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アブグレイブ収容所内のイラク人拷問写真の公開以来、同様の非人間的な仕打ちを告発するイラク人の体験談がマスメディアを賑わせている(日本の記者はイラクから逃げ出したので、望むべくもないが)以下、フランスの「リベラシオン」「フィガロ」「ルモンド」紙の記事から抜粋、簡潔に要約した。
「もしアメリカ人が再び私を投獄するためにやってきたら、私はそこへ連行される前に自殺するだろう」と、アブグレイブ収容所から戻ってきたシャーバン・アル・ジャナビは言う。彼は12月に、米軍に対する攻撃に加わった容疑でファルージャの近くで拘束された。彼はアブグレイブで抑留された25日間、ひっきりなしに打たれたという。「私は目隠しされ、手首を縛られた。やつらはわれわれを戸外の小石だらけの囲い地に10日間放置した。やつらはわれわれに飲むためと体を洗うために1日に1瓶の水を与えただけだった」
イラク人によれば、アブグレイブ以外の収容所はもっとひどい。アブドラ・ドレイミは1月間シリアとの国境近くで囚われていた。彼は立っていられないほど小さな木製の箱に2日間閉じ込められて過ごした。彼もしょっちゅう叩かれ、また電流が流れる針金をペニスにくくりつけられた。「われわれは打たれ、睡眠を奪われ、辱めを受けた。もし隣の仲間と話を交わしたりすると、1人の兵士を背中に座らせて腕立て伏せをしなければならなかった。彼らはわれわれを裸にして、1人の兵士がわれわれを棒で叩き、時々その棒でわれわれの肛門を犯した」
以上は「リベラシオン」(5月4日)
http://www.liberation.fr/page.php?Article=202516#
64歳の元体育教師で小企業経営者のアドナン・エル・ジャベリは、米兵に捕まった時、一緒に捕まった部下が米兵によってむごい目にあい、地面に頭から叩きつけられるのを見る。「私は米兵が彼を引きずって行ったのを見て、彼が死んだと確信する」次いで、「2人の兵士が私の足をつかんで大きく広げさせると、別の1人が私の性器を足で蹴り始めた。それから顔を」彼は2本欠けた歯と、まだ腫れている下腹部を見せた。「やつらは全部で6人いた。音楽をうるさく鳴らして、何時間も交代でわれわれを殴った。それは訊問ですらなかった。彼らはストレスを解消していたのだ」とアドナンは言う。
彼の証言によれば、次いで3人の男が壁に並ばせられ、頭に靴を乗せられ、その状態で兵士たちはオレンジを彼らに投げつけた。「それからこの≪英雄≫たちはわれわれの額にピストルの先を向けて相互に写真を撮り合った」と彼は軽蔑的に言う。
彼はアブグレイブの収容所に移されて、そこに27日間いた。「私を訊問した将校は正しかった。私が無実であることを最初の2日間で知った。私は打たれ、拷問を受けたと抗議したが、彼は黙ったままだった。そして私に対して何の医療的処置も介護もしなかった」
その期間、彼の妻は軍事基地から基地へ駆け回って夫を探したが、「米軍はほかへ行ってみろというばかりでした。何ヶ月待っても何の通知もありませんでした」と彼女は言う。「サダムの政権下よりひどい。あの時代は、誰かが捕まるとすぐに分かったものです」「アメリカ人はイラク人を軽蔑している。彼らは見下し、まるでわれわれは人間ですらないかのように」とアドナン。
以上は「フィガロ」(5月4日)
http://www.lefigaro.fr/international/20040504.FIG0266.html
ファルージャでもっとも尊敬されている宗教的権威の1人、60歳のシェイク・ジャラルはアブグレイブの収容所に7ヶ月抑留されていた。決して打たれたりはしなかったが、彼の若い息子は「背中を椅子で打たれ、10日間で釈放されたが、今でもその打撃で苦しんでいる」
また彼は言う。抑留された多くの仲間が「手荒く叩かれ、辱められ、裸で訊問の場に引き出された。常に飢え渇いていた。犯罪を犯した留置人が御殿のような食事をしていたのとは反対に」
彼自身は女性の拘留者は見なかったが、「アメリカ人は彼女たちの夫がいない隙に女性たちを拘束する」しかしアブグレイブにいることは確かだ。「明かりのない、地下の、最悪の独房に」
以上は「ルモンド」(5月3日)
http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3218,36-363331,0.html