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(回答先: 自己責任論否定者の考えはいずこに 投稿者 町田 日時 2004 年 4 月 20 日 23:42:53)
組織と個人とで分けて捉えるべきだと思います。ビンラディンなども「アメリカ」という大組織を相手に戦ったりするから、無関係な罪の無い人まで死んでしまう。本当ならばビンラディンの相手は特定の個々人であったはずだと思います。
組織というのは、複数の人間からなりますから、悪を防ぐのは至難の業です。YahooBBの名簿が何やら460万人分流出してしまうのも、組織だからですね。つまり、組織は基本的に悪を防ぎ切れないという性質があります。組織には「主体」がないんですね。その性質を利用して、その組織を構成する個々人が無責任のままでいられる、という側面もあります。組織は「満足」したり「不満」を表明したりする「主体としての存在」ではないので、大臣とかの個人が表明します。だけど、それはすり替えにも近いものかも知れない。
ところが、個人であれば、たった一人が気をつければ完全に防ぐことができます。組織とは大違いです。個人には主体があります。故に満足や不満を感じます。
故に、自己責任だからこそ、その功で本人が称えられる訳だと思います。しかし、「自己責任だからこそ、その罪が本人に帰せられる。」というのは違うと思います。もし、本人が意図して捕まって騒がせたのなら本人に責任が出てきますが、そうではない。また、日本という大組織は国民の生命・財産などを守る組織なんですから、何を文句言われてもどこ吹く風で職務を遂行すればそれで良いと思う。だから、組織の長というのは、組織と自分個人を同列に感じないようにする徳が求められると思います。普段から組織を使って個人的利益(例えばの話で)を得て「ガハハッ」とか笑っているのならば、たまにはそういう尻拭いのできる人が長や管理職であるべきでしょう。
一つ疑問に思ったのは、町田さんが、「主体の存在しない組織」の「肩を持つ」ような発言を今回、なぜしたのだろう?と思います。「肩を持つ」というのは個人対個人の関係性の中で採る態度だと思うのですが、組織の肩を持ったのであれば、それは町田さんの中で組織と個人が区分けされていない事を意味するのではないかと思います。勿論、これら以外にも多くの機微があると思います。