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破壊、そして住民の怒り イラク・ファルージャ現地ルポ
http://www.asahi.com/international/update/0507/005.html
巨人が歩いた跡のように、あちこちにがれきの山がある。米軍が1カ月近く包囲攻撃を続け、地元の700人以上が死亡したとされるファルージャ。朝日新聞記者は5日、攻撃開始後、日本メディアとして初めて現地に入り、市民がすさまじい破壊にさらされた実態を取材した。
市内の北西部にあるジョラン地区。住宅や商店が並ぶ一角にクレーターのような巨大な穴が二つあった。いずれも深さ約3メートル、直径15メートルほどもある。「これが米軍の大量破壊兵器だ」。住民たちは米軍が投下した爆弾の跡だと話した。
米海兵隊約2000人が包囲し、戦闘機やヘリコプターが攻撃を繰り返した。ザーヒ家では、4月6日に親類を含む5家族31人がいちどに犠牲になった。空爆を避けるため42人が集まっていた建物が、ミサイルの直撃を受けたのだ。
生き残ったサード・ザーヒさん(18)が案内してくれた。居間を通り、奥のドアを開けた。4メートル四方の部屋の天井がすっぽりと崩れている。がれきが1メートル以上重なり、血だらけの布が散乱する。
「最初、空爆の音は遠くで聞こえていた。なぜいきなりここを狙ったのか。無差別攻撃だ」。母親(70)らを失ったサードさん自身、左目を強く打ち、視力を失った。
運送業サード・シハーブさん(39)は5日朝、25日ぶりに避難先から戻った。コンクリート2階建ての自宅は無残につぶれていた。「妻と子供6人を連れて、はうようにして家から逃げた。すべてを失った。どうやって生活を立て直すのか」と途方に暮れる。
市民が恐れたのは空爆だけではない。北東部のアスカリ地区では、大通りの両側に並ぶ民家の屋上に、米軍の狙撃兵たちが陣取った。大通りで人が動けば、即座に標的になったという。
米兵が狙撃のため屋上の壁に開けたという小さな穴からのぞくと、強い日差しに照らされた大通りがよく見えた。
雑貨店主カマール・ナワーフさん(31)の兄(36)は、糖尿病の父親を病院に移そうとしていた。「兄は自宅の前で父の手を引いて車にのせようとした時、胸を撃たれた。見境のない攻撃だった」とナワーフさん。
郊外にある公共墓地への道は戦闘中、危なくて通れなくなった。代わりになったのが中心部にあるサッカー場だ。
新しい土盛りが列をなしている。石版を四角く切った墓石を数えると、300枚を超えた。「生まれなかった子供」と記された小さな墓石もあった。米狙撃兵に射殺された「マアーニー」という妊婦の墓と並んでいた。
ザーヒ家の31人は一つの墓に葬られていた。「遺体を識別することが出来なかったから」と管理人。埋葬者はここだけで500人を超すという。住宅の庭などに葬った例も多く、死者の数を確定する作業は始まったばかりだ。
米軍との停戦協議にかかわった政党「イラク・イスラム党」のファルージャ副支部長アムジャド・ラシード氏は「米軍がジョラン地区を激しく空爆をしたのは、地元勢力の抵抗が強かったため」という。米軍は空爆で住民を追い出した後、地上部隊を投入した。
米軍は「外国人勢力」の存在を強調し、「武装勢力だけを正確に選別して攻撃している」と繰り返していた。しかし、ある宗教指導者は「運転手や床屋、技師など職能組合ごとに防衛隊を組織し、普通の市民が戦った」と証言した。
◇
米軍は市内から撤退後も幹線道路で検問し、出入りを監視している。記者はイラク・イスラム党にファルージャ取材への協力を依頼。5日、バグダッドから同党の車に同行し、市内で約7時間取材した。
〈ファルージャ〉 人口約30万。バグダッドの西約60キロにあり、米軍への抵抗が続く「スンニ派三角地帯」に含まれる。3月31日に米民間人4人の殺害、遺体損傷事件が起き、その映像が米国社会に衝撃を与えた。米軍は4月5日から包囲作戦を開始。女性や子供を含むイラク人犠牲者が続出し、国連事務総長らが懸念を表明した。米軍は4月末、段階的に市内から撤退を始め、入れ替わりにイラク人の治安部隊が入った。 (05/07 09:10)