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(回答先: 2003年11月のグルジアの「薔薇の革命」を主導した米国のユーラシア戦略と米露冷戦の始まり 投稿者 かめはめ波 日時 2004 年 4 月 23 日 17:26:36)
円・元・ドル・ユーロの同時代史 第19回〜米国のユーラシア戦略と通貨(その2)
2004年03月29日 00時00分 Chapter 3 通貨の政治性
2 米国のユーラシア戦略と通貨(承前)
カナダ紙Globe and Mail 2003年11月26日付のスクープ記事によれば、ジョージ・ソロス氏の財団は2003年2月、グルジア人活動家(ボケリアという姓の31歳男性)をセルビアへ送り、同地で抵抗運動(Otpor)の指導者に会わせた。
同年夏、財団の金によって今度はセルビアからグルジアへやって来たOtporの関係者は、3日間、1000人を超すグルジア人学生を指導した。
いずれも、セルビアの独裁者、スロボダン・ミロセビッチを平和的示威行為によって倒したノウハウをグルジアへ移転させるためだ。そして薔薇(ばら)の革命において主導的役割を担ったのは、上に出てくるボケリアなる人物がつくった組織だったという事実がある。
Globe and Mail紙によれば、ソロス氏の資金は、反政府系テレビ局の支援とデモを指揮した一群の若者へも向かった(動員費用だろうか)という。またサーカシビリ氏は2002年、ソロス氏からじきじき「オープン・ソサエティー賞」を授与されたとも記している。
シェワルナゼ氏がこのような動きを知らぬはずはない。同記事によれば一再ならずソロス氏とその財団を非難したうえ、財団事務所へ配下の愚連隊を差し向け物理的危害を与えたことまであったらしい*1。
「はめられた」
ソロス氏は普段、ブッシュ現米政権への批判を隠さない。共和党政権の急進保守主義に対抗するため、2003〜2004年にかけては米国でシンクタンク新設に動いた。ラジオ局を新たにつくろうとするなど、様々な方策を実地に講じもした。ところが国益がかかる問題になると、左右の差は超越される。グルジアがまさにそうした事例であったようだ。
というのは、グルジアで2003年11月2日に予定されていた議会選挙を公正に実行するよう、シェワルナゼ氏はブッシュ政権から度々警告を受けた後、遂にブッシュ大統領自身から引導を渡されたという事実があったからである。
経緯を述べた報道を総合すると、ブッシュ大統領はまずジェイムズ・ベイカー(元国務長官)というシェワルナゼ氏にとっての旧友をトビリシへ送り、説得を試みた。公正選挙をするよう複数の要人*2をさらに送って圧力をかけたうえ、選挙直前の10月末には自ら書簡を送った。これがいわば、最後通牒だったと思われる*3。
「はめられた(Someone had a plan)」とそう述べて、シェワルナゼ氏は早々に引退する*4。それ(someone)がソロス氏を指すものだったか、あるいはブッシュ政権のことだったか。いずれにせよシェワルナゼ氏の目に、両者は一体に見えたことだろう。
できないことがあらかじめ明らかだった公正選挙の要請は、米国にとって政権すげかえをもたらす口実に過ぎなかった。強大な米国の意思を前にしては、シェワルナゼ氏は用意された出口を粛々と出て行くほかなかったわけである。これは2003年に起きた、日本であまり報じられることのなかったもう一つの「政体変更(regime change)」だった。
アメリカ化プロジェクト
以上にやや深入りして述べたグルジアにおける一連の出来事は、中東欧から、コーカサス、中央アジアというユーラシア地方までを視野に置いて進められつつある「アメリカ化プロジェクト」*5の一環として位置づけることができる。
これら諸国の通貨がドルとどのような関係を持つかは、このような広い文脈に置いてこそ理解できるという点を、本稿では繰り返し強調してきた。
アメリカ化プロジェクトなるものに厳密な定義を与える代わりに、いまその主な因数を試みに分解しておくと、それはおよそ次のようになるのではないか。
1 ロシアからの切り離し=政治の民主化と、経済の市場化、ロシア軍の追放
2 対テロ戦争への巻き込み=米軍の進駐
3 NATO(北大西洋条約機構)への招聘=加入に必要なハードルを超えさせる軍民支援
