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(回答先: わざと誤解しているのですか? 投稿者 たけ 日時 2004 年 4 月 18 日 13:30:38)
たけ さん
この記事では安田さんのことを言っていますので、その点を伺います。
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> 志ばかりが先行し、実際の能力が追いついて
いないのに軽率な行動をしたという
> 無茶な行動
あなたは、安田さんの「どんな行動」を、「軽率」に当てはまると考えますか?
あなたは、安田さんが「どんな状況」で「どんな判断」をしたのかを掴んでいるのですか?
あなたは、イラクの問題に「どうコミット」していますか? 現実的に、あるいは心情的に。
※コミットする=抜き差しならない自分の人生テーマとする
もちろん「浅いコミット」も私は否定しません。
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私は、
間接的、断片的報道しかない今、どうして結論を急ぐのか、不思議です。
拉致された事態をまだハッキリと掴んでいないのに
「無謀としかいいようがない」
などと何故断定できるのですか? 断定しようとするのですか?
安田さんは数日で日本に帰ってきます。
彼は、私たちに真実の詳細を報告する義務があります。
ですから、数日待てばいいのでは有りませんか?
それを待とうとしないのは、「煽り」とのそしりをまぬかれません。
安田さんは戦場記者です。
私などよりもずっと自己責任、危機管理に長けていると思います。
でも、それにも拘わらず
「結果として拉致されてしまったのはなぜか」、
私の胸の片隅に疑問はあります。
しかしそれは、ゆっくり御本人の証言を訊いてから、確認しようとおもっています。
批判はそれからです。
3人の方々についても同じです。
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それからもうひとつ。
「批判」というものは、何にコミットしているかで変わります。
批判者がコミットしているもの、被批判者がコミットしているもの、
そしてコミットの深さによってです。
安田さんの場合でしたら、
今のイラクの真実、ファルージャ事態の報道、という
「志」に照らして判断に問題が無かったか?
ということが批判のベースです。
「志」の無いものに批判の資格はありません。
あなたや私が、別の「志」の持ち主ならば、
「志」自体を批判するのがまっとうです。
「ファルージャ報道という行動目的を認めることができない」と。
安田さんのコミットメントは
私がコミットできる領域を遥かに超えています。
本人に敬意を払い、本人の判断を尊重する。
これが、私の安田さんに対する基本姿勢です。
安田さんが命をかけてファルージャを取材したら、
それを、正座して読むのが精一杯の私の身仕舞いです。
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とはいえ、
安田さんのこれからの言動に、鼻持ちなら無い功名心でも感じた時、
私は批判者になるかもしれません。
果たして安田さんは、ドライバーの制止を振り切って行ったのか?
もし、振り切ったとすればそれはなぜか?
本人の証言を待とうと思います。
どうですか、これでもいけませんか?