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週刊誌は怖い。封印していた〈事件〉までが暴露された(鈴木邦夫)
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投稿者 エンセン 日時 2004 年 5 月 05 日 11:57:34:ieVyGVASbNhvI
 

 
今週の主張・2004年5月3日

週刊誌は怖い。封印していた〈事件〉までが暴露された

(1)「歴史発見」だね。「新右翼」から「共産主義者」への進化
 「エッ?そんな事があったの」「あれは本当なの?」と多くの人から聞かれました。又、メールももらいました。今、発売中の「週刊文春」(4月29日・5月6日ゴールデンウイーク特大号)と「週刊新潮」(4月29日号)に(イラクで人質になっていた)渡辺修孝さんのことが出ていました。それを読んだ人が、聞いてきたのです。
 渡辺氏が一水会で活躍してたということは「レコンキスタ」に載ってるし、知ってる人もいます。しかし、一水会を辞めて、「新左翼になった」ということは初めて知った。という人は多いでしょう。又、週刊誌には、僕らも一切喋らなかったこと、封印していたこと、忘れていたことまでが載っていました。自衛隊や警察(公安)や、今、一緒に運動している新左翼の仲間から聞いたのでしょう。週刊誌の、その取材力はさすがだと思いました。
 渡辺氏が一水会を辞める時に、『Wの真相。元新右翼活動家の自己批判文』という冊子を作り、各方面に配布したとか。一水会事務所でガス爆発を計ったとか。そんなことも暴露されていました。こうしたことは今まで、どこにも書いてません。発表もされませんでした。「レコンキスタ」を読んでも、僕の『新右翼』(彩流社)の巻末の「新右翼関連年表」にも、書かれていません。それが週刊誌記者の精力的な独自取材で知られてしまいました。
 まァ、イラクでの人質事件が起こらなければ、こうしたことは永遠に表に出ることはなかったでしょう。僕が書いたものや、レコンに載ったものだけが、「新右翼の歴史」になってました。僕だって記憶があやふやで、間違いが多いと思いますが、僕の書いたものが「歴史」になっちゃうんですね。他に、書いてる人がいないからです。間違っても、書いちゃうと、「新右翼の歴史」になり、書き忘れると、それは「なかったこと」になるんです。恐ろしいですね。今回、週刊誌に出た「告白文」と「ガス爆発(未遂)」も、双方(渡辺氏と僕ら)にとって名誉な話じゃないし、忘れた方がいいだろうと思い、僕は今まで一切書きませんでした。だから、「新右翼の歴史」「一水会の歴史」の中では、「なかったこと」なのです。だから、今の一水会の人達は誰も知りません。
 僕の書いたものだけが「歴史」になり、僕の後にだけ「歴史」が出来るのです。(少なくとも、今まではそうでした)。何やら、高村光太郎のあの有名な詩のようですね。
  道程 高村光太郎
 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 ああ、自然よ
 父よ
 僕を一人立ちにさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ
 この遠い道程のため
 この遠い道程のため

 そうなんです。僕の後ろに道が出来、歴史が出来たんです。しかし、この「道程」(どうてい)という詩は高校の国語の時間に、立って読まされたけど、恥ずかしかったな。「この遠い道程のため」という所なんて、「お前も遠い童貞だ!」と周りの奴らに言われちゃって。そう言って冷やかしてる連中も童貞なんやけど。そして、今でもオラは童貞だ。本当に遠い童貞だ。
 今、この光太郎の「道程」は大岡信の『明治・大正・昭和詩歌選』(講談社)から写した。他の頁をめくってたら、奇妙な詩があった。

  らいおん 丸山薫
 「妾(わたし)の希(ねが)いはただ一つ
 どうぞこの児が大人になったら
 あのらいおんのように強くなりますように」
 「ぼくの希(ねが)いはたった一つ
 カステラのように肥ったこのお母さんを
 ぱくぱくあのらいおんに喰わしてやりたい」

 三好蓮治の有名な「郷愁」という詩も載ってます。特に、ここのところです。
 「海よ、遠い海よ。と私は紙にしたためる。----海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人(ふらんすじん)の言葉では、あなたの中に海がある」
 何度読んでもいいですね。日本語では、「海」の中に「母」という字が入っている。フランス語では母(mere)の中に海(mer)が入っている。もしかしたら、世界中の言葉がそうなのかもしんない。人類は元々は海から陸に上がってきた。その進化の過程を凝縮して母の胎内で過ごすんだ。羊水の中は海水と同じ成分だ。その羊水の海の中で胎児は初めは魚だ。そして両棲類になり、さらに哺乳類になって、オギャーとこの世に出てくる。
 えーと、他にもいい詩があるな。と紹介してたら先に進まんけん、やめとこう。