グルジアでは、新政権の下1と2が本格的に実行されつつある。アゼルバイジャンで、また中央アジア各国で、程度に濃淡はあれ、やはり1と2が試みられている。
3とは当面の到達目標であって、ここまでをこなした成功例が、例えば1999年3月NATO入りしたハンガリー、チェコ、ポーランドであり、2002年11月加盟を許された、バルト3国(ラトビア、エストニア、リトアニア)、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、スロベニアの7カ国である。
イラク戦争に先立つ時期、米国批判をやめない独仏を「古い欧州」と呼んだラムズフェルド米国防長官が、「新しい欧州」としてその親米姿勢を称えたのはまさにこれらの国々だった。
ところで「9.11」以降、ロシアの「柔らかな腹」に当たる中央アジア各国は、下表にある通り相次いで米国の軍事プレゼンスを受け入れた。
ウズベキスタン:カルゼ・カーナバド軍用基地を米軍に提供
キルギスタン:ピーター・ガンシ空軍基地を米軍に提供。1年契約(延長あり)だが、スポーツジムなど米軍関係者の長期滞在を前提にした施設をキルギスタン政府が建設
タジキスタン:60人程度の米軍給油要員を受け入れ
カザフスタン:米空軍機上空通過を認めたほか、三基地を使用に供す用意ありと表明
(出所: Martha Brill Olcott, “Central Asia” in Richard J. Ellings and Aaron L. Friedberg, et.al., ed., Strategic Asia 2002-03: Asian Aftershocks, Seattle, Washington, The National Bureau of Asian Research, 2002, pp. 248-249)
グルジアはこの例に属さない。早くも1999年4 月29日、米軍の特殊部隊「グリーンベレー」がトビリシ入りし、グルジア軍近代化へ向けて「訓練と装備プログラム(Georgia Train and Equip Program)」を始動していた事実があるからである*6。
グルジアにはパンシキ峡谷という、チェチェンの難民に加えアル・カイダに近いとされる勢力が身を潜めている場所がある。「9.11」後には、地図にすら満足に載っていないこの地が注目を集め、進行中だった「訓練と装備プログラム」に米国は一段と力を注ぐようになった*7。
事実上、軍事顧問団を常駐させたに等しい。さらに米国は、ロシア軍がグルジアから早期に撤退するようさかんに要求している。上掲1と2のプログラムは、着々と実行に移されたと言える。
しかしグルジアとはロシアから見た場合、米国にとってのメキシコにも比すべき場所と戦略性を持つ国である。ロシアは、その地で政権交代が米国の手によって準備され、遂に実行されるに及んで、受忍限度をはるかに超えたと考えるに至る。それが米ロ間に「cold peace」ないし「cool war」をもたらす直接的契機の一つとなった*8。
米国防総省広報によれば、「訓練と装備プログラム」に米軍が投じた金額は合計6400万ドル*9。邦貨にして70億円以上と、決して小さくはない金額である。その一部は、米国軍需産業に落ちた。あるいは外国軍育成コンサルタントという、米国ならではの驚くべき業態の企業にも落ちる*10。
上述3のNATO加盟という最終ハードルを超えるには、各国軍とも装備を近代化するのみならず、米軍との運用互換性を持たねばならない。これはハード、ソフト両面で、米国軍事関連産業に確実な商機をもたらしている*11。グルジアでははしなくも、その初期の姿がうかがえるわけだ。
それにしてもグルジア側の利点は何かと、ここまで読まれていぶかる向きがあるかもしれない。
パイプラインを敷かせることは、通過料金収入という安定財源を国庫にもたらす。前節で見たBTC構想を実現させることは、グルジアの利益にかなう。
また、前節に掲げた地図が示す通り、グルジアは多くの分離勢力を抱えている。しかもそれら勢力とロシアの結びつきは強い。対抗上、米国の力を必要とするという事情もある。
これに対して米国は、今まで見てきた通り、カスピ海沿岸資源の頚動脈に当たるグルジアを自らの影響圏に入れておきたい。周辺からロシアの力を削いでおきたい。軍事プレゼンスを強化し、再びグルジアがロシアの属国とならぬよう、先手を打って政体を変えさえしたわけである。
