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(回答先: 今井、郡山、ふたりの記者会見VTR。アップされた模様。【videonews.com】 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 5 月 01 日 13:32:08)
今井さん「お守り握り、生還祈った」 自宅戻り無気力に
http://www.asahi.com/national/update/0501/014.html
「イラクについて、日本人がもう一度じっくり考えるための実験材料だったのかもしれない」。イラク人質事件で解放された今井紀明さんは1日、朝日新聞の取材に応じ、事件を振り返った。やっと語れるようになった「9日間」。18歳が絞り出した言葉から、極限の精神状態が伝わった。
〈出発直前の食事の際、両手は不安で震えていた。〉
米軍による劣化ウラン弾の被害について、体を張ってでも自分と同じ世代の若者に興味を持って欲しかった。もちろん不安はあった。
バグダッドへ向かうタクシーで助手席に座った。給油を待つ車列で、対戦車ロケットを構えた覆面の男が突然、タクシーのフロントガラスの前に立ちはだかり、こちらに狙いをつけた。
運転手は困った様子で、車外に出て武装グループのほおにキスをして回り、取りなそうとしたが状況は変わらず。高遠菜穂子さんは「違う、違う」とアラビア語で訴えたが、僕は何もできなかった。
乗せられた車の足元には銃弾が雑然と置かれていた。ものすごい不安が襲ってきた。手の震えが止まらなかったが、泣いたら情けないと必死に我慢した。小さな村を通った時、村人が犯人グループにあいさつをしていたのが不思議だった。
〈荷物を奪われ、手元に残ったのはポケットの小さなお守りだけ。〉
8日目に荷物は戻ってきたが、1000ドルほどの現金は結局戻ってこなかった。神頼みはめったにしないが、拘束中、お守りを握りしめて毎日生還を祈った。
ビデオ撮影の際、ナイフを首に押しつけられ、苦しくてむちゃくちゃ怖かった。撮影後、郡山総一郎さんが「刃の向きを逆にしていたよ」と教えてくれた。そうでなければ首に今も傷跡が残っていただろう。今もあの映像を見ると、とても不安になる。それが日本で流れていたとは想像もしなかった。
1、2日目までは強い恐怖を感じ、3日目から安定した。だが、5日目以降が最もつらかった。会話がとぎれ、3人が交代でおかしくなった。僕は8日目ぐらいにキレやすくなって、犯人グループに「早く帰せ」「ふざけるな」と叫んでは壁を殴った。
〈解放後、家族から「謝るしかない」と言われた。〉
解放後、ドバイの病院で兄貴(洋介さん)と会ったが、素直に喜べなかった。兄から日本での3人に対する報道やバッシングの状況を知らされた。そんなことは予想すらしていなかった。
ドバイから帰国するまで、カメラのフラッシュが待ち受けていた。ものすごい圧迫感だった。札幌市の自宅に戻ってひとりになると、さらに追いつめられ、無気力になった。今まで経験のない不思議な感覚だった。昼夜は逆転し、飛行機の音におびえた。拘束中、目にした米軍の攻撃がよみがえった。
当初、事件の経験は、家族にもしゃべれなかった。30日の会見で自分の口で語りたかったが、前日になって生きている感覚がなくなった。高遠さんに電話をした。元気づけようと思ったのに、逆に元気をもらった。カッコをつけてるわけじゃなく3人のきずなは強い。生死をともにしたから。
会見には毅然(きぜん)とした態度で臨もうと思った。堂々と言えた。
◇
大勢の報道陣を前に質問を受けることで精神的に大きな負担を受ける可能性が高いとの医師のアドバイスにより、今井紀明さんは4月30日の記者会見で質問を受けずに退席した。今回、「自分の経験と思いをもっと知ってもらいたい」との思いから、保護者の同意、立ち会いのもとで、朝日新聞の個別取材に応じた。今井さんの健康状態を考え、写真撮影は控えた。 (05/01 15:08)