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(回答先: 『週刊朝日』「自己責任」言いたてる 小泉政権の矛盾 投稿者 なるほど 日時 2004 年 4 月 25 日 08:49:37)
社会的攻撃としての自己責任・ PTSD ・国体主義〜徴兵拒否つぶしへの布石?
5人の人質への社会的攻撃について。
やはり出ましたPTSD。そのうち人格障害なんてレッテルも貼ら
れるかもしれません。
すべてを個人の心の問題にすりかえ、アメリカ追従一辺倒の失
政の責任を、誘拐被害者に押しつける。医学の政治性が顕著にな
る瞬間です。
人質を診た医者がどのような意図でそういう診断をしたのかは
明らかではないし、今は明らかにできないでしょう。
人質を医療に囲い込ませてはならないと思います。地球社会の
、なおかつ日本社会の問題として、みなで人質の心の傷がいえる
ようにせねばなりません。
亡霊のごとく復活した国体主義。古くはオ−ウェルが小説「1984
」で批判するように、潔癖主義者は国のすべてを自らの好みに染
め上げます。
彼(女)らは完ぺき主義なので、ほんの少し違う色合いにも神
経質になり、わずかの個性や自主性の発露も認めません。違う色
合いを見つけたとたん、被害者的になり、おおげさに騒ぎたて、
攻撃をしかけるのです。
「心のノ−ト」に象徴される人間関係主義とは、国体主義の言
い換えです。「死んでもラッパを離さなかった」兵隊のように、
国や共同体の一部として個を奉げることを求めます。
もし個人が国や共同体の統一性(文脈によって秩序、色、雰囲
気などと言われる)を乱せば、そこに個人は存在しないも同然だ
、なぜならば人は人と人との関係の中にこそ存在するのだから。
これが彼(女)らの喧伝する言い分です。
それはたいへんおかしなことです。
@人は一生を関係の中ですごす。ならば、どんな個人の選択にも
関係はついてまとう。
Aファシズム下における人間関係だけが人間関係ではない。互い
の個性や選択を尊重しあいながらのつきあいもまた人間関係であ
る。
B後者のタイプの関係が人間関係に当たらないとすれば、@の主
張の前提は崩れる。
これほどさように脆いエセ論理を、どうして受け入れられるで
しょう? 人の心の正しさを判定する権利を独占し、人の関係の
有無や善悪を決め、多様な心の正しさを破壊する心理マフィア--
すなわちカウンセラ−や精神科医--の言いなりになってはなりま
せん。「お国心理教」の信者になりたくない人は、ならない選択
もあるのだから。グルはブッシュ、教祖は小泉だなんて、信じな
くてもいいもんね(苦笑)。
軍隊以外のやり方を自ら選んで社会奉仕する。ドイツでは合憲
です。とりわけ3人のボランティアへの非難が大きかった背景に
は、今から徴兵拒否へのバイパスをつぶしたい、というネオコン
の思惑があるのかもしれません。
「あの5人(と家族)は性格が悪い」「コミュニケ−ションに
問題がある」「日本人として不自然・非常識」「心が弱い」など
という政府・医療・共同体主義の三位一体のノイズをはねのけ、
心の自由、性格の自由を守っていきたいものです。
千田 容子
アマゾンのリンクを貼っておきます。
高岡健「人格障害論の虚像--ラベルを貼ること剥がす事--」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721300/ref=sr_aps_b_/250-4036866-5442642#product-details
この本のなかに、ベトナム戦争帰還兵を医療の中に囲い込むこと
への批判があります。「医療マフィア(イリイチ)」の内部に棲
む医師の発信する、医療の害毒の告知。
内藤朝雄「いじめの社会理論」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4760120882/qid=1082734791/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-0196451-9024311#product-details
共同体単位の幼児的全能感、論理なき空気主義、普遍的ル−ルの
無視、それらを再生産する共同体型の社会制度……。それらの危
険とリベラルな代案を示す。国のすみずみにゆきわたる共同体主
義から自由になるために。
http://groups.yahoo.co.jp/group/nomorewar/message/12976