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「笹山登生の雑感&情報の日記」 http://www.sasayama.or.jp/akiary051/200404.html#20040410
より転載
サイト http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1188915,00.html
では、副題「再び、イラクで学びなおされる、粗野な軍事力の限界」と題された、イラク戦争を引き起こしたアメリカに対する4月9日付けのザ・ガーディアン紙の痛烈な批判である。
概訳は次のとおり。
第二次世界大戦後以来、一連のアメリカ軍の勝利と敗北の繰り返しが、アメリカの政治においては、重要な出来事であった。
被害を出さずにすんだ、1945年の軍事力拡張の頂点から始まって、朝鮮半島における限定的な勝利、そして、ヴェトナムでの敗北、湾岸戦争における勝利、そして現在のイラク戦争にいたるまで、アメリカは、勝利と敗北を繰り返してきた。
それらのいずれの局面においても、特に、ヴェトナム戦争後は、敗北の衝撃は、アメリカ軍事力拡張の再構築の開始となってきた。
そして、結果的には、新事態における自信あふれる、そして時として自信過剰なまでの再主張となって現れた。
現在のジョージ・ブッシュ政権の外交方針を形成する人々が成長期にあったときは、ヴェトナムの敗北の屈辱に感化させていた。
そして、もし一国の軍事力が適切に発揮されていたら、何の問題も障害もなくして、ヴェトナム戦争は勝利できていたという考え方に、彼らは、支配されていた。
イラクは、無制限の軍事力を行使できるテストケースであったし、今、それが、困難なことを証明している。
バグダッドでの武装した種族の興奮は、いまや、過去の記憶に過ぎない。
おそらく、いま、ブッシュ政権は、ヴェトナムの前例で味わった以上に、軍事機器の本質的な無力さに直面している。
これらは、他の種類の行動に移るためのドアを開ける鍵とはなっても、他の種類の行動を補完しうるものとはなりえないからだ。
ジョージ・バーナード・ショーは、いかなる政治的な調整の元でも、軍人に依存できるものは、長続きしないということに気づいていた。
このイラク戦争においても、アメリカによる占領が、他の占領と同じく、イラクの社会を直接軍事支配することを意味するものではなかったことは、最初から真実であった。
直接支配が望ましいものであっても、アメリカや他国の連合軍は、それを可能とする十分な数を備えていなかった。
ましてや、彼らは、直接統治を可能としうる言語能力も、他の技術も、兼ね備えていなかった。
アメリカ人に対して、純粋な歓迎の意を予想していた人々にとって、それは、誤りであったことを気づかされた一方で、アメリカの占領は、イラク社会における重要勢力の同意によらざるを得ないということ、そして、政治経済についての、利害への約束を伴なわない限り、不可能であるということだった。この同意と利益への約束を信じることがこそが、戦闘拡大への動揺につながっている。
そして、それとともに、アメリカは、道に迷い、アメリカ人自身の権威を回復しうる何の考えもなくなってしまったのである。
イラクにおけるアメリカのポジションは、これまで、軍事力拡大には重きを置かれておらず、むしろ、決定的に重要な二つのイラク国内勢力の協力におかれてきた。
すなわち、南部におけるシーア派と、イラク警察の再編成と、国の中心に小規模の軍隊をといった具合にである。
この数週間の政治的軍事的拡大は、これらの両派勢力の支持を弱くしてしまった。
アメリカと他国軍隊とは、いまや、スンニ派とシーア派の反乱者が支配している地域での軍事行動に勢力を費やしてしまっている。
そして、たとえ、その支配が長続きしそうもないといえども、イラクにおける撤退がいかに難しいものであるかの指標となってしまっている。
アメリカ人は、いろいろな理由で、この事態に手を掛けてきた。
スンニ派地域での主な支持は、イラク治安部隊をターゲットにした暴動に長い間翻弄されており、いくつかの地域では、鎮圧によって、何とか、おさめてきた。
