証拠品はすぐに返すのが原則のはず。これ以上の聴取には応じられない」と申し入れ、内容証明郵便を送付して、やっとしつこい聴取要求は収まったという。」
「(略)四月二八日に帰国のあいさつのため、ノリと一緒に外務省を訪れた際も、アポイントメントの条件として、弁護士の同席拒否と事情聴取があったくらいなんですから、よっぽどです」
郡山さんは、事情聴取攻勢にあけれ果てた表情で語った。
(以下全略)