(2)「憂国の自衛官」になり、ナショナリストとして闘った
 では渡辺氏の話に戻る。4月15日(木)の夕方、3人の人質が解放された、というニュースが日本に届いた。ところが翌、16日(金)の朝刊を見たら、新たに2人が人質になったと出ていた。元「信濃毎日」の記者で安田純平さん。もう一人は「ワタナベ」と出ていた。「まさか交替要員で人質になったわけじゃないだろう」と思った。
 そしたら朝日新聞から電話があって、「ワタナベ」は一水会の人ですよ、と教えられた。渡辺修孝(のぶたか)氏だった。一水会と言ってたが、元一水会で、6年ほど前に辞めている。新聞社や週刊誌から次々と電話がかかる。だから、知ってるだけのことは喋った。ただ、かわいそうなのは一水会事務局の人だ。電話がジャンジャンかかる。しかし、今事務局にいる横山氏にしろ、咲ちゃんにしろ、成島氏にしろ、誰も渡辺氏のことを知らない。「木村代表に聞いて下さい」と言いたいが、木村氏はアンマンだ。だから、そんな電話は、僕の方に回してもらった。
 しかし不思議だね。随分と、新聞、週刊誌、テレビの取材に答えたのに、「元一水会の活動家だった」と出てたのは、「週刊文春」と「週刊新潮」だけだった。あとは、(取材しながら)、一切無視だ。「一水会の宣伝になるからやめよう」と思ったのか。(だったら、取材しなければいい)。あるいは、現在、渡辺氏が所属する左翼の方が、「載せないでくれ」と頼んだのか。なんせ、かつての新右翼時代のことは自己批判し、「恥ずべき過去」だと思っているのだろうし…。でも、そうじゃないらしい。たとえ嫌でも、過去に自衛隊にいた、一水会にいたことは否定できないし、公になっている。じゃ、記事として面白くないと思い、載せなかったのか。その点、「週刊文春」と「週刊新潮」は精力的な取材をし、独自なルートで〈新事実〉をつかんだから、書いたのだろう。
 渡辺氏のことを取材された時、一水会時代のことはキチンと話そうと思った。ただ、僕は寝食を共にしたとか、イラクに一緒に行ったとか、そういう密着した付き合いはない。だから当時、一緒に運動をしていた会員と元会員を紹介し、(週刊誌に)電話番号を教えてやった。
 ただ、一水会を辞める時に何があったのか、よく知らない。会員同士でイザコザ、喧嘩があったのかもしれない。「もし、あったとしても、彼を批判するような事は言うな。彼の真面目な活動家ぶりだけを話してくれ」と頼んだ。彼らは承知してくれ、週刊誌の取材にも応じた。だから、「あの話は出ないだろう」と安心していた。「自衛隊を辞め、一水会に入り、熱心に活動した。しかし、そこでは満足し切れなくなり、もっと命がけの運動を目指して新左翼に進化した」。そういう話をしたし、他の人もそう話した。それ以外の事は言わない。でも、出た週刊誌を見て驚いた。かくしていた「あの事件」も、「この事件」も出ている。ビックリだ。
 そうか、いくらこっちが封印し、隠していても取材記者は警察(公安)や自衛隊や、いろんな所に取材に行く。そこで聞いたんだ。「おっ、こんな面白い話があったのか」と、そりゃー、書くだろう。出たからといって田中真紀子じゃないから仮処分で出版差し止めにすることも出来ん。「あの事件」も「この事件」も、本来なら、絶対に表に出てこないことだ。「新右翼の歴史」にも書かれない。それがイラクで人質になり、「時の人」になったが為に、いろいろと調べられ、週刊誌にも載った。心ならずも、新右翼の「歴史発見」になってしまった。
 僕も知らないことも多かったが、渡辺氏の経歴はこうだ。週刊誌や会員、元会員に聞いた話を総合すると…。
 昭和42年栃木県生まれで、36才だ。昭和42年(1967年)といえば、学生運動まっ盛りの時だ。70年の「よど号」、三島事件の時は3才だ。連合赤軍事件(72年)の時は5才だ。東アジア反日武装戦線〈狼〉の連続企業爆破事件(74年)の時は7才だ。もの心のついた時に、これだけの日本を揺るがす大事件があった。それを知る(テレビを通じてだが)。この影響は大きい。(後で触れるが、一水会を辞めて、まず〈狼〉の支援グループに入っているし、その後、重信房子の支援運動をやり、そして小西誠の『米兵・自衛官人権ホットライン』に入り、そこから今回、イラクに派遣されたのだ)。 「革命前夜」の動乱期に生まれ、子供時代を過ごした渡辺氏は、高校卒業後すぐに自衛隊に入る。熱い心が燃えたのだろう。86年3月に陸上自衛隊に入隊。習志野の特科大隊という大砲を撃つ部隊に配属になり、88年に満期除隊。しかし、この年、10月に再び自衛隊に入り直す。今度は御殿場・板妻駐屯地の対戦車隊だ。だが、翌89年に除隊。
 それからは、過激に、今度は〈本物の兵隊〉を目指す。タイ北部のカレン族義勇兵に志願するのだ。これは、反共のゲリラだ。そして日本の右翼団体・大日本誠流社が支持・支援していた。それを知って渡辺氏は、まず、誠流社に入る。そして二回にわたって、ゲリラに参加する。「当時の仲間」の証言が「週刊文春」に出ていた。紹介する。(この記事の見出しは、〈新たな人質。「人間の盾のカメラマン」と「右翼転向活動家〉だ。)
 「現地の兵士は、いつも一人で考え事をしている彼を『ミスター・シンキング』と揶揄していた。当時、何がしたいのか尋ねたことがあるが、『戦争がしたい。傭兵みたいになりたい』と答えていた。『民族主義は?』と聞くと『そんなのどうでもいい』と。目立つならどこでもいいのかと思った」
 この後、一水会に入る。ただ、この時は大変だったようだ。大体、右翼の間で、他の団体に移るということは、ほとんどない。渡辺氏は一水会の方が何でも出来そうだ、と思ったのか、入会した。向こうを辞めるに当り、木村氏と誠流社の代表が何度か話合って、円満に移籍は完了した。それほどまでして、渡辺氏は一水会に入りたかったのだろう。又、木村、日野氏は、それほどまでして渡辺氏を欲しかったのだろう。
 その当時は、まだ僕が一水会代表だったが、運動面は木村氏、日野氏が全責任をもってやっていた。湾岸戦争の頃で、日本中が騒々しかった。日本はこのままではダメだ、と思う人々も多かった。渡辺氏だけでなく、福田、佐藤、白鳥…と、自衛隊をやめた人がドッと一水会に入ってきた。そして、四谷公会堂では、これらの元自衛官を壇上にあげて、「沈黙を破った自衛官たち」という集会をやり、200人が集まった。そんな活発な運動をやってた時だったからこそ、渡辺氏のような熱心な活動家はどうしても欲しかったのだろう。
 彼は91年(平成3年)7月22日に入会している。一水会に入会申込書があったので分かったのだ。入会したのはその日だが、それ以前から活動していたようだ。血液型はA型。職業欄には、何と「ナショナリスト」と書いている。自衛隊を辞めて、一水会に入ったが、無職だったのか。「いや、ガードマンなどをしてました」という人もいる。それで生活費はかせぐが、でも「本当の仕事」はナショナリストだ、という気持ちだろう。「よど号」裁判で、柴田泰弘氏は「職業は?」と裁判官に聞かれて、「革命家です」と答えていた。それにならったのかもしれない。ゲリラとして、カレン族義勇兵に参加した時は、「民族主義なんてどうでもいい」と答えていたが、日本に帰ってからは一水会に入り、「ナショナリスト」ですと胸を張っている。ゲリラとして闘う中で、その自覚と自負が生まれたのかもしれない。

