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戦時体制化の報道統制が強まってる 攻撃される側を伝えるのがジャーナリズムの使命
フリージャーナリスト・土井敏邦さんに聞く【BUND_WebSite記事】
どい・としくに
1953年生まれ。1985年からパレスチナを取材、テレビ各局でドキュメンタリーを放映。02年、パレスチナ・ジェニン難民キャンプでイスラエルが行った虐殺を現場取材し、「自爆テロ」報道の背後に隠された占領の本質を伝える。著書『占領と民衆――パレスチナ』『「和平合意」とパレスチナ――イスラエルとの共存は可能か』『アメリカのユダヤ人』『現地ルポ・パレスチナの声、イスラエルの声』。
──日本政府はジャーナリストやボランティアが危険地域に立ち入ることを非難しています。一時は渡航禁止法制化まで浮上しました。
★伝えられていないことを伝えるのがジャーナリストの仕事。中でも大事なのは、攻撃されている側、被害を受けている側の立場を伝えていくことです。だからどうしても、攻撃を受けている側に入っていくことになる。
それをしないとすれば、イラクであれば攻撃しているアメリカ軍に従軍して、米軍の立場で見た報道しかできなくなる。それだけであってはいけません。攻撃されている住民と同じ目線、同じ環境に自分をおいてみて初めて、住民の立場が伝えられる。当然、そこには危険が伴うこともあります。
しかし忘れてはいけないことがあります。何もジャーナリストだけが特別に危険な場所にいるわけではない。僕らが危険だということは、そこで生きている住民はもっと危険な立場におかれているわけです。ジャーナリストが何か英雄的なことをしていると考えるとしたら間違いです。そのことを頭において欲しい。
今回、3人の拘束事件であれだけの大騒ぎをしながら、なぜファルージャで600人も殺されていることに関心をもたないのか。「危険だ、人命大事だ」と言うけれど、僕は多くの日本人は本当に人命が大事だなどと考えていないのではないかとすら思います。今、イラク問題と言ったら人質事件と自衛隊のことが中心です。人質解放後は特にそうです。結局「日本人が殺されるか殺されないか」ということだけが大事なのでしょうか。ファルージャの現状など、ほとんど出てこない。
パレスチナのジェニンに僕らが入った時(2002年4月)、本当はジェニンで虐殺が行われている最中に入らなければいけなかったんですが、当初は包囲されて入れなかった。やっと入ると、イスラエル兵に銃を突きつけられて捕まった。危険は当然ありました。しかしあの時、誰かがジェニンに入らなければ、何が起こったのかを伝えることはできなかった。虐殺をした側は、それをなるべく外には見せたくないのですから。今のファルージャはこれと同じです。だから、今それを伝えようとすることは、ジャーナリストとして当然のことです。
■政府「自己責任」論は本末転倒
──一部の閣僚や外務省は「退避勧告に従わない者の行動は自己責任だ」と明言しています。
★日本政府は今、虐殺している側に立っています。自衛隊が虐殺している軍隊に与する立場であることが明確になることはまずい──退避勧告を強化せよというのには、こうした判断がはたらいているのではと疑いたくなります。それを「危険なところには行くな」という言葉で誤魔化しているようにも見えます。
政府は、国民に見せたくない、政府に都合のわるいことを伝えようとするジャーナリストに対して、自由に退避勧告を出せる立場にあります。僕らがそんなものに従っていたら、政府がやっていることの本質は見えない。
NGOもそうです。政府ができないことをNGOはやっている。今回拘束された高遠さんらの活動は、本来日本がやらなければならない支援だったのです。復興支援だと鳴り物入りで自衛隊を入れたので、彼らの活動はその邪魔になるという意識が政府にはあるのではないですか。イラク人から見れば逆で、自衛隊がそんなに貢献しているとは思っていない。むしろ高遠さんらのような地道な支援こそ、みんなが望んでいることです。それを自衛隊の邪魔になると考えるのは、本末転倒も甚だしい。
しかし実際問題として、各自のキャリアや勘で、できる限り僕ら自身が犠牲になることは避けなければならない。安田さん本人からの情報も含めてもっと情報を集めないと何とも言えませんが、報道を見ている限りでは、通訳や運転手が止めたのを安田さんが振り切ったということになっています。この報道が事実だとすれば、地元の人が制止したのに先に突っ込んでいくというのは、やはり反省すべき点でしょう。危険かどうかを一番判断できるのは地元の人、運転手や通訳ですから。自分の取材したいという意志と、現地の状況を見極める判断は非常に難しい。気持ちも焦ります。けれども本人の危険だけではなくて、同行の運転手や通訳の人を危険にさらすことにもなる。それは避けなければなりません。
ただ前提として、今ファルージャで起きていることを伝えることは、一番ジャーナリストにとって当然やるべきことです。安田さんがファルージャを目指したことについて、とやかく言うのはおかしい。
■報道より会社の損失心配する大手
──土井さんはフリーランスの立場ですが、日本のマスメディアについて感じていることは。
★大手とフリーには、一長一短があります。例えば朝日新聞社などメディアはバグダッドのパレスチナホテルに支局をおいて、そこからいろいろなことを伝えている。大きい組織と資金力を持つマスメディアには、大事な役割があると思っています。
一方で、フリーランスは大きなメディアにはできないことができる。一番良い例は、湾岸戦争の時のバグダッドやアフガニスタン攻撃です。あの時、攻撃されている側には大きなメディアからは誰もいなかった。BBCなどは爆撃下の現場にいたわけで、こういうところは日本の大手メディアとは全くちがいます。
大手でも、現場の記者は情熱を持って頑張るし、彼らも現場に入りたい。けれども会社が二の足を踏む。補償の問題と、なぜ記者を送ったのかと批判されることが怖いからです。ジェニンの時も、ある大手メディアの幹部から支局に「現場に行くな」と業務命令がきたと聞きました。僕はその会社の目指しているのはジャーナリズムではないと思いましたね。ジャーナリズムの名を借りたひとつの商売なんだと。「人命尊重」と言えば聞こえは良いけれども、彼らは会社の損失を心配しているのであって、ジェニンで殺されている人命のことなど頭にない。戦場では従軍記者──彼らはそれなら安全だと考えているのでしょうが──しか送らず、やられる側の報道はフリーにまかせる。逆に言えば僕らフリーの命はそんなものと考えられてるんだな、とも感じます。しかしフリーの場合、誰も補償はしてくれないけれど、制約がないから伝えられることがある。それは幸運なことかもしれません。
(4月22日)
(2004年5月5日発行 『SENKI』 1143号4面から)