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(回答先: 朝日新聞は好戦シオニスト・マードックの支配下にある。 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 5 月 03 日 19:03:34)
96年頃までは自由闊達だった、とあるので、1996年6月20日のマードックによる全国朝日放送買収の時期に符合しそうです。
そーいえば、最近の朝日新聞のイスラエル関係の記事の書き方やタイトルはいつもおかしい。
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http://ugaya.com/column/taisha_index.html
烏賀陽の朝日新聞社退社関連記事
http://ugaya.com/column/taisha2.html
ぼくがいたアエラ編集部でいえば、地下鉄サリン事件に始まるオウム関連事件が頻発した95〜96年ごろは、ほとんど毎日デスクや同僚と食事をしながら(忙しすぎてメシの時間くらいしかそういう時間が取れなかった)意見交換をした。「なぜ高学歴の彼らがオウムに入信し、あんなテロを起こしたのか?」「オウム世代とはぼくたちのことではないのか?」から始まって「オウムとアニメは似ている」とか、それこそみんなの疑問が噴出した。ここから記事になったアイディアもたくさんある。一度弾みがつくとおもしろいもので、「松本サリン事件の捜査がなぜ失敗したのか、検証しよう」「オウム報道の検証をしてはどうか」「日本の警察について特集をしてはどうか」と、連鎖式にアイディアが次から次へと湧いてきた。
…
ところが、このオウム騒動が一段落した96〜97年あたりから、こういうデスク、記者同士の意見交換が極端に少なくなった。ぼくはこれではヤバイと思って「毎週月曜日午後8時から、編集部応接セットにてお話会開催。言論の自由保障。院外責任を問わず」などと、張り紙を出し、自腹で飲み物やつまみを買ってきては、同僚たちを待つのだが、誰も来ない(逆に編集長はちゃんと来た)。同僚や後輩と食事に行っても、上司や同僚の陰口や社内人事の噂話を延々と続けるばかりで、どんな記事が書きたいとかどんなネタを持っているとか、そういう生産的な会話がほとんど出ない。社宅の奥様族の井戸端会議みたいな非生産的な話ばかりしているものだから、つきあうこちらもだんだん疲れてきた。ぼくらは仕事=生産活動の同僚として席を同じくしているのに、である。98年から99年にかけてニューヨークの駐在に出かけ、帰ってきたときには、もう編集部内は死んだみたいに静かだった。
http://ugaya.com/column/taisha1.html
どうも様子がヘンだと思い始めたのは、99年春にニューヨークでの駐在記者生活から東京に戻ってきたあたりからだ。こちらが提案するネタを誌面化する決裁権は編集長と編集長代理、5人の副編集長が握っているのだが、その判断が理解できないことが急に多くなったのである。雑誌が基本方針を見失って、迷走しているなあ、とぼくの目には見えた。提案したネタが採用にならなければ、当然、上が命じる取材をしなくてはいけない。「自分がやりたいこと」比率は急速に低下し、最終的に0:100に振り切れて針が止まった。2001年、ぼくはパソコン誌の編集者になることを命じられたのである。つまり「書き手」から降ろされたわけだ。