オセロ盤の一辺を自分の色に変えた米国の手が、果たして賢明な一手だったか審判が下るには長い時間が必要となろう。ただし確実に言えることの一つは、米ロ関係はこうした経緯を経て明らかにこじれたという事実である。
そして世に言うドル覇権とは、われわれが普段考える以上に、入念かつ微細にわたった対外介入の維持を必要とするものなのだという考えに導かれる。ラリがドルをいつも仰視する背景には、これだけ輻輳(ふくそう)した文脈があり、米国の関与があったことを知ることができた。
谷口 智彦(編集委員室主任編集委員)
日経ビジネスEXPRESSで2001年10月以来毎週「On the Globe『地球鳥瞰』」を執筆、日経マスターズ誌では「Over the Horizon: 国境なき虫眼鏡」と題したコラムを連載中。国際金融と安全保障に関心。前日経ビジネス主任編集委員。米プリンストン大学ウッドローウイルソン・スクール国際問題研究所フルブライト客員研究員、上海国際問題研究所客座研究員、ロンドン外国プレス協会プレジデントを各歴任
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*1 以上“Georgia revolt carried mark of Soros”, Globe and Mail, 26 November, 2003による。
*2 クリントン政権で駐ロシア大使を務めたストローブ・タルボット、共和党有力上院議員のジョン・マッケイン、それに元統合参謀本部議長ジョン・シャリカシュビリの各氏。“At the Turning Point, No Allies”, Washington Post, 25 November, 2003
*3 “Georgia Overwhelmed by Its Own Failures”, Washington Post, 15 November, 2003.
*4 “Success in Georgia”, Washington Post, 2 January, 2004
*5 この用語自体は白石隆氏(京都大学東南アジア研究センター教授)による。
*6 “Green Berets to Arrive in Tbilisi”, Prime News (Georgia), 12 March 1999. “Republic of Georgia: Global Partner in Anti-Terror War”, American Forces Press Service, May 15, 2002.
*7 http://www.counterpunch.org/leupp0529.html
*8 もう一つは、自社株を米国巨大石油資本に売り、極東パイプラインを政権の意向にかかわらず中国へ向け敷こうとしていた石油企業ユーコスの社長を2003年秋逮捕、同社を事実上国有化したことである。石油という最も重要な資源を今一度国家の統制下に置こうとする意思の表れと言え、中央アジア、ユーラシアに地歩を築こうとしている米国に対するけん制ないし防衛だったと見ることができる。
*9 “Rumsfeld Visits Georgia, Affirms U.S. Wish That Russia Honor Istanbul Accords”, American Forces Press Service, December 5, 2003.
*10 全米各地軍事施設近郊に拠点を持つCubic Defense Applicationsという企業(http://www.cubic.com/)がそれ。Webベースの左翼系ニュースサイトhttp://www.wsws.orgは2004年1月12日付記事で、グルジアにCubicが入り、米国防総省と結んだ3年間1500万ドルの契約によってグルジア軍近代化を助けていることを伝えている。
*11 http://www.cubic.com/corp1/news/pr/2003/Cubic_MSPO_News.htmlは、CubicがNATO新加盟国のほとんどで業務を請け負ったことを記している。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/rep01/298279