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石油利権を巡る各国の思惑
世界の石油市場は、為替などの金融市場とともに、もっとも国際情勢に敏感であることは指摘するまでもない。先の先を読む世界だけに、情報収集能力の勝負ともいえる。運用効率を上げるために、鉱物資源が豊富な地域のゲリラと手を組んで、騒乱を起こさせ、その前後の売買で巨額な富を得ようとするヘッジファンドもある。インサイダー取引どころではない。007の世界だ。
イラク攻撃をめぐるアメリカの動きについて、「中東の石油を支配するための資源戦争の一環」といった見方を払拭できないのも、アメリカという国を挙げての戦力が見え隠れするからである。そうした思惑がまったくないなら、これほど大掛かりな仕掛けはしない。と同時に、「大量破壊兵器の拡散防止」や「中東の民主化」といった大テーマを包装紙として組み合わせるところが、アメリカの戦略的な巧妙さといえる。総合的だから「戦略」なのである。
しかし、これはアメリカに限った話ではない。イラク攻撃に関する各国の対応について考えるうえで、石油権益を無視できないのはむしろ当然の話である。国連安保理での弁舌の巧みさで一躍脚光を浴びるようになったドビルパン外相のフランスも、9・11テロ以降、アメリカとの蜜月を思わせたプーチンのロシアも、そして今回、表舞台での大立ち回りこそない中国も、じつは石油権益を重要なファクターとして捉えていることは同じだ。ゲームを仕掛けるか、仕掛けられたかの違いにすぎない。この火事場において、備蓄分の放出で需給調節を図るといった内向きの対処療法に追われるわが国のほうが異例かもしれない。
イラクは原油埋蔵量でサウジアラビアに次いで世界第2位の位置にある。手つかずの油田が大半を占めるという「宝の山」、イラクの石油権益をめぐる争奪戦を整理しておこう。
国連の経済制裁下にもかかわらず、フランスは、トタルフィナ・エルフ社がイラク南部の日量60万バレル規模のマジュヌーン油田、日量45万バレルのビン・ウマル油田の利権獲得に動いていた。一説には、シラク大統領夫人が利権に関わっているとの噂もあるが、真偽のほどは不明である。
ロシアは、日量80万バレルの能力を有する西クルナ油田の権利をめぐって、イラク政府とルークオイル社との契約破棄騒動まで起こしている。ロシアが反政府側の人間と交渉していた、利権を獲得しながら、生産に努めなかったなどの責任を問われて、今年1月、イラクのラシッド石油大臣が更迭された。表向きは定年が理由だが、すでにイラク攻撃が視野に入っていた時期だけに、細菌の専門家でラシッド石油相の妻、ターハ女史との関連も噂された。ターハ女史は国連査察団の聞き取り調査対象科学者に挙げられていた人物である。
そもそもロシアは旧ソ連時代に遡っても、アメリカ、サウジアラビアと生産量を競う産油国である。80年代後半に日量1100万バレルと最大の産油量を記録したのち、96年には620万バレルまで落ち込み、産油国から輸入国へと転落した。水攻法と呼ばれる安易な生産方法に走ったことも原因の一つである。「水と油」の表現があるように、油井に大量の水を流し込む過激な方法は一時的な生産増大につながっても、油井を消耗させてしまったのだ。最大の石油産業基地であるアゼルバイジャン・バクーでの民族蜂起が生産量減少に輪をかけた。
私は、以前からソ連の崩壊は、イデオロギー上の問題もさることながら、イスラム系住民の人口増とスラブ系住民の少子化というアンバランスと、石油産業の停滞が複雑に絡み合った結果だと主張している。石油こそが旧ソ連、ロシアを揺るがす最大の要因であり、それは今回のイラク攻撃でも同様である。
プーチン体制後、ロシアは国内経済の停滞を抜け出し、ここ数年、回復基調を見せてきた。プーチン大統領の卓越した手腕というよりも、このところの原油価格上昇の恩恵を受けてきたからにほかならない。現在も、原油はロシアが外貨を獲得するための中心的商品であり、原油価格の高止まりこそがロシア経済を支える魔法の杖なのである。イラク攻撃をめぐって、世界が混乱し、原油市場が不透明感を払拭できない状況が続けば続くほど、ロシア経済にとっては好ましいことになる。
ブッシュ大統領が石油業界のインナーサークルの人間であることはすでに知られた事実だが、ロシアの新興財閥にのし上がった石油会社がプーチン大統領の後ろ盾であることも、紛れもない事実である。ロシアの石油産業が好まない方向へプーチンが突入することはない。また米ロの石油産業は、一種の地下鉱脈でつながっていることも考えられる。それは冷戦時代も同じだった。
