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高薮 繁子さんという方が5月15日にサマワまでいって自衛隊に撤退の申し入れを行ったそうです。ずいぶん勇気のある方だと思います。
以下ご本人の報告です。
■5月15日 サマワで自衛隊に撤退を申し入れました!
昨日(14日)は、ハッサンさんの車でバビロンに向かいました。途中、スペイン人7人が殺されたラティフィエやロシア人4人が殺されたマラムディーアを通過しました。こうしたところには、米軍の戦車がものものしく配置されています。
14日は私の誕生日だったので、ハッサンさんの家でバースデー・パーティーを開いてもらいました。イラクに入って、はじめてまともな夕食をとりました。それまでは、夕方からホテルにこもりっきりで、ろくな食事をしていませんでしたから。
ハッサンさんの家族の話によると、いまカルバラが大変危険な状態になっているそうです。米軍が街を包囲して、外に出ている人を無差別に狙撃しているそうです。街の人は全く外に出ることができないそうです。店もシャッターを下ろして閉めているそうです。ハッサンさんの弟さんはカルバラのホテルで仕事をしていて、時々ホテルに様子を見に行かなければならないそうです。またハッサンさんの奥さんは勤め先がカルバラの大学だそうです。ハッサンさんのお母さんはそのことを大変心配していました。ハッサンさんは「カルバラはファルージャよりも大きな都市だから、ファルージャよりも大変な事態になるだろう」と話していました。
そして今日(15日)の朝6時、バビロンを出発して、一路サマワをめざしました。今日は、ハッサンさんと弟のアキさん、そしてハッサンさんの友人の3人がガードをしてくれました。
9時40分には、自衛隊基地の第1ゲートに到着しました。そこで警備の自衛官に「申し入れと取材に来た」ということを告げ、基地指令に面会を申し入れました。ところが、いつまでたっても、基地の中から返事がなく、延々1時間も待たされました。そうして出てきたのは外務省サマワ事務所の高野修一という人でした。基地指令は出てこないようだったので、高野氏の前で「とめよう戦争!隊員家族と元自衛官連絡会」の申入れ書を全文読み上げ、日本から持ってきた申入れ書をすべて渡しました。高野氏は「基地指令と政府に渡します」といって受け取りました。申し入れが終わってから大急ぎでサマワを後にし、無事バグダッドに戻ってこられました。
http://www.kansaigodo.no-ip.org/~hyogo100man/iraq.html