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反戦翻訳団からの記事です。
【イラクでのメディア戦争】ガーディアン紙(2004/4/23)
原文
http://media.guardian.co.uk/broadcast/story/0,7493,1200849,00.html
今週のガーディアン紙は、アラブのニュースチャンネルであるアルジャジーラのカメラマン、サラ・ハッサン氏がイラクにおいて米軍兵士により投獄され、獄中で殴打されていたという事件についてお送りします。クリスチャン・パレンティ記者がハッサン氏に取材し、米国政府が数百万ドルをかけつつ徹底的に展開している、中東の世論操作を目的とした作戦について迫ります。
2004年4月23日金曜日
アルジャジーラの画像:(訳注:省略)
イタリア人の人質、ファブリツィオ・クワトロッキ氏の映像。連合軍に反対する立場の報道だとして指弾されている。
サラ・ハッサン氏の姿は物悲しく、憔悴しきっていた。アルジャジーラのカメラマンで、2人の子どもの父親である33歳のハッサン氏は、穏やかに淡々と投獄の体験について語った。アルジャジーラのバグダッド支局として使われているホテルのロビーで茶をすすりつつ、彼が語ったのは、昨年11月3日に米軍輸送車が道路爆弾によって攻撃された現場、イラクの都市バクバの東近くのディアラへ急行したときのことだった。
ハッサン氏が現場にいた人々に取材していたところ、米軍に逮捕された。米軍は以前、別の現場でハッサン氏の写真を撮っていたという。警察署に連行されて尋問され、道路爆弾による攻撃について事前に知っており、その場面を取材するために待っていたのだろうと繰り返し追及されたという。「ビデオテープを確認するように言いました。テープを見れば、私が爆発の3、40分あとに到着したことは明らかだったからです。米軍は私を嘘つきだと言いました」
ハッサン氏はバクバからバグダッド国際空港にある軍事基地へと連行され、そこで浴室に二日間にわたって監禁された。それからフードを頭にかぶせられ、縛られてティクリートへと飛行機で移動させられたという。そこでまた浴室に二日間監禁されたあと、トラック5台からなる抑留者の護送車列でアブ・グレイブ刑務所へと送られた。アブ・グレイブはサダム・フセインが建造した刑務所で、現在は米軍による最大の収容所として利用され、約1万3000人を抑留している。
広大な刑務所の中に入れられると、米兵がきつく縛られたプラスチックのフード越しに、「ハッピーバースデー」を歌って出迎えたという。服をはぎとられ裸にされ、話しかけられるときは「アルジャジーラ」「小僧」「雌犬」などとしか呼ばれなかった。フードをかぶせられ、縛られて裸のままで、秋の晩の寒さのなか、11時間も立たされつづけた。ハッサン氏が倒れると、再度立たせるために米兵が足を蹴りつけたという。
朝になると、誰かが戻したばかりの吐瀉物にまみれた、汚い赤いつなぎを着せられ、それから平服のアメリカ人2名に尋問された。ハッサン氏とアルジャジーラが「テロリストたち」と共謀しているのだという、お決まりの非難が繰り返された。
アブ・グレイブの囚人の大半は、有刃鉄線に囲まれたバラック様の大テントからなる、野ざらしの区画に収容されているという。しかしハッサン氏は、小さな房からなる厳重に監視された隔離区画に監禁された。下の階には、ひっきりなしにすすり泣いている年老いた女性と、精神に異常をきたした13歳の少女が監禁されていた。少女は米兵の看守がやってくるまで叫んだり金切り声をあげ、広間に連れていかれる。そこであちこち走り回ったあげく、疲れ果て、やがて自分から房に戻ってくるのだった。大半が男性であるこの区画の他の囚人はみな、静かにしているよう命令されており、破れば食物や水や明かりを絶つ罰を与えると脅されていた。