もう一つ。武器代金を中心に、ロシアはイラクに対する70億ドル(約8400億円)の債権を抱えたままだ。フセイン後の状況で、石油権益の確保とともに、債権回収問題が、米ロの駆け引きの焦点となる。その意味で、ロシアが望まない図式は、イラク攻撃が短期に終結し、権益がアメリカ中心となり、おまけに対イラクの債権だけが不良化して残るということだ。
中国に奪われた日本の石油権益
中国のイラク攻撃反対も、石油権益がらみの側面が大きい。中国は石油天然ガス集団公司を中心に、すでに基本合意に至った日量9万バレルのアブダビ油田や交渉中の25万バレル規模のハルファヤ油田などで存在感を示しつつあった。それだけに、ザ・デー・アフター(戦後)における石油権益の争奪戦で、「わかばマーク」の中国が後塵を拝することは避けたいと考えているだろう。
年7パーセントという高度成長を続ける中国にとって、最大の関心事であり、成長を維持するために不可欠な要素は、エネルギー源の確保である。昨年、私は中央アジアの一国で、カスピ海の油田を有するカザフスタンを訪問したが、新空港と首都アスタナを結ぶだだっ広い道路に中国の石油会社の大看板が誇らしげに掲げられているのを見た。江沢民氏ら政権中枢の人物によるアラブ、アフリカ諸国への歴訪も、資源外交そのものである。中国国内でも天然資源が豊富な西部開発が最優先されており、エネルギー戦略を重視する中国政府の姿が浮き彫りになっている。
2004年度に廃止されるわが国の石油公団が保有する資産の処分が行われているが、じつはここでも中国の陰が見え隠れする。
石油公団は1兆2000億円に上る政府出資をベースに、国内の石油・天然ガス開発企業に2兆1000億円の出融資を行ってきた。欠損金は2000年3月期において3519億円に上るうえ、石油開発事業への出資融資残高1兆286億円が不良債権化するおそれがある。
杜撰な石油公団の実情を、当時、担当大臣である通産大臣の任にあった堀内光雄現自民党総務会長が総合月刊誌誌上で暴いたことで、一気に問題が表面化した。その後、経済産業省内の総合資源エネルギー調査会において石油公団が保有する開発関連資産の処理方法をとりまとめているが、現実には資産の処理は進行中である。3年前には約150社あった関連会社のおよそ半分、70数社の権益を随時売却してきた。
株式会社ジャペックス・オマーンもそのうちの1つだ。アラビア半島のオマーンにおける権益を、名もない現地資本に売却し、本体は特別精算で整理済みだが、問題はその権益が中国の石油会社に転売されたという事実である。
とにかく石油公団なるお荷物を処理するためにダミー会社に売り急いだと指摘されてもおかしくない。売れるものから売った、という論理だけでは納得できない。売却の際のルールをさらに明確にしておかねば、対中国に限らず、トンビに油揚げをさらわれつづけるだろう。石油公団廃止の憂き目にあう理由もこういった姿勢にあるのではないか。
また、この事実からも、エネルギー確保にきわめて熱心な中国の姿が見えてくる。これまで数次の中東戦争、イラン革命など中東での出来事に端を発して、石油ショックが世界を、とりわけ少資源国であるわが国を襲ってきたが、今後は、中国ファクターによって緩慢なる石油ショックがつねに起こっていることを肝に銘じておかなければならない。
原油価格4つのシナリオ
最近の原油価格は、イラク情勢はもちろんのこと、昨年暮れから続いてきたベネズエラのゼネストの影響も無視できない。とはいえ、最大の不安定要素はイラク攻撃の内容と結果、ザ・デー・アフターにおける復興の進捗状況にほかならない。開戦直後、ロンドンの原油市場では、短期決戦を期待して、北海ブレント先物の指標価格が一時、3ヶ月ぶりに30ドルを割り込んだ。OPEC(石油輸出国機構)が追加増産姿勢を打ち出したことも下げ圧力になったが、先行きの不透明感は払拭できていない。
心配された油井への放火も開戦直後に9ヶ所であった。湾岸戦争時には約700の油田に火をつけ、復興まで8ヶ月、復旧費用に200億ドル以上を要したことを思い出さざるをえない。今年の正月、アラブ首長国連邦を訪問した際、アブダビ国営石油の幹部も油井への放火を懸念していた。いわく、12年前の湾岸戦争時と比べて戦力は半分、あとのないフセイン大統領なら、油田に火を放つことも十分考えられるという指摘だった。そして、それは現実のものとなった。イラク有数の油田地帯であるキルクーク情勢も予断を許さない。
