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2004年 4月13日 火曜日 □□□□ □■ (転送歓迎)
きょう紹介するニュース&案内
・ファルージャ救援、参加者が経験した現場の状況
エレクトロニック・イラク 4月12日
<案内> 日本人人質事件を考える緊急集会
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☆★ファルージャ救援、参加者が経験した現場の状況
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●Americans Slaughtering Civilians in Falluja
アメリカ兵がファルージャで一般市民を虐殺
Dahr Jamail, NewStandard エレクトロニック・イラク 4月12日
http://electroniciraq.net/news/1452.shtml
ファルージャではごくわずかなメディア報道しかないことを知った。そ
して全市が封鎖され、今も水がなく電気もないという形で、集団的な懲
罰に苦しめられている。私は確かに実行されている残虐行為を自分
の目で見てみようと感じ、二人のジャーナリストと行ってみた。
幾人かの友人の助けを借りて、われわれは人道物資を運ぶ大きな
バスに乗るために、国際的なグループに加わることになった。いつ始
まるか判らない次のアメリカ軍の猛攻撃の前に、負傷者の一部でも運
び出したいという望みとともに。
今では、バグダッドを出発することさえ危険になった。米軍はバグダ
ッドとヨルダンを結ぶ主要なハイウェイを閉鎖した。
バグダッドをちょっと出ただけでハイウェイは無人になり、破壊され
たガソリン運搬トラックが乱雑に放棄され、くすぶっている砲弾がハイ
ウェイに散乱している。われわれは陸橋の下でまだ燃えている大きな
M1戦車のそばをゆっくりと通り過ぎた。レジスタンスに攻撃を受けた
ばかりだった。
最初の米軍の検問所では、兵士たちはそこに30時間、直立したま
まだと言う。検問を受けたあと、われわれはデコボコのある砂ぼこりの
道路を走り、アブ・グレイブをかすめて、包囲されたファルージャにむ
かってゆっくりとだが着実に進んだ。
アブ・グレイブにある小さな家を通り過ぎるとき、小さな子どもがバス
にむかって叫んだ−−「僕たちは死ぬまでムジャヒディン(戦士)でい
たい!」。
われわれはハイウェイにのろのろと戻った。
煙をあげているガソリン輸送車、破壊された戦車、武装した兵員輸
送車があちこちにあり、そして攻撃を受けたばかりのトラックは近くの
村人から略奪を受けているところだった。人がハイウェイに入ったり出
たりしながら、ボックスを運んでいた。
アメリカ兵が張り付いているハイウェイを一旦離れると、目に見える
範囲に米兵の存在はまったくなく、われわれはムジャヘディンが支配
する領土に入った。
われわれの乗ったバスは畑のなかの道路を通ったが、そのたびに
「ファルージャへ行くあなた方に神のご加護を!」と叫ぶ者とすれ違っ
た。われわれがすれ違った人々は誰もが、勝利のVサインをかざし、
手を振り、そして賛意を示してくれた。
ファルージャに近づいたとき、道路の両側に子どもたちの集団がい
て、ファルージャにやってくる人々に水とパンを手渡していた。彼らは
文字通り、平たいパンをたくさんバスに投げ入れ始めた。その仲間意
識、共同体意識は信じられないほどだった。誰もがわれわれに声をか
け、元気づけてくれて、そのような光景が道路づたいに続いた。
われわれがファルージャに近づくと、米軍の爆弾による大きなキノコ
雲が街からたち昇った。そんな程度の停戦なのだ。いよいよ街に近づ
くと、通過するムジャヘディンの検問所も多くなり、その一つでは、カラ
シニコフ銃を持った男たちが、戦闘意欲を示すかのように空にむけて
発砲した。
街のなかは、通りの角ごとに立っているムジャヘディンの集団を除く
と、実質的に空っぽにみえた。それは戦場になった都市なのだ。