アブ・グレイブの他の場所に、ハッサン氏の同僚であるスヘイブ・バドル・ダルウィシュ氏が同じように監禁されていた。彼は11月18日にサマラで逮捕された。アルジャジーラ勤務の同僚によると、ダルウィシュ氏は米兵により激しく殴打されたという。
一方、獄外では、アルジャジーラは優秀な弁護士、ヒデル・ヌル・アル・ムルハ氏を雇い、イラクのズタズタになった裁判システムを通じ、ハッサン氏の事件について取り組みはじめた。最終的にハッサン氏は、イラク統治評議会が任命したばかりの連邦最高裁判所の法廷に引き出された。これは、サダム・フセインとその部下などを裁くための戦争犯罪法廷とともに設置されたものである。
ジャーナリストであるサラ・ハッサン氏の一件は、この法廷が行う最初の審理であった。彼は証拠不十分により、釈放を申し渡された。アブ・グレイブの野営テント区画に移されさらに3日間を過ごしたあと、吐瀉物で汚れた赤いつなぎを着せられたままのハッサン氏は、12月18日にバグダッド近郊のとある通りに放り出された。ダルウィシュ氏はさらに1ヶ月後の1月25日、同様に証拠不十分により釈放された。
私はアブ・グレイブ刑務所を見学したいと申し入れたが、米軍当局者は返答しなかった。ハッサン氏とダルウィシュ氏の事件について繰り返し問い合わせた電話や、電子メールについてもほとんど返事はなかった。アルジャジーラとの関係について米軍の広報担当者が行った発言のうち、記録にあるもののひとつは第7連合統合任務軍ダニエル・ウィリアムズ中佐のもので、彼はこういっている。「アルジャジーラは歓迎すべき客であり、プロフェッショナルの報道機関である」
文民組織である暫定占領当局の関係者はこう語った。「アルジャジーラにかかわるあらゆることは非常に微妙なので、記録に残る発言は組織の最上層部から行われるのでなければなりません。非常に地位の高い人物だけが、この問題を扱うことができるのです」しかしCPAの上級広報担当者であるダン・セノール氏へ繰り返し問い合わせたところ、何ら返答はなかった。
人心をつかむ
不穏なことに、この二つの事件は米国政府のアルジャジーラに対する敵意という、より大きな枠組みに当てはまる。イラク占領に対するアルジャジーラの断固とした報道姿勢によって引き起こされたものである。この敵意をもっともよく見てとることができるのは、アルジャジーラと米国政府のあいだで戦われている数百万ドル規模の地域メディア戦争の文脈においてである。
ドナルド・ラムズフェルド国防長官はアルジャジーラの報道を「限度を超えている」「言い逃れようもないほど偏向している」と指弾し、イラクからアルジャジーラを追放することについてほのめかした。これまで、米軍はバグダッドとカブールのアルジャジーラ支局を爆撃し、1名の職員を殺害し、21名の記者を逮捕し、短期間の投獄を行ってきた。そしていま、ハッサン氏とダルウィシュ氏を投獄したうえ、国連条約が拷問と見なすようなかたちでの暴行と辱めを行ったのだ。
米軍がアルジャジーラの記者に嫌がらせを行っている一方で、国務省を含めた米国政府の他部局が、アルジャジーラに対して同じ言語と様式で対抗しようと試みていた。
2月14日、米国は自らが出資し、名目だけ独立させたアラビア語衛星放送局、アル・フッラを始動させた。名前は「自由なもの」という意味である。この試みの目的は、アメリカのイラク占領について大衆的支持が欠如しているという問題に対応するとともに、アラブ世界全体において深まりつつある、アメリカの正当性の危機に対処するためのものだった。この地域での世論調査の数々は、毎日ますます多くの人々が米国を憎むようになっていることを指し示していた。
