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(回答先: 占領の日__2003年4月9日 [バグダードバーニング] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 4 月 13 日 04:15:59)
2004年4月9日金曜日
1年後__2004年4月9日
今日、イラク操り人形評議会が”建国記念日”といって祝うこの日は、”ファルージャ大虐殺”の日として記憶されるだろう・・・ブレマーは、ついさっき休戦を命じ、爆撃は停止されると宣言した。しかし、爆撃は、いまこれを書いているあいだも続いている。ファルージャでは3百人以上が死んだ。市のサッカー場で死者たちの埋葬が始まった。墓地の近辺への立ち入りを禁止されているからだ。死体は暑さで腐敗し始めていて、人々は到着するとすぐ、なんとか埋葬しようと必死だ。かつて若者の足が走り歓声に満たされたフィールドは、男たち、女たち、こどもたちの埋められた一大墓地と化した。
ファルージャの人々は、これまでの48時間、女性と子どもを市から出そうと一生懸命だった。しかし、市外へ向かう道路はすべてアメリカ軍によって封鎖され、たえまなく銃撃され爆撃されている・・・私たちはテレビを見て泣き、叫んでいる。病院は犠牲者であふれている・・・腕や足を失った人たち・・・愛する人を失った人たち。薬も包帯も足りない・・・これはアメリカ軍のしたこと、何てひどいことするのか。これは、集団懲罰だ・・・これが、私たちのおかれた混乱状況への解決法なのか? これが、作戦の’核心’たる’心理戦’?
食料や水、薬や血液や医者を積んだ輸送車隊が市内へ入って支援しようと、きのうファルージャへ向けて出発した。私のうちの近所でも、ファルージャへ送る小麦粉や米の袋を集めていた。E(弟)と私は、家中ひっかきまわして、小麦粉の大袋ひと袋、小さめの米の袋ふたつ、レンズ豆やヒヨコ豆などの混合数キロを見つけた。トラックが任務を果たし人々の助けになることを心から願っていた。それがなんということだ、あるイラク人の医者から、輸送車隊はすべて市内へ入ることを禁止されたと、たったいま聞いた・・・いまは女性とこども、重病の人や負傷者を市外へ出そうと一生懸命だという。
南部も状況は同じだ・・・犠牲者の数は増え続け、加えて略奪と無秩序が広がっている。バグダードでは、怒りがはっきりと形をとって表れている。人々の顔はとつぜん悲しみに満ちてこわばり、ことばで言い表せない無力感が感じられる。水面下に捕らえられて、もがいてももがいても水面へ届かないのに似ている。これら破壊と荒廃のかぎりを見ることは。
フィルド広場(例のフセインの銅像が倒されたところ)は立ち入り禁止だ。アメリカ軍は怒った群衆とデモを恐れているから・・・だけど関係ない。みんな家にじっとしているのだから。もう数日間もこどもたちは学校に行っていないし、大学でさえ誰もいない。バグダードの状況は、ひじょうに不安定で、近所の男たちはまた巡回監視をしようと話している・・・占領の初めの頃とまったく同じだ。
役たたずの統治評議会はどこ? どうして誰ひとり、南部とファルージャの殺りくを非難しないの? どうして彼らは、あの大馬鹿ブレマーに大反対して、こんなことは間違ってる、間違ってる、間違ってるってとことん言わないの? 彼らの一人でも、すこしでも男らしければ、いや人間らしければ、「直ちに停戦しなければ辞職する」と迫ることもできただろうに・・・人々は怒っている。現在のこの事態は、彼らがイラク人でないことの証明だ__イラク国民の生命と生活を守るためにイラクにいるのではないということの。
アメリカやヨーロッパのテレビ局は、死んでいくイラク人を見せない・・・包帯に包まれあるいは血を流している女性や子どもたちを見せない__血の海と腕や足が散らばるただ中で息子の痕跡でもないかと探す母親。死人と死にかけた人々であふれた病院も見せない。アメリカの機嫌を損ねたくないからだ・・・しかし、見る”べき”だ。アメリカよ、見るべきだ。自分たちの起こした戦争と占領の代価を__アメリカ人が故国を何千キロも離れたところで戦争をしているのは、フェアでない。アメリカ人は死者たちをこぎれいな棺に入れ国旗でおおう。対して私たちは、死者たちの断片を床からかき集めなければならないのだ。そしてアメリカの銃弾が、誰だかわからないほど愛する人の遺体をめちゃめちゃにしていませんようにと願うのだ・・・
一年たった。そして、ブッシュは望んだものを達成した__今日、この日のことを歴史は記憶し、イラク人は決して忘れないだろう。人類史上おびただしい量の血が流された日々のうちの一日として。
リバーによって掲示 午後4時32分
(翻訳 池田真里)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/