原油価格の見通しについては、日本商工会議所にあたるイギリスのインスティチュート・オブ・ダイレクターズのエコノミストが6つのケースと予測をまとめている。すでに開戦したため、うち4つのケースを紹介する。
第1に、短期決戦でフセイン降伏、体制変更の場合。イラクの原油生産は3ヶ月程度停止、アメリカのSPR(国家戦略備蓄)未放出のシナリオで、原油価格は2003年末までに1バレルあたり20ドル以下に下落するという。
第2に、戦争が拡大し、アメリカがバグダッドを除くイラク全土を事実上支配しつつも、首都攻略には様子見に入った場合。いったん45ドルにまで上昇したあと、2003年度末までに35ドルに下落と予測。SPRはわずかに放出すると織り込んでいる。
第3のケースは、戦争が都市部にまで広がり、泥沼化した場合である。OPECは原油を政治的手段として使い、世界経済の成長鈍化によって、石油需要が弱まる。アメリカがSPRを放出しても、原油価格は60ドルまで上昇し、その後、40ドルに下落するという。
最後が最悪のシナリオで、アメリカが中東の拠点基地を失い、戦争が長期化した場合である。OPECは石油価格を政治的手段として使う姿勢を強め、生産を急激に縮小する。世界で石油がパニック買いされ、一方でアメリカおよびOECD(経済協力開発機構)各国の備蓄が大量に放出される。その結果、原油価格は80ドルまで上昇したあと、50ドルに下落するというものである。しかも、いずれも油田の破壊は、計算に入っていないから、すでに油井への放火が現実のものとなったいま、さらに悲観的なシナリオが考えられる。
それにしても、最悪のシナリオの場合、もっとも被害をこうむるのはデフレに悩む日本経済ということになる。デフレ下において、必須商品の原油価格のみ急騰すれば、その部分だけコストプッシュ・インフレとなり、ますます日本経済は歪なものとなるからだ。また、イラクの石油資源は戦後復興の原資ともなるだけに、復興支援のための拠出金の増大も日本にとっては痛い。
日米安保でシーレーンを守れ
イラクの石油権益をめぐって、生き馬の目を抜くような争奪戦が繰り広げられるなかにあって、日本がとるべき姿勢とは何か。まず今回のイラク攻撃で、北朝鮮という危険きわまりない存在を隣国に抱えるわが国の選択肢はきわめて少ない。12年前の湾岸戦争時と比べ、ソ連崩壊、東西ドイツの合併で国内外の安全保障の環境が激変したドイツと、日本の立場はまったく異なる。手練手管の外交技術を駆使するフランスとは比べようもない。
アメリカ支持を打ち出した日本政府の方針を「米国追従」と批判し、独自外交を迫る勢力こそが、わが国の外交や安全保障の選択肢を狭めてきた勢力と重なり合うのは皮肉である。自衛隊がどんなに高性能の戦闘機や輸送機を保有していても、わざわざ足を短くしてきた。「9・11」後のアフガン支援の際も、民間の貨物機なら直行便ならパキスタンに支援物資を輸送できるが、飛行距離に制限のある自衛隊輸送機は目的地まで3度も給油のための寄港を強いられた。ことほどさように、万一の北朝鮮からの攻撃に対し、わが国の反撃能力は恐ろしいほど低い。わが国は法的にも、防衛機能的にも自縄自縛にとどめることに熱心であり、それが平和を愛する国の証拠と受け止めてきたフシがある。莫大な予算を注ぎ込んだうえ、実際には使い物にならないなら、むしろ納税者は怒ってしかるべきと思うのは私だけだろうか。
結局、北朝鮮という危険な国を隣国に抱えるわが国としては、いざというときに頼るべきは日米安保しかない。フランスも、ドイツも、現実には日本を守ってくれない。信頼に基づく同盟関係である。北朝鮮有事のときだけ、「よろしくネ」というのは、ありえない話だ。イラク攻撃について、日本が独自の行動をとりたいなら、自国を自分で守れる状況にしたうえで、堂々と渡り合うべきである。また、そうあらねばならない。
では、北朝鮮有事がない場合は、どうか。私はたとえ北朝鮮情勢が不安定の中の安定を続けていたとしても、日米同盟関係の信頼を落とすことは、適切ではないと考える。日本が独自の行動をとることを恐れる必要はない。ただすべての総合的な判断から、日米の機軸を揺るがす事態は避けたほうがよいだろう。
たとえばシーレーンの防衛問題が残る。わが国の経済、生活を支える原油輸入のうち、88パーセントは中東から来ている。わが国の年間原油輸入量は1億3000万トンに上るが、それは20万トン・タンカーで毎日2隻のペースで日本の港に入港することを意味する。天然ガスを含めれば、1日3隻。ペルシャ湾から日本までのタンカー所要日数はおよそ90日であり、この瞬間に270隻もの巨大タンカーが日本との航路上にある計算となる。
