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【奇っ怪ニッポン】
2004年4月22日 掲載
すべて自己責任なら行政機構なんていらない
「テロとは他者が『我々米国』に対して行う行為であり、『我々米国』が如何(いか)に残虐な仕業を他者に行おうとも、それは『防衛』や『テロ防止』と正当化される」。
数少なき米国の碩学(せきがく)、ノーム・チョムスキー氏が彼一流の皮肉を込めて喝破しています。
ファルージャの地に限っても、七百余名のイラク一般市民を殺戮(さつりく)した米国は、国籍や人種で生命に軽重を付ける選民意識が横行する“悪の帝国”です。日本の宰相は、その妻妾(さいしよう)たり続けんと嬉々としてワンワンを演じているのです。
スペインが撤兵を決定し、イタリアでも七割の国民が撤兵を望む現状を知ってか知らずしてか、「世界平和」を説く池田大作先生を崇(あが)め奉る善男善女も又、撤兵許すまじ、と意思統一しています。而(しこう)して、「自己責任」なる摩訶不思議な惹句(じやつく)が跳梁跋扈(ちようりようばつこ)し始めました。
ならば、と申し上げましょう。「讀賣」だの「朝日」だの、米国同様に選民意識を身上とする組織に属する記者が今後、拉致或いは殺傷されようとも、自己判断で赴いた結果としての「自己責任」と覚悟すべきです。
が、高給を食(は)む連中の「覚悟」の程は、極めて怪しい。何故って戦闘激化に伴い、自己責任と自己費用でクウェートへ一時退避した「毎日」とは異なり、節操無き大半の新聞社の記者は、自衛隊機に便乗させて貰っているのですから。
冷静に捉えれば、出兵している自衛隊員だって「自己責任」。戦闘地帯への派兵は憲法にも法律にも違反する、と拒否し、別の人生選択も可能だったのですから。
「自己責任」を突き詰めれば、住民サーヴィスを担う行政機構そのものが無用の長物となります。而して、手を差し伸べるべきは「無自覚」な他律的市民のみに限定すべき、って話になります。
所詮は共産党系の人物が拉致された訳だから、と冷笑する政府与党関係者は、創価学会系のヴォランティアが同様の憂き目に遭った場合にも「自己責任」を唱えるのでしょうか。
呵々。「世界平和」ならぬ「政界平和」を池田大作先生が牛耳る公明党の支持者は、危険をも顧みず戦地で行動する隣人愛なんぞ、端(はな)から持ち合わせぬ、御都合「一国平和主義」者でしょう。
ところで今後、更に「自己責任」を求められるのは、付和雷同的に派兵を支持する小泉親衛隊とも呼ぶべき全国津々浦々の国民も、です。
奇しくも9・11から911日後に3・11が発生しました。その113日後、119日後は何れも参院選の真っ最中です。新幹線が繁華街が遊園地が未曽有の惨事に見舞われようとも、「讀賣」「産経」は以下の強弁でワンワン宰相を擁護すべきです。「自己責任」に付き、殺傷された国民に些(いささ)かの謝罪も補償もすべきでない、と。さあ、出来るかなぁ。【田中康夫】
http://www.gendai.net/contents.asp?c=025&id=48