現在地 HOME > 掲示板 > 戦争53 > 1151.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
‥‥日本政府などが強調する「自己責任」論の偽善‥‥
______________________________________
「義憤」の矛先正しいか?:テッサ・モーリス・スズキ(オーストラリア国立大教授)
______________________________________
戦争の最初の被害者は真実だ、と言われる。最近のイラク報道を読めば、2番目の被害者は論理だと実感する。
軍務を下請けする米国民間企業の職員4人が3月31日、ファルージャで群集に殺された。暴徒化した住民は遺体を橋につるし、世界に衝撃を与えた。米政府は報復として軍事攻撃を行い、ファルージャでは700人を越す市民が死亡したとされる。多くは女性や子供で、米「民間人」の殺害とは無関係な人たちだ。
報道が規制されているため、この惨状を伝えたのは、生命の危険を犯して現地に乗り込んだフリー・ジャーナリストたちである。英国人ジャーナリストのジョー・ワイルディングさんは武装勢力に一時誘拐されその後解放されたが、現地からの報道はWEBサイトで見ることができる。
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
市民への攻撃に対抗し、イラクの武装勢力は、米国の協力者とみなした外国人の誘拐を繰り返した。その中には、報道やイラク支援を志す日本人もいた。日本の政治指導者やメディアからは、危険な地域に足を踏み入れ誘拐された人たちを非難し、当人と家族に謝罪を求め、救出費用を支払うべきだとの声も出た。そのような主張をする人々に私はいくつか質問をしたい。
米「民間人」らの殺害はファル−ジャ攻撃の契機となったのだが、彼らは自らの意志によりそこを危険な国と知りながら入って行ったのではなかったか。そうだとしたら、彼らの身にふりかかった運命はそれゆえに、彼ら自身の責任になるのか。
またそれが「自己責任」であるなら、殺された「民間人」の家族はファル−ジャ攻撃を招いた責任をとって米国市民に謝罪し、後に展開された米軍の活動費用を負担すべきなのか。さらえにファルージャの市民にも謝罪し、殺害された何百人もの市民らに保証金を支払うべきなのか...。
これらは本質的であるゆえに荒っぽい質問で、ある人々には不愉快なものだろう。しかし日本政府などが強調する「自己責任」論の偽善性を浮き彫りにするためには、問われる必要がある。これらの質問にどう答えるべきかを考えれば、被害者を非難するという論理がいかに転倒しているか、分るはずだ。
21世紀初めの世界は、危険な場所である。日本の外務省も頻繁に渡航危険情報を出している。警告を単に無視して「渡航しても大丈夫」と思い込むのは愚かな行為かもしれない。渡航者は自らが危険を冒している事実を受け入れるべきだろう。他方、より良い世界を構築するためには、あえて危険地域へ向かう人たちが必要なのだ。そうした勇敢さが正しい報道や効果的な援助を作り出す。そこから、真の異文化交流が生まれる。
国家には国民に対し、特定の地域が危険だとする警告を発する責任がある。同時に国家は、危険地域へ向かった国民の生命を守るためにあらゆる合理的措置をとる責務を負う。その国民が「善人」か「悪人」か、「賢人」か「愚人」かとは無関係に、この責務は果たされねばならない。
他方、どの国家にも、自国民が殺された報復として罪もない市民に制裁攻撃をする権利はない。その行為は、19世紀「砲艦外交時代」の帝国主義のものであり、21世紀には全くふさわしくない。
人質になった日本人に「道義的な憤慨」をあらわにする人々は、罪のない人々を罰し続ける米国政府と、そうした戦略を支援する各国政府に、憤慨の矛先を変えてしかるべきではなかろうか。
(朝日新聞紙面4月23日オピニオンより)