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ガザ撤退構想の裏面(ル・モンド・ディプロマティーク)【占領を認め合う米・イスラエルを黙認する世界】
http://www.asyura2.com/0403/war53/msg/995.html
投稿者 はまち 日時 2004 年 4 月 25 日 17:40:48:rhFP/VPyFgrPk
 

ガザ撤退構想の裏面

アラン・グレシュ(Alain Gresh)
ル・モンド・ディプロマティーク編集長

訳・ジャヤラット好子

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 エヤド・サッラージは、ガザでもっとも尊敬される人物の一人である。暴力によっ
て心に傷を負った子どもや、打ちのめされた主婦、戦争によって精神を病んでしまっ
た男たちに、彼は精神科医として手を差し伸べている。ずっと人権擁護に携わってき
て、パレスチナ自治政府の刑務所の世話になったこともある。3月22日、イスラム主
義組織ハマスの精神的指導者ヤシン師が殺害されたとき、同師をよく知る彼は次のよ
うなメッセージを発した。 「ヤシン師は、パレスチナ全土にイスラム国家を建国す
るという夢をあきらめ、イスラエルの隣にパレスチナ国家を樹立することで、紛争に
決着をつけるという考えを受け入れていた。その主な狙いはイスラエルによる占領を
終わらせることだった。2カ月ほど続いた昨年夏の一方的停戦の際には、彼が中心的
な役回りを演じていた」。そして次のように締めくくった。「ヤシン師の殺害は、シ
ャロンが念入りに突き崩してきたパレスチナ自治政府の棺に打ち込んだ最後の釘の一
本だ。(・・・)死の陣営だけが勝ち誇っている」。イスラエルはパレスチナを道連
れに、おそらくは中東地域全体を道連れに、地獄へと落ちてゆく。

 3年前の選挙で治安と和平を公約に首相選に勝利したシャロンは、前首相バラクを
歴史のかなたへと追いやった。2000年9月末に(シャロンがハラム・アッシャリーフ
に立ち入ったことをきっかけに)第二次インティファーダが起こり、精神的にダメー
ジを受けたイスラエルの人々は、この老齢の右派リーダーに賛同した。人々はその公
約を信じようとした。1982年のレバノン侵攻やサブラとシャティラの虐殺に象徴され
るように、数々の戦争犯罪に手を染めた男の、これまでの経歴を忘れ去ろうとした。
まだ自爆テロがなかった時代のことだ。

 しかしながら、このリクード党首には、イスラエル人の治安よりも別の優先課題が
ある。彼にとってオスロ合意は「イスラエルを襲った未曾有の災難」であり、その成
果は一つずつ、全面的に消し去ってしまわなければならない。2000年のシャロンは、
1982年の失敗から教訓を得ている。もはやベイルートに戦車を侵攻させた血の気の多
い将軍ではない。イスラエル国民の団結を保持するため、米国との戦略的な関係を維
持するためなら、彼はできること全てをやるだろう。だからといって目標を断念した
わけでは、もちろんない。

 外交政策では、シャロンは少しばかり柔軟なところを見せようとする。「苦渋の譲
歩」をする用意があると言い、米国の指導者たちと定期的に協議している。2003年4
月30日、イラク戦争に勢いづいた米国が、カルテット(米国・ロシア・EU・国連)の
枠組みで作り上げた「ロードマップ」を公表すると、彼は口先では同意してみせた。

 「ロードマップ」では、2005年までに三つの段階を経てパレスチナ国家を樹立する
ことが想定されている。その第一段階では、以下のことが要求されている。

* パレスチナは、イスラエル国家の生存権と安全保障権を改めて認め、あらゆる
暴力行為を放棄し、幅広い権限を持った首相の任命を含めた自治政府の抜本的
改革を行わなければならない。

* イスラエルは、パレスチナ国家樹立の支援を約束し、外出禁止令を解き、往来
の自由を回復させるとともに、パレスチナ住民に対する攻撃をやめ、住宅の接
収や破壊をやめなければならない。2000年9月28日以降に再占領した土地から
徐々に撤退するとともに、ユダヤ人入植地の拡大を(たとえ「自然」な拡大で
あっても)凍結させ、いわゆる不法入植地(政府による明白な同意なしに創設
された入植地を指すが、いずれの入植地も国際法の観点からは不法である)を
解体しなければならない。

 パレスチナ自治政府が首相の任命や、非常に厳格な財政管理といった改革に踏み出
したのに対し、シャロンの側は何の見返りも示さなかった。イスラエル軍をインティ
ファーダ発生以前の前線まで撤退させることも、「不法入植地」の大多数を解体する
ことも拒否し、パレスチナ人居住区の封鎖を続けた。パレスチナ指導者の中で穏健派
に属するマフムード・アッバス(通称アブ・マゼン)は、行動の余地のないまま、首
相職を辞任せざるを得なかった。2003年9月10日にアハメド・クレイ(通称アブ・ア
ラ)が後任に就いた。同年6月29日には、ハマスとイスラム聖戦も含めたパレスチナ
の全組織によって停戦が宣言されていたが、イスラエルによる暗殺作戦の継続を前
に、それも崩壊している。要するにイスラエルの首相は、国家テロに対する自爆テロ
による応酬という、暴力の悪循環をわざと煽っている。

