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皆さん、こん○○は。
「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ
http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html
というサイトを運営する者ですが、今週号の「週刊朝日」に郡山さんの手記が掲載されていたので、一部を引用しつつ紹介したく思います。
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「週刊朝日」04/05/21号
独占手記 郡山総一郎さん 「会見やテレビでは言わなかったこと」
(前略)
4月7日の昼間。バグダッド西郊のファルージャの北約15キロのガソリンスタンドで、私たちは拘束された。その状況は4月30日の会見で今井紀明君が語ったとおりだ。
タクシーで給油待ちの間にカラシニニコフ銃を持った十数人の民兵に囲まれた。(略)
私は銃を突きつけられて身体検査をされると、一人だけ白いセダンの後部座席に乗せられた。ハンドルに「トヨタ」のマークが見えた。(略)
武装した2人のイラク人にカラシニコフを突きつけられたまま農道を走り、やがて2人を乗せた車と合流し、私もその車に移らされた。
助手席の男が手榴弾を持ってアラビア語で話しかけてきた。「ムジャヒディン」「ビンラディン」「アルカイダ」という単語だけ聞き取れる。(略)
私たちはここで初めて目隠しをされ、さらに30分ほど走って、古い倉庫のような建物の前で降ろされた。中の部屋は薄暗かった。(略)
最初は、英語がうまい「ジェネラル」と名乗る男が尋問した。彼は「頼まれて通訳をしているだけ。私は関係ない」と、あとで弁解した。
最初の質問は「アー・ユー・スパイ?」。私たちがイラクへ来た理由を懸命に話しているうちに、ジェネラルは納得してくれたようだった。
(中略)
ともあれ、これ以降、「日本人は友人だ。おなかは空いてないか」と和んだ。
この言葉を聞いて、「危害を加えられることはない」と確信した。(略)
ところが、拘束期間中、もっとも恐怖を感じたビデオ撮影が、この和やかな食事の後に突然始まったのだった。
元横綱の曙に似た男が、ビデオカメラを手に入ってきた。彼だけ覆面をしていない。ジェネラルに「リーダーだ」と紹介されたこの男が宣告した。
「これからビデオ撮影をする。協力してほしい」
この撮影の様子も会見で話したが、私たちには撮影の目的がわからず、3人で顔を見合わせていたら、武装した男が増えていった。
印象的だったのは、ジェネラルが最初、高遠さんに
「日本のプレジデント(大統領)の名前を教えてくれ」
と聞いてきたことだ。
「日本には大統領はいない。首相だ。小泉という」
と答えると、私たちに「『ノー・コイズミ』と言ってくれ」と要求し、(略)あの場面になった。(略)
彼らは態度を豹変させ、髪の毛をつかみ、刃渡り30センチはある住建を今井君の首にあてて耳元で怒鳴った。高遠さんは本気で泣き始めた。
帰国し、この場面で、「イッテ、イッテ」という日本語が聞こえると話題になり、自作自演説にもつながったという。だが、そもそもこの場で私たちは「イッテ」という言葉を聞いていないのだ。
撮影が終わると、彼らは「ソーリー、ソーリー」と謝り始めたが、ショックは大きかった。(略)再び車に乗せられ、集会場のような場所に移された。目隠しはとれたが、カーテンで外は見えない。
(中略)
私たちはリーダーに聞いた。
「いつ解放してくれるのか」
「解放はする。1日か2日、3日後になるかも」
落胆はしたが、危害を加えないことは明白だった。(略)
これ以後、拘束中は何度も目隠しで移動させられた。(略)
見張り役は、部屋で警戒していることもあれば、外に立っていたこともあった。(略)
私たちは(略)武装勢力が「自衛隊撤退」を要求していたことはもちろん、ビデオが放送されたことも知らなかった。(略)
そうした、恐怖感よりも、この時点で私たちをいら立たせていたのは、「先が見えない」ストレスだった。
(中略)
<引用者注:この後、郡山さんは拘束後3日目朝の車での移動で初めて見る4人組から、「3日後には迎えに来る」と言われたこと、この3日間は暇つぶしに3人で身の上話などを語り合ったことなどを書いている。>
(略)そして、約束の3日目がきた。だが、夕方になっても迎えは来ない。(略)
迎えは結局現れず、翌日、高遠さんの様子がおかしくなった。何も話さなくなり、そのうち泣き出したのだ。
(中略)
2日後、私たちをこの場所へ連れてきた4人のうち2人が迎えに来た。
ずっと奪われたカメラの行方が気になっていた。荷物を返すと案内された民家で待っていると、家の主らしき人がテレビを持ってやってきた。
「君らのことをやってるよ」
画面の中では、私たち3人の家族が吹き替えのアラビア語で訴えていた。(略)日本では大変な騒ぎになっていると、初めて知ったのは、このときだった。
夕食時に男が私のカメラバックを手に入ってきた。確認すると、カメラやパソコン、現金は入ってなく、なぜか他人の荷物が混入していた。
「おまえらはムジャヒディンなんかじゃない。ただのアリババ(どろぼう)だ」
と怒ると、男は言った。
「自分たちは君たちを拘束したグループとは別。ほかにもたくさんのグループがある。(略)」
この男が言うとおり、今回の拘束には、ファルージャを中心に緩やかなつながりだけしかない複数のグループが関与していたのではないか。(略)
人のいい農民にしか見えない見張りもいた。イラク製の拳銃を触らせてくれようとした「常識はずれ」の見張りさえいたのだ。
翌朝、リーダーが戻ってきた。(略)
(略)目隠しされ、車に乗せられた。私たちを乗せた車は救急車だった。
(中略)
私たちが最終的に拘束されたのはバグダッドに近い場所、たとえばアブグレイブあたりだったのだろうか。何か所も転々とし、イラク人数十人が拘束にかかわったが、通訳のジェネラルは初日だけ、リーダーも最初と最後しか顔を見せなかった。
(以下全略)
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<更新情報>
・新たに「【特集】鈴木松美氏の音声鑑定−『タオル、タオル』は?−」として鈴木松美氏の音声鑑定に関する報道を追うコーナーを設けました。
・2chで話題になっている「頼むよ(orタオル?)」「大丈夫だよ」について、ちょっと取り上げてみました。(「『イッテ、イッテ』問題 資料庫」)
・今週号の「週刊朝日」に掲載された郡山総一郎さんの手記を取り上げました。