われわれは一つの小さな個人病院にのろのろと進んだ。そこイタリ
アのNGO団体INTERSOSからの医療救援物資を届けた。
その小さな医療施設はマキ・アル・ナッザル氏によって運営されてい
た。彼は4日前に管理人として雇われ、彼自身は医者ではなかった。
その小さな病院の医者皆と同じように、彼もあまり睡眠をとってない。
そこは3人だけの医者でスタートしたが、アメリカ軍が公共病院の一
つを爆撃して以後、そして今では主要病院に出入りする市民が狙撃さ
れることから、結果的に全ファルージャ市内の医療行為をわずか2カ
所の小さな個人病院でおこなうことになったのだ。その他には、車庫で
治療がおこなわれた。
私がそこにいると、アメリカ軍に狙撃された女性と子どもの切れ目な
い行列がその汚れた個人病院に競うようにやってきた。そこへ車が正
面玄関に猛スピードで走ってきて、家族が泣き叫びながら患者を運び
込んだ。
一人の女性と小さな子どもが首を撃ち抜かれていた−−女性のうめ
き声のなかで医者が必死の手当をしているとき、女性は気息音をたて
ていた。目を見開いて宙をにらんだ小さな子どもは、医者が救命にか
けつけるとき、しきりに吐いた。30分後、彼らは二人とも助からなかっ
たように思われた。
アメリカの攻撃による犠牲者が次から次に院内に運び込まれたが、
そのほぼ全員が女性と子どもだった。狙撃が続いていたので、このよ
うな場面が時々夜中まで見られた。
夕方近くになって、近くのモスク(イスラム寺院)の拡声器が、ムジャ
ヘディンは米軍車列を完全に破壊したと発表した。歓声があがるとと
もに、銃声が通りに満ちた。モスクが祈りの声を流し始めたとき、その
一帯の決意と確信は明白であった。
ケフィールで顔をおおい背丈ほどもあるカラシニコフ銃を背負った
11歳の少年がその個人病院のまわりをパトロールし、彼らは安全で
あることを確信させた。彼は信念をもって、とても戦闘に参加したがっ
ていた。アメリカ兵は11歳の少年と戦うことについてどのように感じる
だろうかと考えてみた。翌日、ファルージャ市外の道路では、ムジャヘ
ディンのように戦っている子どもたちの集団に幾つか出くわした。
救援物資を届けたあと、私の3人の友人は病院の負傷者回収用の
救急車に同乗することに同意した。その救急車は、運転席側のフロン
トガラスにアメリカの狙撃兵から撃たれた銃弾の穴があいていて、西
洋人が同乗するという意味は、米兵が負傷したイラク人の回収を許す
だろうということを唯一の希望にしているというものだ。
前の運転手は狙撃兵から撃たれて弾丸が頭をかすめたために怪我
をした。不規則な銃撃同様に、散発的に爆弾が街の周りで爆発する
のが聞こえた。
暗くなってきたので、われわれは残虐行為を映像に映した地元民の
一人と夜の時間を過ごすことにした。彼は死んだ子どもが海兵隊員に
よって母親の胸から引き離される場面をわれわれに見せてくれた。ほ
かにもイラク人が殺される恐ろしい場面が写された。
ファルージャで過ごした全時間、つねに持続する低い音が耳に届い
た。われわれが宿泊する家にむかって人気のない通りを歩いていると
き、米軍機が頭上を飛んでいき数発の照明弾が投下された。クラス
ター爆弾の投下かと思って、われわれは壁に走ってしゃがみこんだ。
このことを伝えた報告があった。個人病院に運び込まれたもっとも
新しい2人の犠牲者は、地元住民の話ではクラスター爆弾による攻撃
を受けたもので、彼らは恐ろしいほどに焼かれて、遺体はきれぎれに
なっていた。
浄化されてない水を飲んだことによる体調不良と、全面的な侵攻が
始まるのではないかという気がかりに悩まされた長い夜、私は眠れな
かった。眠りにつこうとするたびに、米軍ジェット機が飛んできて、もし
や本格的な空爆が始まるのではないかと考えるのだった。
一方、単調に持続するブーンという低音もとぎれなかった。
次の日の朝、われわれは個人病院に歩いてもどったが、一帯のム
ジャヘディンは、いつでもありうる侵攻を想定して、神経をとがらせてい
た。彼らは臨戦態勢をとっていたのだ。