 アリエル・シャロンの方針を転換させるものは何もない。彼は唯一つの目標を断固
として追求している。それは、パレスチナ人を屈服させ、あらゆる抵抗を放棄させる
ことだ。そのためには叩かなければならない、それも強く。現場でイスラエル軍がや
っていることは、インフラの徹底的な破壊、難民キャンプへの無差別な爆撃、家屋の
破壊、病院への攻撃であり、パレスチナ人の物理的、社会的な生活の枠組みを壊滅さ
せることだ。第一の狙いは、パレスチナ自治政府とアラファト議長である。ハマスが
自爆テロを実行するたびに自治政府に対する攻撃は激しさを増し、その一方で、犯行
声明を出した当の組織はガザで自由に活動を続けていた。

 イスラエル政府がハマスを攻撃することにしたのは、2003年夏、パレスチナ自治政
府を完全に骨抜きにしたあとのことだ。その直前に、和平交渉の再開を願って、パレ
スチナの全勢力が停戦を協議したことも空しかった。8月21日、ハマスの最高幹部の
一人イスマイル・アブ・シャナブが暗殺された。ジュネーヴ第4条約への「重大な違
反」として、国際法廷で訴追の対象になると考えられる行為である。こうして暴力が
再燃してしまった。

 シャロン首相は現在でも、1998年いらいの持論である「長期的解決」をパレスチナ
人に受け入れさせようと考えている。それは、ユダヤ人入植地に挟み撃ちにされたい
くつかの「バンツースタン」の中で、パレスチナ人がいかなる形の主権もないまま、
現地の指導者の下で、自主管理を行うというものだ。イスラエル政府は、「現地住
民」の植民地統治という古いやり方を復活させようとする。シャロンは並々ならぬ
「譲歩」として、こんなふうに独立性を完全に奪われた主体を「国家」と呼ぶことに
同意しようというのだ。

 この計画を実行に移すため、シャロン政権は「安全フェンス」の建設に取りかかっ
た。目的は、パレスチナ人とイスラエル人を分離することではなく、ヨルダン川西岸
に住むパレスチナ住民の大多数をゲットーの中に閉じ込めることである。パレスチナ
領土に深く食い込んだフェンスの建設は、取り返しのつかないほど生態系を破壊し、
水資源を奪い取り、エルサレムとヨルダン渓谷を孤立させる。さらに2005年までに、
ヨルダン川西岸を孤絶した3つの地区に分断することになるだろう。

 このような戦略にもかかわらず、米国はシャロンを支持すると強調しており、EUも
遠慮がちな非難にとどまっている。罰せられることもないまま繰り返される国際法違
反に直面し、何の保護も受けられずに見放されたパレスチナ人の絶望は深まるばかり
だ。

 「ロードマップ」を葬ったシャロンは、ガザからの全面撤退という構想をちらつか
せ、イスラエルの人々を安心させようとする。彼らは戦争と縁を切りたいと願い、占
領地と入植地からの撤退に賛同する。数千人の入植者と100万人以上のパレスチナ人
が居住するガザ地区は、占領者にとって常に悪夢となってきた。シャロンは撤退する
つもりはあるのだろうが、ずるずると引き延ばしを続け(2005年以前に撤退が実施さ
れることはないだろう)、ブッシュ大統領から追加の譲歩(大規模な入植地に対する
イスラエルの支配権の承認)を引き出そうとする(1)。

 この企ては、イスラエル連立政権内に軋轢を引き起こした。また、軍の一部からは
反対されている。彼らが懸念するのは、2000年5月のレバノン南部からの性急な撤退
と同じことが繰り返され、ハマスがそうした撤退によって偉大な勝利者として浮上す
る危険である。パレスチナの全勢力がガザの掌握について協議し、ヤシン師がイスラ
エルの完全撤退と引き換えにガザからの武力攻撃を止める準備があると表明しただけ
に(2)、そうした懸念はなおさら強まっていた。この複雑な駆け引きは、アリエル・
シャロンがハマスの創設者の殺害を命じたことで、いっそう混迷を深めるようになっ
た。彼には、そんなことを気にする様子は一向にない。 暴力が激化すれば、自分の
意見を実行に移せることが分かっているからだ。イスラエルの人々とパレスチナの
人々は、この狂気の代償を払い続けることになるだろう。それは中東の境界の外にま
で広がってゆくかもしれない。エヤド・サッラージは我々に警告する。「死の陣営だ
けが勝ち誇っている」と。

(1) ブッシュ大統領は2004年3月14日、訪米したシャロン首相に対し、ヨルダン川西
岸の入植地の存続を認める考えを示した。[訳註]
(2) この声明は2004年3月17日、ハマスの軍事部門のウェブサイトにも掲載された。

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2004年4月号)

All rights reserved, 2004, Le Monde diplomatique + Jayalath Yoshiko + Saito
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