このとき、アメリカ軍は、すくなくとも、ファルージァにおいては、問題を混同していた。
すなわち、ここでは、アメリカ軍は、新しい考えに基づく、新しいローテーションでもって、より攻撃を拡大してしまった。
一方、対照的に、南部では、アメリカ自身によって損傷を受けた。
CPRがシーア派の聖職者が好まない暫定憲法制定をたのみとした時、アメリカがシーア派との協力関係の基盤を作るための目的ともなりうる信頼関係を、弱いものにしてしまった。
最近のアメリカの行動で、最大の読み誤りは、バグダッドや主要シーア都市の貧困者からの支持を受けている若い過激派シーア派指導者のMoqtada al-Sadrに対する対応の誤りであった。
彼は、メジャーな宗教家ではなく、イラクのもっとも重要な聖職者の家族の一つの出身であり、彼は、多くのごく一般のシーア派に見られる反アメリカと反外国の気運を具体化した人である。
この気運は、Ayatollah Ali al-Sistaniや他の上級聖職者によって、これまで、抑制されてきたものである。
しかし、Ayatollah Ali al-Sistaniの力は、イラクについての深い経験を持った一ジャーナリストのものとして、一般的なコンセンサスを得られている。
言葉を変えていえば、上級聖職者達は、ある意味で、指導者であり、一方ある意味で、かなりの程度、追随者でもある。
このことは、なぜ、Sistaniが、無条件にMoqt al-Sadrを非難することや、また、彼や彼の民兵に対して、アメリカ軍の行動を支持することに対して、不本意であるかの理由でもある。
シーア派市民が死んでいくような状況の元で、彼等自身が完全にアメリカ人と協力関係を持つことは、上級聖職者にとっては、政治的に不可能なことである。
イラクで犯したアメリカのいくつかの誤りは、しばしば列挙される。
それは、イラクの軍隊を解散させたことであり、バース党を禁止したことである。
なぜなら、これらの行動の多くは、スンニ派に対して、彼らが、あらゆる政治的な分配にもありつけないというシグナルを送ってしまったからである。
その政治的な分配とは、今後、遅ればせながら再編成しうるセキュリティ武器をアメリカ人から奪い、反対の機運を醸成しうるという点での分配である。
また、自由市場についてのイデオロギー的な妄執と、規制の欠如でもって、経済政策をコントロールさせたことについての誤りである。
軍事力の限界を知らしめる教訓のひとつであるが、これまでにも、また、今でも、このことは、軍隊が自己防衛の考え方にそって、軍隊の統治のままにさせたことについての誤りである。
しかし、もっとも大きな誤りは、何年もの独裁政権のもと、おそれられた強い状態の下でのサダムフセインの見せ掛けの背後で進行してきた、制裁と堕落と無感動と批判主義によって、損傷を受けたイラク社会を、アメリカが把握することが出来なかったということだ。
この最大の誤りは、おそらく、理解しがたいものであろう。
なぜなら、サダムのイラクは、理解しがたい社会であるからだ。
しかし、アメリカ人が、彼らが当初予測したよりは、イラク社会の伝統を重んじて仕事をすることがなく、伝統の尊重が、シーア派のリーダーシップの利益と一致することに、アメリカ人は、ある意味で不快感を感じていたということだ。
イラクは、いまだ、アメリカに敗北を喫していない。
しかし、アメリカは、懲らしめられ、困惑させられている。
ブッシュ政権は、山をも動かしうるとも一心に思っているが、今では、もっと分別がでてきている。
常にリップサービスとして使われてきた「イラク人は、自らの未来を決定するであろう。」という言葉は、今では、もはや、効果的なレトリック以上の意味があるのである。
アメリカの介入が、成功に終るか不成功に終るかを左右しうる大きな決定要因となるのは、まさに、イラク人の選択と決定と行動の積み重ねの中にある、イラク人自身なのである。
アメリカ人は、イラク人を救うために、イラクに行き、そして、いまや、(逆に) 彼等自身を助ける必要に迫られているのである。