他の米国出資のアラビア語メディアへの進出工作とはことなり、6千2百万ドルの年間予算をもつアル・フッラは、非常に洗練された放送局となり、アラブの若年層の意識を効果的に操作できるものになる可能性があった。若年層は、政治的に重要で、また多数の人口を占める層である。この新しい放送局は、名の通ったアラブ人ジャーナリスト多数を抱えており、上級プロデューサーのひとりはアルジャジーラから引き抜かれたパレスチナ人で、局のトップ・マネージャーはジャーナリストとして輝かしい経歴を持つレバノン人キリスト教徒であった。
その反面、アル・フッラは米国バージニア州に本社を置き、コリン・パウエル国務長官が取締役に名をつらね、その最初の放送番組はジョージ・W・ブッシュ大統領の録画インタビューであった。いずれも、アラブ人の心をつかむのに向けては縁起がわるいというものである。
アル・フッラがうまくやっていけるかどうかにかかわらず、アルジャジーラはイラクからの報道についてますます多くの障害を抱えつつある。特派員が米軍から嫌がらせを受け、逮捕され、暴行され、殺害されるという状況のもとで。
これまでのところ、アルジャジーラの経営陣はハッサン氏とダルウィシュ氏の事件について、むしろ沈黙を守ってきた。バグダッド支局の本部長であるセッダ・アブデルハック氏に取材したところ、局は二人の事件を公にすべきだと語り、部下が受けた酷い仕打ちに対して憤りをあらわにしていた。
だが、バグダッド駐在の他のジャーナリストたちが語るところによると、アルジャジーラはアメリカからかなりの圧力を受けており、在カタールのオーナーたちは、CPAの気に障る問題についてあまり突っ込みすぎると、イラクからアルジャジーラは追放されてしまうのではないかと恐れているとのことだった。
これは根拠のない懸念ではない。匿名希望の関係者によると、1月末に連合軍がアルジャジーラの在イラクの管理職たちをバグダッドの共和国宮殿に呼びつけ、 CPAの主任弁護士から以下のような脅しがあったのだという。その不屈の報道姿勢と、強烈な批評論説によって「占領を不安定化させる」のをやめないならば、アルジャジーラをイラクから追放する、と。
CPAの弁護士は、連合軍はアルジャジーラの追放について何ら法的根拠を必要としないと語り、米国当局がカタールのハマド・ビン・カリーファ・アル・サーニー首長に圧力をかけているとほのめかしたという。アルジャジーラは、独立して経営されてはいるものの、カタール政府によって所有されている。
「殺人衝動を刺激する」
アルジャジーラのもうひとつの敵対者は、米国に任命されたイラク統治評議会である。最近、統治評議会はアルジャジーラに対し、その出席者もまばらな会議を取材することを禁止した。統治評議会は、アルジャジーラの次に有力なアラビア語放送局、アル・アラビヤに対してより攻撃的で、昨年12月末から2ヶ月間にわたり、アル・アラビヤをイラクから追放している。
制裁期間のあいだ、アル・アラビヤの機材は差し押さえられ、ジャーナリストたちは制裁を破れば1千ドルの罰金もしくは1年の懲役を受けるとされた。アル・アラビヤの罪状は、当時逃亡中だったサダム・フセインの録音メッセージを放送し、「殺人衝動を刺激した」というものだった。
他のメディアで働くアラブ人たちも同様に、米軍によって嫌がらせを受けている。ロイター通信のメイゼン・ダナ記者が8月にアブ・グレイブ刑務所の外で米兵に撃たれ、殺害された。1月には、ファルージャに駐屯する第82空挺師団所属の分隊が同じくロイター通信の3名のアラブ語放送要員を投獄し、殴打したという。
ロイター通信は米軍に対し、所属のジャーナリストが拘留中に暴行を受けたとして、ただちに公式に抗議を申し入れた。同通信のフリーランス記者が語ったところでは、うち1名はのちに入院を余儀なくされたという。
いわゆるスンニ・トライアングル地帯の道路を取材で移動していると、米兵下士官がアルジャジーラについて語るのをたっぷりと聞くことができる。取材を要請したり、作戦区域に入ることの許可を求めた際、次のように米兵が答えることが何度もあった。「あんたがアルジャジーラでないかぎりは」ファルージャの第82空挺師団に所属する将校の一人は以下のように語った。自分の部隊に攻撃がかけられ、部下たちが爆弾の破片に貫かれ、続く炎で焼け死ぬところをアルジャジーラが撮影していたのだという。