二人の遺体を回収するために救急車に同乗した友人の一人は、遭
遇した海兵隊員が退去するように告げたと話した。「街の掃討作戦」を
始めるために軍が空からの支援を求めているからだという。
個人病院に運ばれた遺体の一つは、自宅の外で狙撃手に撃たれた
老人で、そのとき彼の妻と子どもたちは座り込んだまま泣き叫んでい
た。米兵から彼ら自身が狙撃されるのを恐れて、家族は彼の遺体に
近づくことができなかったのだ。(時間がたって)堅くなった彼の遺体
は、その上に群がるハエと一緒に院内に運ばれた。
既に正気ではない状況がいよいよ深刻になり、負傷者が病院からわ
れわれのバスに積まれるころには、われわれも出発する用意をし、誰
もが侵攻が近いと感じていた。米軍の爆弾はわれわれからそう遠くな
いところに投下され続けていて、散発的な銃撃も継続していた。ジェッ
ト機は街の郊外を旋回していた。
われわれが出発すると、道沿いの要所、要所でたくさんのムジャヘ
ディンと出会った。家族を乗せた車の長い列のなかを、われわれのバ
スはゆっくりと戦闘態勢の整った街から出た。街の郊外では数台の軍
用車両とすれ違った。
われわれが曲がる地点を間違え、別のムジャヘディン勢力が支配す
る道路へ行こうとしていると、銃口を突きだしてわれわれに狙を定めて
いる男たちにすぐに取り囲まれた。乗っていた医者と患者がファルー
ジャから来たこと、そして人道支援団体が乗っていることを彼らに説明
したので、それで彼らは通してくれた。
バグダッドへ戻る行程は遅くはあったが、比較的に平穏なものだっ
た。われわれは自由の戦士によって破壊された車両のくすぶる多くの
残骸を見ながら通り過ぎた。破壊されたガソリン輸送車、軍用車両が
多かった。
私がファルージャから報告できることは、そこには(文字通りの意味で
の)停戦はなく、戦闘が停止されたことは、明白に、一度もなかったとい
うことである。 (訳注:米軍からの本格攻勢が止んでいるだけ)
イラクの女性と子どもたちは、米軍の狙撃手から撃たれている。
600人以上のイラク人が米軍の侵攻で殺されており、住民は二カ所
のサッカー場を墓場にしていた。救急車は米軍から撃たれるし、今も
彼らは街への本格的な侵攻に着手する準備を整えているのである。
それらのすべてが、ブラックウォーター社の警護要員を殺し橋から吊し
た者を捕捉するという装いのもとに、展開されているのである。
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☆★日本人人質事件を考える緊急集会 (HIROPERSS Directより)
http://www.hiropress.net/direct/
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日本人人質事件を考える緊急集会
イラクで3人の日本人、高遠菜穂子さん・今井紀明さん・郡山総一郎
さんが拘束された。 私たちは今回の事態をどう判断し、どう行動すべ
きか。イラクはどのような状態におかれているのか。イラクから帰国し
たばかりのフォト・ジャーナリスト、そして今回イラクに拘束されている
3人のご家族とともに考える緊急集会を開きます。
講演者 森住卓、豊田直巳、古居みずえ、広河隆一(司会)
参加予定 イラクで拘束された日本人 3 人のご家族
日時 2004 年 4 月 16 日( 金 )19:00 ( 開場 18:30 )
開場 なかのZERO小ホール
参加費 1,000円( 一部をご家族への支援金に)
共催 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会
DAYS JAPAN http://www.daysjapan.net/index2.html
問合せ先 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会 JVJA 事務局
http://www.jvja.net
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