(3)一水会の「007」として超過激活動を展開していた
 そうだ。今、気が付いたが、入会申込書には受付番号が付いている。何と「007」なんだ。本当だ。でも、一水会の7番目の会員というわけじゃないだろう。1972年の一水会立ち上げの時だって、7人以上はいた。じゃ、彼が入会した91年で7番目か。しかし、この頃は、入会希望者が、沢山いた。じゃ、7月だけで7番目なのか。ちょっと分からない。当時のことを知ってる人に聞いてみよう。あっ、関口君に聞いてみたら分かるかな。彼は渡辺氏と同じ36才だ。入会したのも同じ頃だ。一水会事務所に行ったら、当時、皆で靖国神社に参拝した記念写真があった。渡辺氏も関口氏も入っている。
 一水会に入ってからの渡辺氏は活発な運動を展開する。入会した翌92年と93年には木村団長らと共に義勇兵(志願)としてイラクに行っている。又、自衛隊に行って、「決起せよ!」と檄を飛ばしたり、首相官邸に赤ペンキをまいて逮捕されている。さらに、92年6月の「風の会」(野村秋介さんが代表)の選挙の時も、寝食を忘れて運動をしていた。松本効三さん(「朝生」の「日本の右翼」に出た人)の下で自転車に乗って、メガホンで叫び、訴え、チラシを撒いていた。「銀輪部隊」だと言っていた。「風の会」のTシャツを着て運動してる写真がありますよと、関口君は言う。だったら、このHPにアップして、紹介してくれよ。
 「週刊文春」の記者とは、僕の家の近くのパスタ屋「パーゴラ」で会い、「枝豆パスタ」を食べながら1時間ほど話をした。でも、発売されたのを見たら、紙面の都合だろう、8行位しか載ってなかった。

