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<イラク人質解放>銃口向けられ、挟み撃ち 安田・渡辺さん
イラクで拘束されて17日に解放されたフリージャーナリストの安田純平さん(30)と市民団体メンバーの渡辺修孝さん(36)が18日にヨルダン・アンマン市内で開いた記者会見を基に、拘束の経緯や状況をまとめた。武装グループの様子や、「3人人質事件」と同じように2人も武装グループからビデオ撮影されていたことなどが明らかになった。【アンマン宍戸護】
■拘束時
2人は同じ部屋に住んでいたが、別々の目的で行動していた。14日はファルージャ近郊に行く目的が一致して一緒に車に乗った。
男らに車を止められ「墜落したヘリコプターを見せてやろうか」と言われ、先導された。午後2時半ごろ、その車が急に右旋回して止まった。カラシニコフ銃を持った男4人が下車し、銃口を向けてきた。後ろからも車が来て約15人の武装集団に挟み撃ちにされた。
■恐怖
初日に、武装グループは安田さんが持っていたビデオで「人質映像」を撮影した。覆面でカラシニコフ銃を持った男が後ろに立ち、名前などを聞かれた。安田さんは「前の3人のケースのまねをしたと思う。録画ボタンを押していなかった。使えなかったのだろう」と話す。ビデオは中東のテレビ局に送ったと聞いたが、放送されていない。
3日目に約30分間の尋問があった。名前、年齢、住所、職業、イラクに来た目的などを聞かれた。「あなたをここで殺した場合、日本の首相は責任を取ると思うか」と尋ねられ、安田さんは「それはない」と答えた。
日本人3人解放はグループから聞いた。彼らは「イタリア人1人が殺されたのは、銃を持っていたからだ」と言った。
■拘束生活
拘束された4日間に民家3カ所、学校のような施設1カ所の計4カ所を目隠しして移動させられた。食事は鶏肉やライス、トマトやヨーグルトなどを1日3回、男たちと一緒に食べた。英語と身ぶり、多少のアラビア語で意思疎通した。2カ所の家はテレビがあり、サッカー中継なども見た。
安全装置を外して、銃口を向けられたこともあった。一方で、「ゲストとして招いている。心配しないでいい」と繰り返し言われた。
■心境
安田さんは「私はイラクにとどまるようなことは言っていません」と語った。渡辺さんは「どうしても残りたかったわけではなく、可能性があるなら残りたいと思った。しかし、大使館員から『危険で無理だ』と言われ、従った」と話した。
「日本大使館に連絡しないでほしい」と言ったことについて、渡辺さんは「犯人たちが『解放されたら、大使館の調べにどうせ話すだろう』と言い、私たちに危機感を与えたからだ」と話した。
渡辺さんは「日本の政府が自衛隊を派遣していることによって、自分たちボランティアまでこういう目に遭う。複雑な思い」とも語った。(毎日新聞)
[4月19日20時39分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040419-00001067-mai-soci