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(回答先: 3人の若者が明白に反戦・反米の思想の持ち主であることの救い 投稿者 木村愛二 日時 2004 年 4 月 09 日 08:24:59)
「テロに屈しなかった」で成功したアスナールは「テロをもてあそんで」滅びた
国際的な赤恥をかきながら首相をやめるハメに陥ったアスナールには、実は「テロ」のおかげで政権を作ってきた面があるのです。以下の事実は今までお知らせしたことが無かったと思いますが、ぜひ参考にしてください。
1997年6月10日、ETAが国民党員でバスクの州議会議員ミゲル・アンヘル・ブランコを誘拐し、3日以内の服役中のETAメンバーの釈放を求める事件が起こりました。アスナールは要求を拒否し、3日後の6月12日にブランコはETA射殺されたわけですが、この間にスペイン中で「反ETAキャンペーン」が繰り広げられ、連日のように各大都市でデモが行われ、バタスナ党を除くすべての政党が、いってみれば国民党の応援団として駆り出されたわけです。ここで「テロに屈しなかった」アスナールは大いに男を上げ、その後数年間は磐石の基盤を作りました。
また一方、奇妙な話ですが、ETAは1996年1月に、バスクの刑務所の職員だったホセ・アントニオ・オルテガ・ララを誘拐し、メンバーの釈放を求めていたのですが、こちらのほうは何と1年半後の97年7月に無事に救出されました。もちろんこれにも国民党が中心になって大規模な「反テロキャンペーン」が繰り返し繰り返しスペイン中で行われたのです。
で、国民党とアスナールはこの二つの誘拐事件で「テロに屈しない政治家」のイメージを確立し、さらにこの「反テロキャンペーン」の間に若い世代の国民党支持者をぐんと増やし「かっこいい国民党」のイメージを定着させた、という次第です。
ところがそのアスナールと国民党が、結局は今年3月に、「テロ」を使って国民の心をもてあそんだ挙句に国際的な恥さらしとして姿を消すことになりました。暴力と恐怖を利用して支配しようとする者は、その暴力と恐怖によって自らの墓穴を掘る、これがブッシュ、シャロン、ブレア、小泉に対してアスナールが残した教訓です!
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まさに暴力と恐怖の犠牲になろうとする3人の青年たち。このような事態を前にする我々にとって、何が起ころうとも、「いつか奴らを地獄へ叩き落してやる」という気概を、死の瞬間まで持ちつづけることが、何よりも大切だと思います。