 〈91年には一水会に入会。
 「渡辺君は三年ほど所属していたが、一水会の思想は思ったより右翼的で不満があったようです。選挙後は、狼グループ(東アジア反日武装戦線『狼』)や重信房子のグループの支援をしたり、赤軍派元議長の塩見孝也に近付いたりしたようです」(一水会・鈴木邦男氏)〉

 実は、「三年ほど」というのは僕のうろ覚えだ。5年か6年位、いたのかもしれない。「入会」申込書はあるが、「退会」申込書というのはない。だから、はっきりとした日時は分からない。
 「週刊新潮」には、自衛隊を辞めてからの活動が詳しく書かれている。見出しは、〈首相官邸に「赤ペンキ」をぶちまけた「反戦自衛官」人質〉
 「ある自衛隊幹部」が渡辺氏について話しているが、辞めた隊員一人一人のことを覚えているのだろうか。「あるいは自衛隊の調査隊かもしれませんね」と沢口ともみさんは言う。「私だって、詳しく調べられてますよ」と言う。彼女も元自衛官だ。そして辞めてからはストリッパーになった。埼玉県の朝霞と広島に配属になった。渡辺氏が自衛隊にいたのは86年〜89年。その頃、沢口さんも自衛隊にいた。場所は違うが、同じく憂国の志を抱いて国の護りについていたのだ。
 「じゃ、ロフトで対談させてくれないかしら」と言ってた。いいですね。やって下さいよ。ロフトの人、見てたら企画して下さいよ。司会は私がやりましょう。
 では、「週刊新潮」に戻って、「ある自衛隊幹部」の話だ。 「再入隊は珍しくありませんが、彼が有名になるのは、91年秋に朝霞駐屯地での観閲式で、自衛隊を中傷するビラを新右翼の一水会のメンバーと一緒に撒き、警察に身柄を拘束されたことでした」 そして、「週刊新潮」は続ける。

 〈再入隊までして、自衛隊の飯を食った人間が自衛隊攻撃の側にまわったことは、関係者に衝撃を与えるのである〉

 しかし、ここはちょっと違う。たしかに今は、反戦自衛官の小西誠さん達と一緒に運動をやってるが、91年当時は一水会にいて、「憂国自衛官」だった。ビラ撒きをしたのも、「自衛隊を国軍にせよ!」「自衛官は決起せよ!」というビラを撒いたのだ。「中傷ビラ」ではないし、「自衛隊攻撃」でもない。これは、「ある自衛隊幹部」の勘違いだ。あるいは、自衛隊員への影響を考えて、あえて、こんな表現をしたのか。さらに、「週刊新潮」では…。
 「しかし、彼の過激な行動は、それでは収まらなかった。翌92年1月、来日中のブッシュ大統領の歓迎夕食会の会場になっていた首相官邸前の交差点で、
 〈湾岸の戦犯に鉄槌を〉
 と書いたビラを撒き、官邸に向かって赤ペンキ缶を投げつけたのである」
 ぶちまけた赤ペンキは「イラク人民の血だ」と言って民間人虐殺に抗議したのだ。そして、この年と次の年と2回、木村氏と共にイラクに行く。又、「レコンキスタ」には毎号のように書いていたし、「一水会通信」にも元自衛官の叫びを連載していた。再び「週刊新潮」だ。

