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拉致された3名の生死を分ける刻限は、明日4月11日午後9時と理解されている。
これまでも書いてきたように、今回のケースに対処しなければならない政府は、何よりも3名を無事に解放することを基準に物事を判断しなければならない。
事件発生からまもなくまる2日を迎えようとしている今、公式・非公式に伝わってくる政府の動きを見聞きし、3人の解放を達成しなければならない政府が機能不全に陥っていると判断せざるを得ない。
これまでは、事件の背後関係も問わず、小泉政権の立場を考慮し小泉首相が受け容れやすいと思われる解決手法を提起してきたが、この期に及んでは、自衛隊にイラクからの撤退を命じ、たとえ部分的であってもそれを即座に実行に移すべきだと言う。
前回も書いたが、たとえ今回のケースで自衛隊を撤退させたとしても、たんなる政策変更であり、赤軍派のダッカ事件のときのような“超法規措置”になるわけではない。
自衛隊のイラク派遣が“超法規措置”かどうかはともかく、内閣総理大臣が判断しイラクから自衛隊を撤退させることは法に基づいた手続きで可能である。
そして、今回のケースでは、価値観的な批判を浴びることはともかく、撤退したからといって修復できない政策変更でもない。
コストはかかるかもしれないが、3名が解放されたあとで自衛隊に再度派遣命令を出すことはできる。
こんなことを書いたら実も蓋もないのだが、「テロリストに屈する」わけではなく、「テロリストをおちょくる」だけで解決できる可能性があるケースであることをきちんと認識しなければならない。
心情的ないし抽象的価値観の言葉に近い「テロに屈するな!」という論理で小泉首相の「撤退拒否声明」を称賛している政治家やマスコミもいるようだが、今一度、今回のケースで「テロに屈するな!」とはどういうことなのかを冷静に考えていただきたい。
3人を拉致したテロリストは、二つの要求を出しているとも言える。
一つは、3人を殺されたくなかったら自衛隊をイラクから撤退させよ、という要求である。
もう一つは、自衛隊をイラクから撤退させなかったら3人を殺す、という要求である。
仮にだが、日本政府が撤退を拒否し、テロリストが3名を殺してしまうようなことがあったなら、その是非は別として、テロリストは一つの要求を満たしたことになる。
この意味で、要求を拒否した結果としてテロリストに3人を殺させてしまったら、「テロに屈した」ことになるのである。
一方、今回提案しているように、自衛隊をイラクから撤退させることで3人の解放を実現し、その後で再度自衛隊をイラクに派遣したならば、テロリストは、今回のテロリズムで一時的な達成感を味わうことができるとしても、実質は何も得られなかったことになる。
このような論を言葉遊びだとバカにしてはならない。
「日本人を人質にして日本政府に要求を突きつけたら、日本政府はそれを拒否する」という厳然たる事実が明らかになれば、今後どうなるかを思いやっていただきたい。
国民と政府の間の信頼感が揺らぐことになり、日本人に死の恐怖を醸成することを通じて日本の政治状況を変えるというテロリズムも有効になる。
少ない人数であっても他のなにものにも代えがたい一つの命を救うことができる妥当な策がありながら、政府がそれを選択せず命を見捨ててしまったという事実は極めて重い。
他人事であれば、抽象的な価値観で「テロに屈するな!」と叫ぶ人も少なくないかもしれないが、それが我が身や我が家族に及んだときもなお「テロに屈するな!」と叫び続けられる人は、いないとは言わないが極めて少ない。
このようなことを考えれば、テロリストが、個別の要求は満たされないとしても、国民に恐怖心を醸成させ国民と政府の間の信頼関係を損なうことで中長期的には日本の政治傾向を変えることができると判断し、次から次へと日本人をテロの標的にするという想定を夢想だとは言い切れないはずだ。
今回のケースも、日本政府や日本国民に、「テロに屈しない」ことは人命をも超える至上の政治的価値であるという考え方を非合理的に醸成することが目的ではないとは言い切れない。
多数の人命のために少数の人命を見捨てなければならないことがあるということは理解している。
しかし、今回のケースは、そのようなものではなく、可能で現実的な対応策がある。だからこそ、「非合理的に醸成することが目的」という表現を使った。
国民を甘く見てはならない。
政府が「テロには屈しない」という価値観に非合理に固執する態度をとり続け国民を見殺しにする(した)という現実に直面したら、国民の政府への信頼は確実に薄らぐ。
それは、日本の国家社会的統合の劣化をも意味する。
政府への信頼が弱まるということは、日本という国そして自分(家族)以外の人たちへの信頼が弱まるということでもある。
それを国民の自立心や自助努力の現われと称揚することもできるかもしれないが、それを国家崩壊の兆しと言うこともできる。
小泉首相は、「テロに屈しない」ためにも、自衛隊をイラクから撤退させる命令を下さなければならない。
考えたくもないことだが、その結果が悲惨なものであっても、それは小泉首相を頂点とする日本政府の責任ではない。(その場合は、テロリストではなくたんなる殺人者である犯行グループを徹底的に糾弾し捕捉にも全力をあげなければならない)
しかし、小泉首相ができる一時的な自衛隊撤退を命じず頑なに撤退拒否を言い続けたまま悲惨な結末を迎えるようなことがあったなら、それが結末に無関係であったとしても、小泉純一郎氏は内閣総理大臣としての適格性はないと断ずる。
日本政府がこのまま撤退拒否を貫き通したとしても、3人が無事に解放される可能性もあるだろう。
しかしそうであっても、小泉首相を頂点とする日本政府が、「テロには屈しない」という価値観に非合理に固執する態度をとり続け国民を見殺しにしようとした事実は消えないのである。
様々な意味で、小泉首相に残された時間はない。
すぐにでも懸命なるご判断をなされることを切に願う。
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