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岡本行夫前首相補佐官に聞く二つの疑問
ことし三月末、政府内でイラク問題に深く携わった人物が首相補佐官のポストを辞した。元外務省北米第一課長の岡本行夫氏(58)。大胆な行動力への評価の一方で、昨年十一月の日本人外交官殺害事件、社外取締役を務める三菱マテリアル社との関係で批判の声も上がった。「すべて透明にやってきた」と反論する同氏に聞いた。 (田原拓治)
■殺害された奥大使は来訪の下見中だった?
四回、計三十五日間。岡本氏が昨年、イラクに出張した日数だ。出先の大使館員を除けば、政府の誰よりも多い。出張中は常に殺害された奥克彦参事官(肩書は当時)と過ごした。「奥にほれ込んでいた」と岡本氏は話す。だが、一部の外務省職員は、岡本氏の行動が結果的に奥さんらの事件を招いたと憤慨する。
事件発生は、昨年十一月二十九日。その直後の日程で、岡本氏はイラク北部に入る予定(殺害事件の発生で中止)だった。先の「憤慨」の理由は「奥さんは事件のあった北部で岡本氏来訪のため、事前に下見をやっていた」(外務省職員)からというものだ。
■「悪意の中傷がなされている」
「悪意の中傷がなされていることは私も外務省の友人たちから聞いていた。どういう意味なのか、名乗り出て説明してほしい」と岡本氏は否定する。
「(予定の行程では)まず、シリアの首都ダマスカスへ行き、バグダッドからアンマン経由で来る奥が合流して滞在する。その後、二人でイラク北部のモスルに向け、ダマスカスから陸路で渡る予定だった。ダマスカス訪問の理由は、シリア政府をイラク復興に巻き込みたかった。シリア−イラク国境のコントロールや物流を見る必要があるとも思っていた」
モスル行きの理由は「十二月四日に同地で予定されていた日本の援助による学校や低所得者用住宅など草の根案件の署名式に立ち会ってほしい、と奥に頼まれていたから」だという。
奥さんはモスル駐留の米軍一〇一空挺(くうてい)師団と緊密な関係を持ち、この援助案件も同師団から高く評価されていた。モスルからバグダッドへの帰路は、奥さんが手配中だった同師団のヘリで移動する手はずだったという。
とはいえ、ダマスカスとモスルを結ぶルートは、これまでもイラクで暗躍する欧州からなどの外国人イスラム義勇兵の入国経路と指摘されてきた。行程に無理はなかったのだろうか。
岡本氏への批判には尾ひれが付いていた。「事件当時、車のナンバーが外されていたのは過去の出張で襲撃されかけた岡本氏による指示」といった内容だ。
■『治安に熟知…考えられない』
岡本氏はこれらを「奥に対する冒とくだ」と前置きし、こう反論した。
「CPA(連合国暫定当局)にいた奥は誰より治安状況に熟知し、確たる信念を持って行動していた。たまに訪れる者の意見に左右されるような人間ではない。私が襲撃されかけたという事実もない。自分の通行路の安全確認のために奥がティクリートに行ったことは考えられない」
国会で現在もくすぶる奥さんらへの「米軍誤射説」についてはどうなのか。
「私は米軍の行動様式を知っているが、そのようなことはあり得ない」
■三菱マテリアル社外取締役としてイラクの工場再建を仲介?
それにしても、なぜ一部とはいえ、古巣の外務省職員たちから、これだけ非難を浴びるのか。
「(官邸の)首相補佐官としての私の行動を不快に思う人たちが、外務省にいたことは聞いている。私や奥は彼らにとって目の上のたんこぶだった。奥は私の部下ではなかったが、奥を助けたかったし、それが国益になると信じていた」
民間登用が可能な首相補佐官ゆえ、岡本氏も複数の肩書を持つ。その一つ、「三菱マテリアルの社外取締役」が、国会の場でもイラクでの岡本氏の行動との関連で取り上げられた。
事実経過はイラク北部のセメント工場再建計画で、北部シンジャーを視察した岡本氏が、CPA北部地域調整官からセメント工場の再建で相談を受けた。岡本氏はモスルから同社の西川章社長に電話し、社員の派遣を要請。帰国後に経産省とも直談判し、社員二人が政府の「産業調査員」の身分で経産省職員とイラク入りし、工場修理を見積もったというものだ。
民主党の首藤信彦議員は岡本氏の行為が国家公務員法一〇〇条(守秘義務違反)に当たるとして追及。これに対し、岡本氏は「日本人の友情に基づく美談」と利益誘導目的を否定した。
「三菱マテリアルはボランティアで無償の技術援助をしてくれた。感謝している。米国の専門家(米軍の工兵隊)が、修理に二千三百万ドルかかるとしたところを三菱チームは百万ドルで中国か東欧の安い機械を買えばいいとアドバイスし、イラク人労働者は感激した。儲(もう)からなければ企業が動くはずがない、と考えるのはまったく間違っている」
■「受注のための活動ない」
一方、岡本氏は、復興にかかわった米石油建設大手「ベクテル」社について「文芸春秋」(三月号)に掲載された記事の中で「(前略)先方の要請があり、九三年四月にアドバイザー契約を結びました。しかし、九六年十月以降、同社との接触はありません」と答えている。この経緯と「具体的なプロジェクトにまでは言及しなかったが、奥さんはイラク北部クルド地区の油田開発に関心を持っていた」(NGO関係者)という話から「岡本氏はイラク北部での石油開発にかかわろうとしたのではないか」(首藤氏)という疑問も語られた。
これに対し、岡本氏は「イラク原油開発事業への日本企業の参入は政府として推進している国策。当然、私も実現を願ってきた。また、CPAやイラク側関係者から石油開発プロジェクトに日本の無償協力資金が使えないかという照会も受けた。しかし、無償資金を石油事業に使うことは望ましくないと可能性を否定してきている。ましてや、日本企業の受注のため、私が活動するようなことはまったくない」と答える。
■補佐官としての給与は全額寄付
岡本氏は首相補佐官としての給与を全額、「児童や教育に携わる各種の団体」へ寄付しているという。では、「一文にもならない」仕事になぜ、ここまで付き合えるのだろうか。
「国のためだと思ってきた。悔いはない」と岡本氏は言う。同氏は外務省北米第一課長時代に湾岸戦争を経験している。「日本は汗や血を流さない」という国際的な批判があった。その「トラウマ(心的外傷)」も一連の行動の背景にはあったという。
ただ、イラク戦争直前まで米国の武力行使に反対しつつ、昨年五月以降は米国統治下での「復興」に積極的だったと非難も受けた。
「戦争が始まってしまった以上、復興に尽くすことがもっとも重要だ」
「自衛隊派遣ではモスルにいち早く部隊を派遣するよう進言したことはある。私の考えは早く送れば、小規模な部隊で済み、それも米軍の基地に入ってその一部として機能する。パトロールをすれば危ないけど、そんな必要はないからだ」
首相補佐官の辞任理由についてはこう話す。
「日本のイラク政策は、三月で大きな区切りがついた。四月から大学院で教える予定もある。まあ、いくらクリーンにやっても、中傷されるので、ばかばかしくなったこともある」
ただ、こう付け加えた。
「もう一度やれと言われても、三菱マテリアルの件を含めて同じことをやる」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040426/mng_____tokuho__000.shtml