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やっぱり似てきた!「3.11」と「9.11」(防げなかった?or防がなかった?)
アメリカでも9.11に関して、まだ「自作自演」にまではいたらないものの、「防げたはずなのに防げなかった(or知っていて防がなかった)」というところの付近までは話が進んできているようですが、スペインの3・11に関しても次第に同じような雰囲気になっていく可能性があります。(逆に予防措置に手抜かりがあった、ということで監視体制を強める口実になる可能性もありますが。)
4月8日のエル・パイス紙は『国家防衛隊は3・11の5日前にテロリストの家を捜索していた』という見出しの記事を掲げ、マドリッド近郊の、先日「テロリストたちが列車爆破の準備をしていた」とされた家について、付近の住民たちがその数日前に不審な者たちが出入りしているのを目撃し警察に通報し、国家防衛隊員が3月7日に捜索に向かい、「何も重要なことは無かった」という結論を出していたことを報道しました。またこの記事はその家が2001年の9.11に関係があるかもしれないこともほのめかしています。(ただし、7日は11日の4日前ですので見出しの数字とは食い違っています。「数字オンチ」の多いこの国ではこの程度の違いは珍しいことではないのですが。)
ひょっとしたら後々で重要になるかもしれませんので、この記事は全文翻訳してお知らせします。
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「国家防衛隊は3・11の5日前にテロリストの家を捜索していた」
FRANCISCO MERCADO – Madrid EL PAÍS | España - 08-04-2004
国家防衛隊は、3.11で使われた爆弾のカバンが準備されたチンチョン(マドリッド自治区)の例の家を、その大量殺人のたった5日前に訪れていた。それは不審に思った地方道沿線の住民たちの電話によってなされたものだ。その捜査では何の結果も出されなかった。治安担当者はそのチンチョンの家に3月26日の司法当局の命令が出るまで訪れなかったのだ。
通報者たちは、エル・パイス紙に対して匿名を希望しているが、彼らの疑いは2001年の9.11にまでさかのぼっている。「一人のシリア人が妻と3人の子供と一緒に約4年間ほどその家に住んでいたが、周囲を塀で囲っていた。【注1】そしてツインタワーに飛行機が突っ込んだ事件の後、彼らは姿を消した。我々がそのテロに関与した容疑者の写真を見たとき彼の顔を思い出した。しかし特徴に決め手が無かったため我々はそれについてそれ以上のことは言わなかった。なにせ我々にとっては指名手配写真はみな同じような顔に見える。」
【注1】スペインの田舎では外から敷地内が見えないように高い塀で囲うようなことはあまり普通ではない。
そのシリア人がいなくなった後、その家は今年の1月まで公式には住人がいなかった。見かけだけはそうである。通報者によればそこには人がいたような形跡があったからだ。たまたまその家は空家であるように見えたが、一方で何回か門や窓が開いており干している毛布が見られ子供の声も聞こえた。【注2】去る1月半ば、人がいる姿がはっきりと確認された。北アフリカ人と思われる5名が住み始めたのだ。しかしその時期は非常に寒くマフラーかターバン、あるいはスキー用のマスクで顔を隠すことは不思議とは思われなかった。彼らはその建物の上に小さな屋上の部屋を作った。それは部屋の増築のように見えたが、しかし同時に見張りのためのもののようでもあった。
【注2】当然だが、その家のガス、水道、電気はすべて切られている。今年の1月に先日マドリッドの近郊都市で爆死した「テロリスト」の一人がその家の住民として登録していた。
[一組の男女が出て行った]
3月5日、午前10時、一組の男女がフォルクスワーゲン・ポロに乗って出て行った。彼らはいっぱいに荷物を積んだもう一つの車に乗った2名の者と共に正午頃戻ってきた。彼らはおそらく3.11の爆弾にした青いスポーツバッグを持ってきたのだろう。ただし住民たちは盗品か麻薬の取引ではないかと思ったわけだが。そして「これは奇妙だ。警察が見た方が良いのでは。」と感じた。
3月7日、10時50分、彼らは通報した。最初は国家警察に電話したが、警察は国家防衛隊に回し【注3】、彼らがその通報を引き受けることになった。警察と住民との会話は録音されていた。しばらくして通報した住民たちに国家防衛隊から電話がかかり、その建物についての詳しい確認が次のようになされた。
「屋根の上に小部屋のついた家ですか。周囲が緑の兵で囲われていますか。」
「そのとおりです。」
そしてようやく国家防衛隊の車がやって来た。
【注3】スペインではテロや麻薬取引のような広域重要犯罪については基本的に国家防衛隊(軍、つまり国防省に所属する)が担当する。もちろん国家警察と地方警察も協力して動く。ただ今回の場合、国家警察ではなく始めから国家防衛隊が出てきたことに特別の意味があるかどうかまでは分からない。
通報者たちはその電話以上のことは知らなかった。3.11の後も、その家の住人が住みつづけていたことが確認された。そして3月26日の午前中、国家防衛隊の広報車が現れた。そしてその家の近所の人に質問し、通報者たちの証言を求めた。その捜査官が明らかに驚いている前で、彼らはその家に着いての詳細を述べただけでなく、3月7日の通報について覚えている事も語った。数時間後、国家警察の係官が司法当局の許可を得てその家に入った。
「もしその家を見張ってくれていたらあんなことは起こらなかっただろう。事件の後で動きが始まったのだ。誰がこの家の存在について彼らに知らせたのだろうか。警察は、何をどう言おうが、連絡を受けていたのだし、住民たちは協力したのだ。」と通報者たちは不満を述べた。
国家防衛隊の広報担当者は、その通報が問題にされなかったのではない、と断言した。語るところによると、その家はパトロールの制服警官が訪れていたし、私服警官によって通報から後2日間にわたって見張られていた。「司法当局の許可が無いので、ただ自動車の登録を確認しただけだった。何の問題も無かった。3.11の後、不法移民の存在が疑われただけなのだが、警察と行き違いにならないようにその捜査を終えたのだ。」と強調した。
http://www.elpais.es/articuloCompleto.html?xref=20040408elpepinac_6&type=Tes&anchor=elpepiesp