 〈道路交通法違反で2泊3日の留置を経験した渡辺氏は、その後、全く正反対の左翼陣営に走ることになる。
 「彼は、その後、『米兵・自衛官人権ホットライン』に参加しました。これは、小西誠という反戦自衛官が主宰するグループで、バリバリの左翼活動家の集まりです。反米という点では共通するものの、思想的には180度異なる団体に転じたことになります」(前出・自衛隊幹部)〉

 これを読むと、赤ペンキをぶちまけてパクられたのが、左翼に進化するキッカケになった、かのように読める。「これがイラク人民の血だ!」と言って赤ペンキをぶちまけたが、現地では本当に、血を流して人々は死んでいっている。こんなことをやっていていいのか。と、悩んだのかも分からない。
 しかし、一水会に入り、イラクに行ったことで目覚めたことは確かだ。一部には、「鈴木さんの“左翼本”の影響も大きいんじゃないの?」と言う人もいる。『腹腹時計と〈狼〉』、『がんばれ!新左翼』など、左翼を評価し、支持した本を読んで、マジに考え、突き進んだのではないか、と言うのだ。それもあるかもしれない。だったら、僕の責任もあるだろう。
 それと、もう一つ、〈思想〉面だけでなく、団体行動や、右翼的な体質が嫌だったのかもしれない。当時は、活動家が随分といたし、過激な運動をやっていた。警察ともよくぶつかっていたし、ガサ、逮捕も日常茶飯事だった。それに対し、こちらも強固に団結し、闘う必要があった。そんな集団的・、強制的なところが、嫌だったのかもしれない。一人で、自由にやりたかったのかもしれない。そんなこんなで、一水会を辞めた。そして〈狼〉や重信さんの支援グループで活動をし、小西さんの所に行きついた。多分、そこは自由にやらせてくれるし、居心地がいいのだろう。立場は違え、「反米」「イラク支援」で闘っているのだ。それはそれでいいだろう。がんばってほしい。
 と、ここで終わろうと思ったが、肝心な事があった。一水会を辞め、新左翼に入る時に、向こうだって、「はい、そうですか」と入れてはくれない。これだけ凄い活動歴がある人間だ。「もう新右翼はやめました」と言っても、おいそれとは信用しないだろう。「スパイじゃないか」と疑われる。それで、「新右翼」との決別の「証拠」として、『Wの告白。元新右翼活動家の自己批判文』を書き、各方面に配った。又、一水会事務所での「ガス爆発」(未遂)事件を起こしたのだろう。こっちは一方的な被害者だ。でも、怒り狂った後輩達を必死でなだめた。「真意を問い質せ!」「査問しろ!」という人も多かったが、おさえた。特に、この頃は見沢氏が出所していた。又、同じことをやられたら大変だと思った。彼の耳に入らないようにした。そして泣き寝入りをした。「内ゲバ」や「査問」なんて、もうこりごりだと思ったからだ。渡辺氏も、縁あって一水会に入り、その時は、思う存分、運動したのだ。誇りに思っていいだろう。そこで、イラク問題にも目覚めたし、反米闘争をする契機にもなった。さらに過激に突き進み、共産主義者にも進化できた。そして、今は、小西さん達と、反米、イラク支援の運動をしている。そこで頑張ってもらいたい。
【お知らせ】
(1)5月6日(木)「創」(6月号)発売です。私は「8年ぶりの『朝生』」を書きました。
(2)5月11日(火)は7:00p.m.から高田馬場シチズンプラザで一水会フォーラムです。「憲法」シリーズ第3弾で、講師は小林節さん(慶応大学教授)です。
(3)5月13日(木)は7:00p.m.からロフトです。上田哲さん(元社会党国会議員)とトークです。「国民投票制」について話します。
(4)5月19日(水)は高田馬場の「トリック・スター」tel 03(5348)4767 で「ライブ塾」です。高橋愛さんの歌と私のトークです。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2004/shuchou0503.html

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