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04月22日付社説
■テロ――「屈するな」という呪文
「テロに屈するな」という声を聞かない日はない。イラク戦争を「対テロ戦争の一環」と位置づける米政権にとっては錦の御旗とも言えるスローガンだ。日本で音頭を取るのは小泉首相である。
では「テロ」とは何か。広辞苑には「あらゆる暴力的な手段に訴えて敵対者を威嚇すること」とある。
一方、小泉首相は「自分たちの目的達成のために全く関係ない市民、国民を殺戮(さつりく)して平然としている」のがテロリストだと国会で語っている。これを聞くと、9・11テロを実行したアルカイダがまず思い浮かぶ。
テロに屈してはならない、というのは当たり前のことである。だが世界を見渡すと、それですべてがひもとけるわけではない。
たとえば、イスラエルのシャロン首相は英国からの独立運動の闘士で、相手からはテロリストと見られた。そのシャロン政権が今、パレスチナのイスラム過激派指導者を「自爆テロ」の責任者として次々と殺している。そして、パレスチナ人は自爆テロの若者を英雄視し、イスラエルの「国家テロ」を非難する。
歴史のうえでも、民族解放の闘士とされる人物が、それを阻む側からテロリストと呼ばれた例は珍しくない。1世紀近く前、日本の朝鮮支配に抵抗して伊藤博文を殺した安重根は、今なお「義士」として韓国民の尊敬の的である。
今のイラクでテロとは何だろうか。
米軍と衝突しているのは、フセイン政権を支えていたイスラム教スンニ、シーア両派の武装勢力だ。アルカイダ系も入り込んでいるのだろうが、主体は国内勢力である。その目的は米国の占領政策への抵抗で、当人たちにすれば「解放」の戦いだ。
いや動機はどうあれ、いまイラクで起きているように罪のない外国人を人質に取ったり、殺害したりすれば、それはテロだ。米国はそう非難している。
それに対して、ファルージャの街で抵抗を続ける勢力はこう言うだろう。米国人4人の殺害犯をあぶり出すのに、子どもを含む700人を殺した米軍のやり方こそテロではないか、と。
「屈するな」の方も考えてみたい。
このスローガンを掲げてブッシュ政権が実際にやったのは、敵対勢力をしゃにむにたたくことだった。その結果起きたのは、むしろ暴力の拡散だった。
もとより民間人を卑劣な手段で巻き込むやり方は許されない。だが物事を複眼的に見る視点が必要なのは、今も昔も同じである。反米勢力の抵抗をすべて「テロ」とひとくくりにし、力でたたきつぶすしかないと考えるのは単純すぎる。
イラクの現実は複雑だ。それをブッシュ流の善悪二元論で切り捨てたら、正しい対処などできるはずもない。
ブッシュ政権は強硬姿勢を変えず、事態をここまで悪化させてしまった。「テロに屈するな」という言葉で自らを縛ってしまったようにも見える。
スペイン軍のイラクからの撤兵が始まった。欧州にはテロとの長い戦いの歴史がある。スペインもバスク独立をめざすテロに苦しんできた。だからこそ「テロに屈するな」のあいまいさ、うさん臭さを見抜いたのではなかろうか。
このスローガンは、現実の複雑さから目をそらし、思考停止のまま人々を危険な賭けに引き込む呪文のように響く。
問われているのは、いかにテロの連鎖を防ぐかという知恵である。
http://www.asahi.com/paper/editorial20040422.html