「カメラを持っている連中を見ると、何かが間違っている気がするんだ」若い中尉はわざと苦々しげな口調で語った。「あとで仲間が、アルジャジーラでその場面が流れるのを見たと言っていた」この点につき中尉と部下たちに詳しく聞いたところ、彼らが実際に攻撃されている場面が放映されるのを見たのか、攻撃後の現場が放映されていただけなのか、そもそもそれはアルジャジーラだったのかさえ定かではなかった。
こういった多くの出来事とアルジャジーラへの憎悪は、じわじわと燃え上がる感情となって兵卒の間に広まっている。アルジャジーラの背信行為に関する噂話が、部隊の間に都市伝説のようなしつこさではびこっている。そしてアルジャジーラの番組編成は欧米スタイルのファッションショーや主要なビジネスニュースをふくむ一方で、占領を激しく非難する反アメリカのアラブナショナリストや、政治的イスラム主義者の意見を伝えるのに多くの時間を割いてもいるのである。
しかし、信頼できる複数の情報筋が語るところによると、アルジャジーラの仲介者や記者が抵抗勢力とのあいだに強固でかつ多くの関係を持ち、攻撃の模様を抵抗勢力の側から撮影することがおそらく可能であるにもかかわらず、そういったことはしないのだという。これは追放への恐れとともに、局の最上層部からのはっきりとした指示に基づいているのだという。事実、連合軍当局はアルジャジーラのジャーナリストが占領当局に対する攻撃について共謀していたという証拠を、ひとつとして提出することができていない。
アルジャジーラに対する圧力は、望みどおりの効果をもたらしているのかもしれない。大半のイラク人は、占領に関するアルジャジーラの報道が穏当になっているとして失望を深めている。アルジャジーラの総支配人みずからが、局の報道は以前より「均整のとれたものになっている」と語っているのだ。平和と進歩と繁栄が徐々にもたらされているというアメリカの主張に、より多くの放映時間を割くようになっているというのである。
アルジャジーラの広報担当責任者、ジハード・バッルート氏は、イラクにおけるアメリカ人との関係についてより慎重に語る。「どの報道機関にとっても、この戦争の取材は非常に厳しいものになっています。これはある程度は米国とイギリス、そしてイラクの人々の安全という問題に起因しますが、それにしてもアルジャジーラはあまりに注目されすぎているのではないかと思います。治安上の問題について理解するかぎりにおいて、メディアはその使命を果たす領域を与えられるべきだと考えます」
現在、ハッサン氏は仕事に戻っている。ダルウィシュ氏も同様である。アルジャジーラが報道をつづける一方で、アル・フッラは中東における米国のイデオロギー攻撃の公然たる一面である。外部から見るかぎりでは、イラクでのメディアを取り巻く環境は開かれており、公正であるように見える。だがアラブ人ジャナーリストに対する継続的な暴行という事実のほうが、より正確に実情を伝えている。
この政治的な沈殿物を通じて、イラクにおけるアメリカの企図が自由と民主主義ではなく、帝国的野心にもとづくものであることを見てとることができる。より広く言えば、この世界最強の軍隊によるアルジャジーラに対する脅迫と暴行は、全世界での報道の自由に対する脅迫としてこそ考えねばならないのである。
・この記事は米国の雑誌、ネーション紙に初出。
・メディアガーディアン報道部への連絡先はeditor@mediaguardian.co.ukもしくは電話020 7239 9857まで
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