その通り道は、マラッカ海峡、スンダ海峡、ロンボク海峡と、海の難所ばかりである。横行する海賊問題に加え、「9・11」以降、とくに不安定さを増すインドネシア情勢を考えると、日本の生命線を守るシーレーン防衛は恒常的に重要な要素である。「水と安全はタダ」だと日本人は勝手に考えているが、船舶の臨検もまともにできない日本の防衛力を考えると、日米安全保障条約を優先させることが総合的な国益追求にかなう。シーレーン防衛の確保は、わが国の石油戦略のインフラとして不可欠な要素である。台湾問題もシーレーン防衛問題の延長として捉えるべきである。
エネルギー戦略チームが必要
3月20日の開戦を、私はカイロで迎えた。当日の正午にパレスチナのラマッラでアラファト議長とのアポが入っていたが、航空便がキャンセルとなり、足止めをくらったかたちだ。カイロでエジプトの友人たちとの間との会話で、思いがけない質問を受けた。「なぜ日本はアラビア石油の権益を手放したのか」と。
アラビア石油は、アラビア太郎と呼ばれた実業家、山下太郎氏が青雲の志とともに、人脈を駆使して、カフジ油田の採掘権を獲得した1957年に始まる。日本の自主開発油田の始まりであり、日本とサウジアラビア、そしてクウェートとの友好の象徴でもあった。
しかし、湾岸戦争と相前後し、日本の石油戦略が、石油を「戦略商品」から「市場商品」へとその位置付けを変更したこと、湾岸戦争後もそのプレゼンスを拡大するアメリカの存在などが絡み、サウジの採掘権の期限である西暦2000年に大きな転機を迎えた。
問題はサウジ側が採掘権延長の対価として、約1400キロの鉄道建設を要求したことだ。砂漠を突っ切る鉄道は建設、運行、維持のいずれの段階でも困難を極めることは明らかだった。総工費は2000億円、維持費は年100億円と見積もられた。結局、一民間企業のために、国がそこまで関与できないと要請を断った時点で、アラビア石油のサウジでの権益は失効したが、そこに、採算性を度外視して自主開発油田を支援し、財務内容の悪化を招いた石油公団の役割はなかったのだろうか。
そもそも石油開発は「千三つ」、つまり「1000ヶ所掘って、3ヶ所成功すれば御の字」といわれる高リスクの世界だ。であるならば、出るか、出ないか、不透明な新規油田開発に巨額の資金を費やすよりも、確実なアラビア石油を国策として守る方法もあったろう。鉄道建設については、方法論、やり方次第であるし、そのうちサウジの思惑を察知した中国あたりが乗り出すだろう。何よりも、湾岸戦争以降、中東産油国をすでに自らのテリトリーと理解しているアメリカが、日の丸を掲げるアラビア石油の存在を目障りと考えたとしてもおかしくない。
すでにフセイン後の復興プログラム作成は着々と進んでいる。放火で痛んだ油井の復旧工事など、大所はすべてアメリカ企業が請け負うこととなっている。同盟軍を組んだイギリスでさえ、蚊帳の外だ。日本企業は、よくて孫請けだろうか。
今回のイラク攻撃で、小泉総理はアメリカ支持を打ち出した。であるならば、安保理で右往左往するアメリカとのネゴの際、「油井の1つも日本によこせ!」といった剛の者が一人くらいいてもよい。たとえ北朝鮮問題を抱えているとはいえ、最初から下駄の雪では話にならない。つまり、経済力しかカードを持たない日本の外交はそもそも選択肢が少なすぎるのである。
わが国の石油産業も選択肢が限られている。アラビア石油のみならず、民間企業は自由化と金融危機のあおりを受けて、青色吐息である。前述したように、石油開発はそもそも「千三つ」の世界であり、不良債権処理に追われる金融機関からの借り入れは容易ではない。
一方、いわゆる世界の石油メジャーは自己資本率も高く、探査能力にも優れているうえ、責任者が現地に飛んで、決断を下すスピード感を有している。中央アジアのカスピ海の油田開発でも、日本の企業連合がお裾分けにあずかったもありがたい話だ。新参者の中国は、今後も国策として権益確保に走る。
石油公団の廃止はすでに決定事項だが、不良債権の処理後は、民間のシビアさと国策の両面を効率的に組み合わせて、世界の資源争奪戦で優位を確保しつづけなければならない。
それ以前の話として、原子力発電所の停止問題を解決しなければならない。日本は北朝鮮ではないのだから、夏の停電の不安を払拭すべきだ。」また、歴史を振り返ってみれば、わが国はつねに資源確保に狂奔してきた。太平洋戦争しかりだ。数次の石油ショックや湾岸戦争で石油備蓄という学習効果を得た日本は、いまこそ石油戦略、資源戦略を練り直すべきである。諮問機関好きの小泉総理がつくるべきはエネルギー戦略チームではないだろうか。