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(回答先: Re: 自己責任論否定者の考えはいずこに 投稿者 petronius 日時 2004 年 4 月 21 日 01:28:24)
petroniusさん、どうもです。
戦争の発動を含む国家権力の行使を自由にできる“独裁者”や個人の自由とまでは言えないが国家権力を行使できる統治権限者は、自己を律する責務があるのです。
他人の家族の子息を戦いに赴かせるほどの権力を持つ者が自分や自分の家族を優先するというのは、「近代国民国家」の統治者としてあるまじき所業なのです。
徴兵拒否者や命令違反者を処罰する力もあるのです。
毛沢東やスターリンは、その政策の是非はともかく、「近代国家」の権力者として求められる態度を採ったということです。
一方、今回の人質事件の家族はどなたも、権力を行使する立場にはありません。
ただ、ひたすらお願い(要求)できるだけの存在です。願いを聞き入れるかどうかは、統治者次第なのです。
“普通の市民”なるものが存在するかどうかは別として、「政府にテロリストの要求を受け容れることも含めてなんとか救出してほしい」と強く求めた家族にカチンと来る国民は、国家における政府と国民の関係性がよくわかっていらっしゃらないのだと思います。
(石原都知事のような頓珍漢な人が「国家と国民の関係」というわけのわからない言説を語っていますが、「政府(統治機構)と国民の関係」が(政治的)国家なのです。政府を国家だと考えるのは錯誤です)
どんなにわがままを言っても実現してもらえるという保証がない一方で、納税をはじめ様々な義務は権力機構から履行の実現を迫られるというのが一般国民なのです。
「普通の市民にはカチンと来たんだろうと思いますよ・・・・普通の市民にはカチンと来たんだろうと思いますよ・・・・あんたはどんなに偉いんだって・・・」は、どんなことにもカチンとくるかはそれぞれの勝手ですが、その理由が“あんたはそれほど偉くない”だったら、“近代以前”の価値観を引きずっているか奴隷的根性を持っていると言わざるを得ません。
“偉い人”ほど耐えなければならないのが「近代民主国家」の原理なのです。
“偉い人”が好き勝手にしたいのなら、国民を精神的奴隷にするしかありませんね。