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今のままの日本の「国民」として生き続けることを恥じるのである。
生き恥を曝したくないのである。
生ける屍のごとき有象無象には分かるまいが、そげなことは気にしちょらんのだ。
「売名」と言うなら言え!
死んで名を残すのなら、それで良いではないか。
私は、今の今、「人質の身代わり」の件で、在外日本人と、以下の通信のやり取りをした。
Subject: 日本人だからではないのです。Re: お志感謝いたします
日本人だからではないのです。昨年は、アメリカ人のイラク人間の盾の一人が、ヴェトナム戦争の従軍牧師でした。彼は、アメリカにいるよりは、イラクの孤児たちの傍で死にたいと言って行き、それが¥方紙に載ったのでした。
ラテン語の綴りは、memento moriでしょうか。
日本でも、死生観、「生きるとは死ぬことと見付けたり」などという表現があります。
在外の某氏 wrote:
木村さま
阿修羅の投稿読みました。
驚きました。その前の方ので、ほ〜と思っていたところでした。
頭の中での整理ができませんが、そういう志は、多分政治的な意図ではなくて、日本国大事主義の良き変容みたいな感じなのでしょうと考えました。
明治維新を担った世代は楽屋裏がうすっぺらなベニヤ板であったことを知っていた。しかしそれでなんとか保ったのは、足らない分を人が埋めたからだ。悲しいことだが、とかなんとか司馬遼太郎が書いてましたがそういうことかもしれないなど思い出します。
多くの人に知ってもらった方がよいかとも思い、自分の日記にも書いておきました。
無事身代わりとなったあかつきには、銃後はまかせてください(笑)と言いたくなってしまうわけで、ほうらやっぱり、これは日本大事主義の一変容なのだろうとやっぱり思います。
お志感謝いたします。ただし、いついかなる時でも、どうぞ御自愛くださいませ。